日本で初めて「ホームページ」を作った会社
今でこそ、誰もが気軽に使えるようになったインターネットだが、日本の社会に浸透し、一般的に使われるようになったのはここ20年ほどであり、その歴史はまだ浅い。
そんな日本のインターネットの歴史で、最初に個人ホームページを制作し、公開した会社をご存じだろうか?
「デジタルガレージ」は、日本のインターネット黎明期に産声をあげ、「ロボット型検索サービス」「オンラインCDショップ」「コンビニ決済」といった、今では当たり前になっているインターネットサービスを次々と生み出し続けてきた企業である。
そんなデジタルガレージの書籍『ファーストペンギンの会社』(株式会社デジタルガレージ 創業20周年記念プロジェクトチーム/編著、ダイヤモンド社/刊)には、日本のインターネットの歴史そのものともいえる、同社の歩みがつづられている。
デジタルガレージの創業を決定づけた大きな出来事がある。
それは1993年、創業者の一人となる伊藤穰一の自宅マンションにインターネットの専用線が導入されたことだ。
当時、インターネットは、エンジニアや研究者などごく限られた人々のものだった。そんなインターネットが伊藤の自宅に導入されたのは、すでにアメリカでインターネット接続事業を手掛け、日本進出を狙っていたインターコム社が、役所の手続きの問題でサービスを開始できなかったことによる。その問題が解決するまで必要機材を保管させてほしい、という依頼がインターコム社側から伊藤のもとに届けられたことですべてが始まった。(伊藤はアメリカでの生活が長く、知人も多かった)。
カウンターカルチャーを愛し、関連する先端技術に人一倍強い関心を持つ伊藤は、インターコム社が持ちこんだネット回線を「自由に使用する」ことを条件に、その依頼を引き受けた。すると次第に、彼の部屋にはジャンルを問わず多くの仲間が集まるようになり、好奇心の赴くまま、アメリカの政府機関や大学の研究所などにアクセスして情報を得たり、海外の人々とメッセージを交換したりするようになっていった。その過程でインターネットについての知識を蓄えていったのである。冒頭で触れた「個人ホームぺージ」はこの過程で制作されたものだ。
同じ頃、デジタルガレージのもう一人の創業者、林郁もまたインターネットの必要性に迫られていた。
広告プロモーションの会社を経営していた林だったが、1994年に入るとインターネットが徐々に浸透しはじめ、大手広告代理店やコンピューター関連企業から「ホームページを作りたいのだが、どうすればいいか」といった依頼が舞い込むようになってきたのである。
インターネットに関心を持つほとんどの企業は「接続事業」をすれば儲かると考えていたが、林にはホームページ制作がビジネスになるという直感があった。そこで、旧知の仲だった伊藤が仲間たちと創業していた「エコシス」にホームページ構築を発注するようになった。
こうして、伊藤・林両者が運営していた会社のスタッフが、ホームページ制作業務によって相互に行き来するようになり、「それなら会社を一緒にしまった方が合理的」ということで、二人を共同創業者として「デジタルガレージ」が誕生した。
ところで、林の読みは「ホームページ制作」だけではない。ホームページの次には「検索システム」が、さらには「Eコマース」が必要とされることがもう彼には見えていた。彼のビジョンに向かってデジタルガレージの歩みは始まったのである。
本書は、デジタルガレージの軌跡だけでなく、ITとテクノロジーが次の20年でどこに向かうのかについても言及される、予言的な内容となっている。
卓越した予測力と行動力でインターネットの未来を切り開いてきた同社が次に向かうのはどこか。ネットにかかわる人は必見だろう。
(新刊JP編集部)
そんな日本のインターネットの歴史で、最初に個人ホームページを制作し、公開した会社をご存じだろうか?
「デジタルガレージ」は、日本のインターネット黎明期に産声をあげ、「ロボット型検索サービス」「オンラインCDショップ」「コンビニ決済」といった、今では当たり前になっているインターネットサービスを次々と生み出し続けてきた企業である。
そんなデジタルガレージの書籍『ファーストペンギンの会社』(株式会社デジタルガレージ 創業20周年記念プロジェクトチーム/編著、ダイヤモンド社/刊)には、日本のインターネットの歴史そのものともいえる、同社の歩みがつづられている。
それは1993年、創業者の一人となる伊藤穰一の自宅マンションにインターネットの専用線が導入されたことだ。
当時、インターネットは、エンジニアや研究者などごく限られた人々のものだった。そんなインターネットが伊藤の自宅に導入されたのは、すでにアメリカでインターネット接続事業を手掛け、日本進出を狙っていたインターコム社が、役所の手続きの問題でサービスを開始できなかったことによる。その問題が解決するまで必要機材を保管させてほしい、という依頼がインターコム社側から伊藤のもとに届けられたことですべてが始まった。(伊藤はアメリカでの生活が長く、知人も多かった)。
カウンターカルチャーを愛し、関連する先端技術に人一倍強い関心を持つ伊藤は、インターコム社が持ちこんだネット回線を「自由に使用する」ことを条件に、その依頼を引き受けた。すると次第に、彼の部屋にはジャンルを問わず多くの仲間が集まるようになり、好奇心の赴くまま、アメリカの政府機関や大学の研究所などにアクセスして情報を得たり、海外の人々とメッセージを交換したりするようになっていった。その過程でインターネットについての知識を蓄えていったのである。冒頭で触れた「個人ホームぺージ」はこの過程で制作されたものだ。
同じ頃、デジタルガレージのもう一人の創業者、林郁もまたインターネットの必要性に迫られていた。
広告プロモーションの会社を経営していた林だったが、1994年に入るとインターネットが徐々に浸透しはじめ、大手広告代理店やコンピューター関連企業から「ホームページを作りたいのだが、どうすればいいか」といった依頼が舞い込むようになってきたのである。
インターネットに関心を持つほとんどの企業は「接続事業」をすれば儲かると考えていたが、林にはホームページ制作がビジネスになるという直感があった。そこで、旧知の仲だった伊藤が仲間たちと創業していた「エコシス」にホームページ構築を発注するようになった。
こうして、伊藤・林両者が運営していた会社のスタッフが、ホームページ制作業務によって相互に行き来するようになり、「それなら会社を一緒にしまった方が合理的」ということで、二人を共同創業者として「デジタルガレージ」が誕生した。
ところで、林の読みは「ホームページ制作」だけではない。ホームページの次には「検索システム」が、さらには「Eコマース」が必要とされることがもう彼には見えていた。彼のビジョンに向かってデジタルガレージの歩みは始まったのである。
本書は、デジタルガレージの軌跡だけでなく、ITとテクノロジーが次の20年でどこに向かうのかについても言及される、予言的な内容となっている。
卓越した予測力と行動力でインターネットの未来を切り開いてきた同社が次に向かうのはどこか。ネットにかかわる人は必見だろう。
(新刊JP編集部)