「ソト×ナカ」の化学反応を(千葉県・金谷)/小槻 博文
2014年2月、全国の地域活性プレーヤーによるピッチイベント「FANCLUB」が開催された。お目当てのプレーヤーを目的に参加したのだが、話を聴いてみると取り組みはともかく“人”に共感が持てず、正直期待外れだった。しかしながらそれまでは存じなかったものの“想い”がひしひしと伝わってくるプレーヤーにも出会うことが出来た。
今回紹介するNPO法人KANAYA共同代表の金子愛さん、西田直人さんもそんな熱い“想い”の持ち主だった。
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■外からの視点を取り入れるために
東京から特急に飛び乗り1時間、車窓には都会の雑踏とは180度異なる景色が広がっていた。
今回の舞台である金谷は市町村合併を繰り返して現在は富津市に属するが、以前は金谷村という一つの村だった。近隣には鋸山という山があり、そこでは良質な石が採れたため、採掘をはじめ運搬や販売など石に関わるさまざまな職業が存在し、50、60年前までは約3,000人の人口を有するなど長らく“石のまち”として栄えていた。
しかし時代とともに採石産業が年々衰退していくにしたがい、若い人が次々に都会へ出ていくようになり、それによって人口減少や高齢化が加速し、現在では約1,400名にまで半減してしまう結果に。そうしたなかでこの状況を何とか食い止めようと次第に住民の間で地域おこしの気運が高まり、そして2007年に地域おこしを取り組み始めることになった。
当初は地元住民のみで準備を進めてられてきた。しかしどうしてもその土地の人間だと当たり前になってしまい、その地域の魅力や良さになかなか気付けないことも多々あることから、外部視点を採り入れようという話になり、地主と共通の知人を介して2011年から加わったのが金子さんであり、西田さんだった。
金子さんは茨城県出身だが、小さい頃から地元を出たくて仕方がなく、大学進学をきっかけに上京したという。しかし地元へ友達を案内したときに「良いところだね」と言われたことをきっかけに、中にいては気づけなかった地元の良さに気付くとともに、もっと早く気付けなかったことに後悔すら感じるようになっていった。そこで就職後は地域活性にボランティアとして関わっていたが、もっと本格的に地域活性に取り組みたいと考えていたときに金谷の話が舞い込み、二つ返事で承諾した。
また西田さんは東京出身だが、東京生まれ・東京育ちということもあり、“田舎”という存在に幼いころから憧れを抱いていたという。また学生時代にボランティア活動に携わり、このような活動をきちんと事業として成立させたいという想いがあったこと、そして前職はデザイナーだったことから「デザイン×地域活性」の可能性を感じたことなど、さまざまな想いが絡み合って金谷の地域活性に参加することにした。
■「ソト×ナカ」の化学反応を起こすべく
そうした中で具体的にはどのような取り組みを進めているのか聞いた。
「半径5kmの中に集落と海・山の自然がコンパクトにまとまっているのが金谷の一番の魅力だと考えています。そこで、従来は木更津や館山、鴨川などに観光客は流れてしまい、金谷は通過点に過ぎませんでしたが、鋸山でのアウトドアや東京湾の綺麗な夕陽、新鮮な魚介類などを打ち出しながら観光客の誘致を図るとともに、東京から1時間強での距離という利便性を活かして移住や二拠点生活を促進できればと考えています。」(西田さん)
その活動拠点となるのが旧ホテル&フラワーハウスをリノベーションした「KANAYA BASE」だ。まずはKANAYA BASEをきっかけに外から人を呼び込み、金谷という地域を知ってもらい、そして地域の人と交流してもらう、つまり「ソト×ナカ」の化学反応を起こすための拠点であり、そのためにコワーキングスペースやアトリエなど個人事業主や芸術家向けのスペースを提供するとともに、定期的に交流イベントを企画・運営したりしている。
そして外から人を呼ぶこむために、近いとはいえやはり都会から多少なり距離があることから、WEBサイトやSNSなどデジタルコミュニケーションを中心に日常の情報発信をおこなっているそうだ。WEBサイトやSNSをきっかけに金谷のことを知ってもらい、足を運んでもらい、そして地元との交流を促す。そんな流れを作るように意識しながら取り組んでいるという。そしてデジタルコミュニケーションの中でもブログに特に力を入れている。
「以前はそれほど頻繁に更新していなかったのですが、やはりリアルタイムの金谷を知ってもらったり、またアーカイブされることで金谷のさまざまな側面を知ってもらったりすることが足を運んでもらうための動機付けになりますので、現在はほぼ毎日更新するようにしています。」(金子さん)
また日常的なデジタルでの情報発信に加えて、隔月くらいのペースで他所でのイベント・セミナーで講演したり、千葉県がイベントを出展される際などにはブースを構えさせてもらったりするなど、機会を見つけてはリアルの場でも「知ってもらう」ための活動を進めている。その他、ブログを日々更新したりネットメディアなどで取り上げられたりすることで、KANAYA BASEのサイトに辿りついて取材や登壇の依頼を受けるケースも最近は増えてきているとのことだ。
このように「デジタル」「リアル」を上手く組み合わせながら情報発信を進めているが、その際に意識することは「地元住民と外からの若者の連携」を如何に訴求するかだという。
「外から来た人たちは若い人が多いので、さもすると都会の若者が他所の土地で好き勝手にやっているという誤解を与えかねません。したがって、なぜ私たちが金谷に来たのか、私たちは金谷で何を実現したいのかという想いをきちんと語るとともに、地元の方々と若い人たちとが一緒になって取り組んでいることをきちんと発信できるように意識しています。」(西田さん)
■都会と田舎を共存させる新たなライフスタイルを見つける場
KANAYA BASEをオープンして約2年、従来はKANAYA BASEを軸にした取り組みが中心だったが、残念ながら老朽化によりKANAYA BASEは2014年末をもって閉鎖することが決まった。とは言え、地区内に古民家のゲストハウスをオープンさせたり、また金谷だけでなく周辺地域との連携も強化したりするなど、今後もさまざまな形で地域活性を推進していきたいという。
「金谷は東京から約1時間という距離にあるので、都会一辺倒ではなく都会と田舎を共存させる新しいライフスタイルを模索し、そして見つけることが出来る、そんなきっかけの場にしていくことが出来ればと思います。」(西田さん)
「中にいては気づけないことも多々ありますので、外の人と中の人とをつなげて、そしてそこから地域を盛り上げていく、そんな役割を今後も追求していきたいと思います。一方で外の人が出来ることはあくまで“きっかけ”づくりであり、最終的にはやはり中の人が主体的に取り組まなくては持続可能な形での地域活性は難しいと思います。したがってまずは「ソト」という立場で金谷に“きっかけ”を作った後は、今度は「ナカ」という立場で私自身の故郷の地域活性にも貢献していきたいと考えています。」(金子さん)
日本各地で移住施策を進める地域が多いなかで、各地域が単体で移住者を奪い合っても限界があるだろう。
そんななか金谷は首都圏から近いので、将来的に移住を検討している都会の人たちに対して、まずは気軽に田舎ライフを体験できる場としてポジショニングをとり、移住関心層を移住検討層へ変容させることで、金谷にとってはもちろん、日本各地にとっても意義が高いものになるのではないだろうか。
「移住関心層の態度変容を促す場」、そんな場があっても良いのかもしれない。そんなことを感じた今回の訪問だった。
今回紹介するNPO法人KANAYA共同代表の金子愛さん、西田直人さんもそんな熱い“想い”の持ち主だった。
■外からの視点を取り入れるために
東京から特急に飛び乗り1時間、車窓には都会の雑踏とは180度異なる景色が広がっていた。
今回の舞台である金谷は市町村合併を繰り返して現在は富津市に属するが、以前は金谷村という一つの村だった。近隣には鋸山という山があり、そこでは良質な石が採れたため、採掘をはじめ運搬や販売など石に関わるさまざまな職業が存在し、50、60年前までは約3,000人の人口を有するなど長らく“石のまち”として栄えていた。
しかし時代とともに採石産業が年々衰退していくにしたがい、若い人が次々に都会へ出ていくようになり、それによって人口減少や高齢化が加速し、現在では約1,400名にまで半減してしまう結果に。そうしたなかでこの状況を何とか食い止めようと次第に住民の間で地域おこしの気運が高まり、そして2007年に地域おこしを取り組み始めることになった。
当初は地元住民のみで準備を進めてられてきた。しかしどうしてもその土地の人間だと当たり前になってしまい、その地域の魅力や良さになかなか気付けないことも多々あることから、外部視点を採り入れようという話になり、地主と共通の知人を介して2011年から加わったのが金子さんであり、西田さんだった。
金子さんは茨城県出身だが、小さい頃から地元を出たくて仕方がなく、大学進学をきっかけに上京したという。しかし地元へ友達を案内したときに「良いところだね」と言われたことをきっかけに、中にいては気づけなかった地元の良さに気付くとともに、もっと早く気付けなかったことに後悔すら感じるようになっていった。そこで就職後は地域活性にボランティアとして関わっていたが、もっと本格的に地域活性に取り組みたいと考えていたときに金谷の話が舞い込み、二つ返事で承諾した。
また西田さんは東京出身だが、東京生まれ・東京育ちということもあり、“田舎”という存在に幼いころから憧れを抱いていたという。また学生時代にボランティア活動に携わり、このような活動をきちんと事業として成立させたいという想いがあったこと、そして前職はデザイナーだったことから「デザイン×地域活性」の可能性を感じたことなど、さまざまな想いが絡み合って金谷の地域活性に参加することにした。
■「ソト×ナカ」の化学反応を起こすべく
そうした中で具体的にはどのような取り組みを進めているのか聞いた。
「半径5kmの中に集落と海・山の自然がコンパクトにまとまっているのが金谷の一番の魅力だと考えています。そこで、従来は木更津や館山、鴨川などに観光客は流れてしまい、金谷は通過点に過ぎませんでしたが、鋸山でのアウトドアや東京湾の綺麗な夕陽、新鮮な魚介類などを打ち出しながら観光客の誘致を図るとともに、東京から1時間強での距離という利便性を活かして移住や二拠点生活を促進できればと考えています。」(西田さん)
その活動拠点となるのが旧ホテル&フラワーハウスをリノベーションした「KANAYA BASE」だ。まずはKANAYA BASEをきっかけに外から人を呼び込み、金谷という地域を知ってもらい、そして地域の人と交流してもらう、つまり「ソト×ナカ」の化学反応を起こすための拠点であり、そのためにコワーキングスペースやアトリエなど個人事業主や芸術家向けのスペースを提供するとともに、定期的に交流イベントを企画・運営したりしている。
そして外から人を呼ぶこむために、近いとはいえやはり都会から多少なり距離があることから、WEBサイトやSNSなどデジタルコミュニケーションを中心に日常の情報発信をおこなっているそうだ。WEBサイトやSNSをきっかけに金谷のことを知ってもらい、足を運んでもらい、そして地元との交流を促す。そんな流れを作るように意識しながら取り組んでいるという。そしてデジタルコミュニケーションの中でもブログに特に力を入れている。
「以前はそれほど頻繁に更新していなかったのですが、やはりリアルタイムの金谷を知ってもらったり、またアーカイブされることで金谷のさまざまな側面を知ってもらったりすることが足を運んでもらうための動機付けになりますので、現在はほぼ毎日更新するようにしています。」(金子さん)
また日常的なデジタルでの情報発信に加えて、隔月くらいのペースで他所でのイベント・セミナーで講演したり、千葉県がイベントを出展される際などにはブースを構えさせてもらったりするなど、機会を見つけてはリアルの場でも「知ってもらう」ための活動を進めている。その他、ブログを日々更新したりネットメディアなどで取り上げられたりすることで、KANAYA BASEのサイトに辿りついて取材や登壇の依頼を受けるケースも最近は増えてきているとのことだ。
このように「デジタル」「リアル」を上手く組み合わせながら情報発信を進めているが、その際に意識することは「地元住民と外からの若者の連携」を如何に訴求するかだという。
「外から来た人たちは若い人が多いので、さもすると都会の若者が他所の土地で好き勝手にやっているという誤解を与えかねません。したがって、なぜ私たちが金谷に来たのか、私たちは金谷で何を実現したいのかという想いをきちんと語るとともに、地元の方々と若い人たちとが一緒になって取り組んでいることをきちんと発信できるように意識しています。」(西田さん)
■都会と田舎を共存させる新たなライフスタイルを見つける場
KANAYA BASEをオープンして約2年、従来はKANAYA BASEを軸にした取り組みが中心だったが、残念ながら老朽化によりKANAYA BASEは2014年末をもって閉鎖することが決まった。とは言え、地区内に古民家のゲストハウスをオープンさせたり、また金谷だけでなく周辺地域との連携も強化したりするなど、今後もさまざまな形で地域活性を推進していきたいという。
「金谷は東京から約1時間という距離にあるので、都会一辺倒ではなく都会と田舎を共存させる新しいライフスタイルを模索し、そして見つけることが出来る、そんなきっかけの場にしていくことが出来ればと思います。」(西田さん)
「中にいては気づけないことも多々ありますので、外の人と中の人とをつなげて、そしてそこから地域を盛り上げていく、そんな役割を今後も追求していきたいと思います。一方で外の人が出来ることはあくまで“きっかけ”づくりであり、最終的にはやはり中の人が主体的に取り組まなくては持続可能な形での地域活性は難しいと思います。したがってまずは「ソト」という立場で金谷に“きっかけ”を作った後は、今度は「ナカ」という立場で私自身の故郷の地域活性にも貢献していきたいと考えています。」(金子さん)
日本各地で移住施策を進める地域が多いなかで、各地域が単体で移住者を奪い合っても限界があるだろう。
そんななか金谷は首都圏から近いので、将来的に移住を検討している都会の人たちに対して、まずは気軽に田舎ライフを体験できる場としてポジショニングをとり、移住関心層を移住検討層へ変容させることで、金谷にとってはもちろん、日本各地にとっても意義が高いものになるのではないだろうか。
「移住関心層の態度変容を促す場」、そんな場があっても良いのかもしれない。そんなことを感じた今回の訪問だった。