健康寿命70代前半の時代に、70代をどう生きるか?
私たちの身の回りには常に健康にまつわる情報があふれている。
「○○は健康にいい」とか、「××は体に害だ」とか、「△△は健康に悪い」など、「本当なのか?」と疑う時間もないくらい次々と健康にまつわるコンテンツが繰り出され、踊らされている。
健康欲は際限もなく膨らみ、程度を知らない。しかし、世界一の長寿国を達成した今、これ以上何を望むというのか?
武蔵国分寺公園クリニックの院長である名郷直樹氏が執筆した『「健康第一」は間違っている』(筑摩書房/刊)は、そんな問いかけからはじまり、「健康」「長生き」ということを議論の俎上に乗せ、膨大なデータを噛み砕き医療のあり方を問い直していく一冊だ。
今回、新刊JPは本書について名郷氏にインタビューを行い、本書に込めた意図をお話してもらった。その後編をお伝えする。
(新刊JP編集部)
■健康寿命70代前半の時代に、70代をどう生きるか
――お聞きしたいことのもう一つは、健康と不健康の「境界」についてです。この本でもテーマの一つになっていますが、どこからどこまでが健康でどこからが不健康かというその境界がどこにあるのかは悩むところだと思います。その一つの基準となるのが、健康診断で出てくるような数値だと思うのですが、名郷さんはこの「境界」についてどのように捉えていらっしゃいますか?
名郷:この本にも書いてあるように、実は境界というものはないように思います。例えば収縮期血圧が140を超えると高血圧だと言われていますよね。でも、140というのは平均値に近い値ですから、140付近の数値になる人って非常に多いんです。そういった状態で、140以上と以下を比べても、あまり変わらないという結果になってしまう。もちろん収縮期血圧が180というような高い数値を境目すると、結果は変わってきます。
これはつまり、多くの人の場合、血圧が基準値よりも少し上回るくらいならば慌てなくてもいいということです。140以上だから薬を飲まないといけないというわけではなく、個人の生き方として、もっといろいろな選択肢を持つべきだと思うんですね。健康診断などの基準は個人と関係なく決められるものですから、極端な数値が出てしまったときを除けば、基準値周辺のわずかな異常で、基準に振り回されるのは、血圧自体よりも不安な気持ちが逆に負担になります。
また、血圧は変動しやすいもいのですから、例えば15分安静で計測したデータと、5分安静のデータでは異なります。さらに2回測って平均をとる、もしくは2回目のデータを採用するとか、どういうシチュエーションで血圧を測るかというタイミングによっても変わってきます。定期診断の場合、流れ作業的にだいたい1回か2回計測して終わりだと思いますが、そのようにして計測されたデータはそもそも基準を当てはめることはできないのです。ちゃんと計測するのであれば、自宅で毎日5分以上の安静で同じ時間に血圧を測るとか、そういうことが必要になります。
――ただ、私たちが自分で健康か不健康か判断つかない以上、定期健診の基準値はある一つの大きな指標です。
名郷:おそらく、指標から外れてしまったその先に、不健康や病気になること、そして死ぬことが怖いという感情があるんですよね。お子さんや若い方、働き盛りの方は自分自身のこれからの人生であったり、家族の人生もあるわけで、そのために健康を追求するのが自然だと思います。その指標に対して一喜一憂するのは分かります。
ただ、一つ頭に入れておいてほしいのは、健康というのは年齢とともに少しずつ失われていくものです。生まれたときが一番余命は長い。体力も少しずつ衰えていきますし、年齢による死亡率も少しずつ高くなって、だいたい70歳を過ぎるころから急速に高くなり、80代でそのピークがきます。ある病気を患っても、別の要因で亡くなることも多くなる。ならば、ある程度高齢になったらもういいじゃないか、と。
――先ほど、高齢者に向けて書かれたというお話でしたが、自分の生き方を見直そうというメッセージが込められています。
名郷:そういう意味では高齢者だけでなく、50代や60代の方々にこそ読んでほしい本ですね。これから70代をどう生きますか? と問いかけたいんです。健康ばかりに気を使いすぎていませんか? と。もちろん若い世代の方にも読んでほしいです。自分がこれからどうなっていくのか、親世代のことについて想いを張り巡らせることもあるでしょう。
また、もう一つ重要なことがあって、これは医者側の問題なのですが、例えば高血圧になってしまったとき「血圧を下げる」ことは確かに重要です。でも、それは決して「血圧を下げればいい」というだけではありません。本来は、脳卒中を減らすにはどうすべきか、心筋梗塞を減らすにはどうすべきかという課題の中で、高血圧が一つの要素として出てくるのですね。糖尿や喫煙習慣、肥満など様々な要因が組み合わさっている中で脳卒中などの合併症が出てしまうものなので、本来はすごく複雑です。医者の中には「薬を出して血圧を下げればいい」とだけ思っている人もいるのは確かで、でも、薬で血圧を下げればいいというだけではありません。
――薬を処方しない医者や薬剤師というような方々がいらっしゃいますが、薬を処方しないでいたら病気が進行してしまったというケースもあると思うんですね。
名郷:もちろんその責任は負わないといけません。ただ、そこまで厳しくする必要がないと思われるような状況で、厳しいことを言われて不安になることに対しても責任を負わなければいけないはずです。厳しく生活管理をされて、脳卒中や心筋梗塞が減ればいいのですが、実はデータを見ると本当にそれに見合った効果があるのか…ということもあります。薬を出す場合にも出さない場合にも医師として一人ひとりの患者と向き合い、その患者の人生に対して責任を負う覚悟が必要なんです。薬を出していれば責任をとる必要がないというのは、実は無責任というほかありません。
――名郷さんが医者として大事にしていることはなんですか?
名郷:よく勉強し、その勉強の結果を説明し、個々の患者さんに合わせて実際に利用すること。それに尽きますね。
――少し話は逸れますが、名郷さんが以前ツイッターで「風邪の診療に必要なのは、風邪の特効薬ではなく、風邪で休める世の中だと思う」とつぶやかれていたのを拝見して、その通りだなと。「健康になりたい!」とみんなが望むわりには、社会が健康体でいられるような環境を提供してくれないように感じています。労働も、食事も含めて。
名郷:これは本当にそうなんですよね。健康を損なうことが、社会からの排除につながるのが一番の問題です。例えばもしがんになったとしても、仕事をやめないといけなくなったり、寛解したら復帰できたりするような環境ができないといけないように思います。
――では、最後に読者の皆さんにメッセージをお願いします。
名郷:生きる上で重要なことはたくさんありますが、健康が一番ではなく、重要なことの一つだと私は思っています。健康に気を使うあまり他の欲望を抑えつけすぎていては、楽しむことはできません。健康欲の支配から脱して、自分の生き方を考えてみるきっかけになれば幸いです。
(了)
「○○は健康にいい」とか、「××は体に害だ」とか、「△△は健康に悪い」など、「本当なのか?」と疑う時間もないくらい次々と健康にまつわるコンテンツが繰り出され、踊らされている。
健康欲は際限もなく膨らみ、程度を知らない。しかし、世界一の長寿国を達成した今、これ以上何を望むというのか?
武蔵国分寺公園クリニックの院長である名郷直樹氏が執筆した『「健康第一」は間違っている』(筑摩書房/刊)は、そんな問いかけからはじまり、「健康」「長生き」ということを議論の俎上に乗せ、膨大なデータを噛み砕き医療のあり方を問い直していく一冊だ。
今回、新刊JPは本書について名郷氏にインタビューを行い、本書に込めた意図をお話してもらった。その後編をお伝えする。
(新刊JP編集部)
――お聞きしたいことのもう一つは、健康と不健康の「境界」についてです。この本でもテーマの一つになっていますが、どこからどこまでが健康でどこからが不健康かというその境界がどこにあるのかは悩むところだと思います。その一つの基準となるのが、健康診断で出てくるような数値だと思うのですが、名郷さんはこの「境界」についてどのように捉えていらっしゃいますか?
名郷:この本にも書いてあるように、実は境界というものはないように思います。例えば収縮期血圧が140を超えると高血圧だと言われていますよね。でも、140というのは平均値に近い値ですから、140付近の数値になる人って非常に多いんです。そういった状態で、140以上と以下を比べても、あまり変わらないという結果になってしまう。もちろん収縮期血圧が180というような高い数値を境目すると、結果は変わってきます。
これはつまり、多くの人の場合、血圧が基準値よりも少し上回るくらいならば慌てなくてもいいということです。140以上だから薬を飲まないといけないというわけではなく、個人の生き方として、もっといろいろな選択肢を持つべきだと思うんですね。健康診断などの基準は個人と関係なく決められるものですから、極端な数値が出てしまったときを除けば、基準値周辺のわずかな異常で、基準に振り回されるのは、血圧自体よりも不安な気持ちが逆に負担になります。
また、血圧は変動しやすいもいのですから、例えば15分安静で計測したデータと、5分安静のデータでは異なります。さらに2回測って平均をとる、もしくは2回目のデータを採用するとか、どういうシチュエーションで血圧を測るかというタイミングによっても変わってきます。定期診断の場合、流れ作業的にだいたい1回か2回計測して終わりだと思いますが、そのようにして計測されたデータはそもそも基準を当てはめることはできないのです。ちゃんと計測するのであれば、自宅で毎日5分以上の安静で同じ時間に血圧を測るとか、そういうことが必要になります。
――ただ、私たちが自分で健康か不健康か判断つかない以上、定期健診の基準値はある一つの大きな指標です。
名郷:おそらく、指標から外れてしまったその先に、不健康や病気になること、そして死ぬことが怖いという感情があるんですよね。お子さんや若い方、働き盛りの方は自分自身のこれからの人生であったり、家族の人生もあるわけで、そのために健康を追求するのが自然だと思います。その指標に対して一喜一憂するのは分かります。
ただ、一つ頭に入れておいてほしいのは、健康というのは年齢とともに少しずつ失われていくものです。生まれたときが一番余命は長い。体力も少しずつ衰えていきますし、年齢による死亡率も少しずつ高くなって、だいたい70歳を過ぎるころから急速に高くなり、80代でそのピークがきます。ある病気を患っても、別の要因で亡くなることも多くなる。ならば、ある程度高齢になったらもういいじゃないか、と。
――先ほど、高齢者に向けて書かれたというお話でしたが、自分の生き方を見直そうというメッセージが込められています。
名郷:そういう意味では高齢者だけでなく、50代や60代の方々にこそ読んでほしい本ですね。これから70代をどう生きますか? と問いかけたいんです。健康ばかりに気を使いすぎていませんか? と。もちろん若い世代の方にも読んでほしいです。自分がこれからどうなっていくのか、親世代のことについて想いを張り巡らせることもあるでしょう。
また、もう一つ重要なことがあって、これは医者側の問題なのですが、例えば高血圧になってしまったとき「血圧を下げる」ことは確かに重要です。でも、それは決して「血圧を下げればいい」というだけではありません。本来は、脳卒中を減らすにはどうすべきか、心筋梗塞を減らすにはどうすべきかという課題の中で、高血圧が一つの要素として出てくるのですね。糖尿や喫煙習慣、肥満など様々な要因が組み合わさっている中で脳卒中などの合併症が出てしまうものなので、本来はすごく複雑です。医者の中には「薬を出して血圧を下げればいい」とだけ思っている人もいるのは確かで、でも、薬で血圧を下げればいいというだけではありません。
――薬を処方しない医者や薬剤師というような方々がいらっしゃいますが、薬を処方しないでいたら病気が進行してしまったというケースもあると思うんですね。
名郷:もちろんその責任は負わないといけません。ただ、そこまで厳しくする必要がないと思われるような状況で、厳しいことを言われて不安になることに対しても責任を負わなければいけないはずです。厳しく生活管理をされて、脳卒中や心筋梗塞が減ればいいのですが、実はデータを見ると本当にそれに見合った効果があるのか…ということもあります。薬を出す場合にも出さない場合にも医師として一人ひとりの患者と向き合い、その患者の人生に対して責任を負う覚悟が必要なんです。薬を出していれば責任をとる必要がないというのは、実は無責任というほかありません。
――名郷さんが医者として大事にしていることはなんですか?
名郷:よく勉強し、その勉強の結果を説明し、個々の患者さんに合わせて実際に利用すること。それに尽きますね。
――少し話は逸れますが、名郷さんが以前ツイッターで「風邪の診療に必要なのは、風邪の特効薬ではなく、風邪で休める世の中だと思う」とつぶやかれていたのを拝見して、その通りだなと。「健康になりたい!」とみんなが望むわりには、社会が健康体でいられるような環境を提供してくれないように感じています。労働も、食事も含めて。
名郷:これは本当にそうなんですよね。健康を損なうことが、社会からの排除につながるのが一番の問題です。例えばもしがんになったとしても、仕事をやめないといけなくなったり、寛解したら復帰できたりするような環境ができないといけないように思います。
――では、最後に読者の皆さんにメッセージをお願いします。
名郷:生きる上で重要なことはたくさんありますが、健康が一番ではなく、重要なことの一つだと私は思っています。健康に気を使うあまり他の欲望を抑えつけすぎていては、楽しむことはできません。健康欲の支配から脱して、自分の生き方を考えてみるきっかけになれば幸いです。
(了)