遥かなるツール・ド・フランス 〜片山右京とTeamUKYOの挑戦〜
【連載・第1回】

 今から22年前の1992年、ラルースチームから日本人3人目のF1レギュラードライバーとして参戦し、F1ブームの中心にいた片山右京。「カミカゼ・ウキョウ」の愛称でF1界に旋風を巻き起こした片山は、その後も耐久レースなどで活躍し、多くのモータースポーツファンに愛された。一方、登山家としても活動し、2001年にはヒマラヤ山脈にある世界第6位のチョ・オユー登頂に成功。さらに2006年にも、世界第8位のマナスル登頂を成し遂げた。そんな多方面で活躍する片山が、現在は自転車競技チームを率いて、新たな夢を追いかけているという。彼はいったい、次に何を目指しているのか。今、50歳になった片山右京の遥かなる挑戦に迫る――。

 おそらくこれは、片山右京が過去に行なってきた数々の挑戦のなかでも、もっとも難易度が高いものであるかもしれない。

 自身が監督を務めるTeamUKYOの、ツール・ド・フランスへの参戦――。

 ツール・ド・フランスは、自転車ロードレースの最高峰・グランツールのなかでも、そのさらに頂点に君臨するレースだ。100年以上の歴史を持ち、世界最高のチームと選手たちが3週間以上のスケジュールで3千キロ以上の距離を走破し、覇を競う。

 スポーツ競技として自転車ロードレースの人気が伸び悩む日本でも、実際の視聴観戦経験はともかく、ツール・ド・フランスの名前くらいなら聞いたことがある――という人は多いだろう。

 本場欧州では、レースが行なわれる7月になると、戦いの舞台となるフランスはもちろん、各国で生中継が行なわれ、多くの人々がテレビの前に釘付けになる。レースのオーガナイザーA.S.Oの発表によると、2013年は全世界で190ヵ国がテレビ放送を行ない、述べ35億人が視聴した。公式ウェブサイトのページビューは、7月だけで1億3300万をカウントしたという。

 その世界最高峰のレースに、片山右京は自ら率いるチームを2017年に参戦させる、と宣言した。

 もちろん、容易なことではない。

 むしろ、無謀、といったほうが妥当であるかもしれない。

「僕たちがツール・ド・フランスに出るということは、日本における自転車の需要を変えることでもある、みたいなね。なんだかよく分からない大言壮語のようにもなっちゃうけど(笑)、でも、言い出した以上はもう、すべてが自分の上に圧し掛かってるわけです。だから、今は自分の全精力を、その目的を果たすために動いている。寝てるときも、飯を食ってるときも、風呂に入ってるときも。その目的とは、〈夢〉っていう言葉なのか、あるいは〈責任〉という言葉なのか、どう表現すればいいのかは分からないけれど、でも、やらなきゃいけないことであるのは、間違いない」

 片山右京が自転車ロードレースのプロチーム、TeamUKYOを結成する方向で模索し始めたのは、2011年。チームが立ち上がり、国内プロツアーへの参戦を開始したのが、2012年。いわばこのチームは、今年でまだ3歳にしかならない、幼児も同然の集団だ。

 その集団が、果たして今から3年後に、世界最高峰のレースを走る水準に到達できているものなのか。

「人によっては、それを挑戦というかもしれないし、あるいは、ビジネスと割り切って見る人もいるかもしれない。でも、やるかやらないかでいうと、結論はひとつしかないんですよ。たとえば、クルマなんてのはF1でもパリダカ(パリ・ダカールラリー)でも、しょせんタイヤが四つにハンドルはひとつだ、アクセルを踏まないと前には進まないよ、というのと同じことで、自転車もペダルをこがないと倒れてしまう。自分のなかでは、ものすごくシンプルなことなんです」

 TeamUKYOは、活動を開始した2012年に国内プロツアーのチームランキングが4位。個人成績でも最高で5位を獲得した。初年度の成績としては、まずまず、といったところかもしれない。だが、年間総合優勝を果たしたチームと選手からは、ダブルスコア以上のポイント差をつけられていた。こんなレベルでは、とてもツール・ド・フランス参戦を射程距離に収めることができる実力とはいえない。

 だが、その集団が、2013年には圧倒的な獲得ポイント数の差をつけて、個人総合優勝と2位を獲得。チームランキングでも、ポイントを稼ぎまくって首位の座に就いてしまった。

 この急激なTeamUKYOの伸びしろには、なにか人を魅きつける〈勢い〉のようなものがある。

 過去にも、ツール・ド・フランス参戦を目標に掲げて活動をしていた日本のチームは存在した。

 現在でも、日本のプロチームや実業団には、欧州に活動の拠点を置いてツール・ド・フランス参戦を目指すチームがある。

 伝統と実績のあるこれら実力派チームと比べれば、TeamUKYOはいかにも若く、稚(おさな)いのは事実だ。

 しかし、若く稚いからこその、この〈勢い〉が、日本と欧州の間に立ち塞がる分厚い壁を、一点突破で一気に突き破ってしまいそうな、なにかそんな期待感を抱かせる。

 それはおそらく、自らの実力と行動力のみを頼りに渡仏してフォーミュラ・ルノー・フランス国内選手権参戦を果たし、やがてF1のシートを獲得してル・マン24時間レースやダカールラリー完走等々を果たすに至る、片山右京という人物の成し遂げてきた実績とオーバーラップするところがあるからなのかもしれない。

(次回に続く)

西村章●構成・文 text by Nishimura Akira