【F1】小林可夢偉、やっと完走も「ホッとしている場合じゃない」
「俺は一体、なにしてんねやろ?」
マレーシアGPの週末が始まった金曜の夜、小林可夢偉(ケータハム)はホテルのジムでランニングをしながらふと思った。
「金曜日の夜にこんなことしてることなんてないもんね。土曜日やったら分かるけど、金曜日やからね」
F1ドライバーは前後左右のG(重力加速度)と暑さという過酷な環境の中で305km、約2時間の決勝を走り続けられるだけの体力づくりを日々続けている。だから、周回数が比較的少ない予選日の土曜日は、基礎体力を維持するためにランニングやサイクリングをすることも少なくない。
ただ、計3時間のフリー走行でレース距離以上の周回数を重ねる金曜日は、本来ならば、そんな必要に迫られることなどない。たとえば、メルセデスAMGのルイス・ハミルトンは金曜日だけで53周を走り込んでいる。しかし可夢偉のマシンは開幕戦に続いてトラブルが続発し、この日もたったの5周しか走ることができなかった。
「ご飯だけ食べに(サーキットへ)来たみたいになってるんで、それだけは勘弁して欲しいですね(苦笑)。ここまで走れないというのも珍しい。僕はただ走りたいだけやのに......」
もちろん、可夢偉はサーキットでただ食事だけして無為に1日を過ごしているわけではない。エンジニアたちとミーティングを重ね、今後のセッションや開発についての議論を重ねている。
しかし、クルマが走らないことには、できることにも自ずと限界は見えてくる。
「僕らはまだ何もセッティングができていないんです。開幕前のテストからずっとね。それをやったらどれだけクルマに効果が出るか、まだ分からない。走れれば開発も進んでいくかもしれないけど、走れないことには何もできないですから。このクルマの悪いところを確認して、今後につながるデータ取りをしないと」
現状、ケータハムCT05はまだ可夢偉が本来のドライビングができるレベルに到達していない。クルマの持っているポテンシャルは別としても、ドライバーがクルマを信頼し、その限界まで攻めていける状態ではないのだ。
豪雨によって50分のディレイの後に行なわれた予選では、チームメイトのマーカス・エリクソンが縁石に乗ってコントロールを失い、激しいクラッシュを演じてしまった。少しでも無理な走りをすれば、可夢偉とてああならないとも限らないのが今のCT05なのだ。
「まぁ、恐いですよ。尋常じゃないくらい運転しづらくて。どこが悪いかといえば、全部です。どこかひとつでも満足できたら、もうちょっとタイムが良いと思いますけど、これからの開発の方向性をどうすればいいのか......。明日(決勝)はドライでも雨でも遅いと思うんで、どうせなら雪でも降ってくれれば良いんですけどね!(苦笑)」
そんな苦しい状態のクルマでも、可夢偉は「とにかく走りたい」と言った。
まずは56周のレースで1周でも多く走り込み、少しでも多くのデータを収集したい。決勝レースという場ではあっても、可夢偉とケータハムは目の前のライバルたちとレースをするのではなく、自分たちが前に進むために自分たちと戦っていた。
「できるだけたくさん走りたい。走りたくて仕方ないんです」
可夢偉は懇願するように言った。自分たち自身との戦いすらできない現状に、可夢偉は祈るような気持ちでマレーシアGPの決勝を迎えたのだった。
開幕戦のオーストラリアGPではスタート直後にリアブレーキを失い、1コーナーでクラッシュしてレースを終えてしまった。他車を巻き添えにしたことであらぬ誤解を招いたこともあり、可夢偉は万一またトラブルが起きても同じような事態にならないよう慎重に1コーナーへとアプローチした。
「誰もいないアウト側のラインを取りました、またぶつかったら何を言われるかわからへんもん(苦笑)」
それでもスタートダッシュの良さで可夢偉は20番グリッドから15番手へと浮上し、その後も安定したペースで順調に周回を重ねた。周囲のザウバーやマルシアと同等のペースで走ることができたのは、嬉しい誤算だった。可夢偉は周囲と戦うことになど目もくれず、無理をせず自分たちのペースで走り続けたのにもかかわらず、だ。
「今日はまず完走することを最優先に走ったけど、ちゃんと戦ってればザウバーより前に行ってたかもしれへんね。でも、まだそんなこと言ってる場合じゃないから。そんなことは気にせずに走らないと。クルマを学ぶにはまだまだ時間が必要なんやから」
可夢偉はとにかく目の前のレースではなくもっと先を見据えて淡々と走り、3回を予定していたタイヤ交換も2回に抑えてレースを走り切った。
赤道直下の高温多湿ゆえ、灼熱のマレーシアではコクピット内の温度は約60度にも達する。そんな環境で1時間40分のレースを終えたドライバーたちは汗にまみれで疲労困憊し、パルクフェルメ裏で待ち構える取材陣に対応できるまでにしばらくの時間を要する。最大でも2リットル程度しか搭載できないドリンクを飲みきってしまい、軽い脱水症状で朦朧としながら走り切ったドライバーもいたほどだ。
そんな中で可夢偉は、1年ぶりのF1レースであるにも関わらず平然とした顔でカメラの前に立った。
「いやぁ、レース(が終わるのが)早いなぁって思いましたね。あと1時間くらい行けますよ、僕。だって、(昨年は)24時間耐久レースやってたんやから(笑)。アレに比べたら短すぎるわ!っていうくらいです」
可夢偉はそう言って笑った。
元々ドライビング中にドリンクを飲まない可夢偉は、この暑さの中でもほとんどドリンクの消費はなかったという。
「去年の11月からF1に乗るって決めてトレーニングをしてきたし、そしたらいつの間にか体重も絞られて、2009年にデビューした(今より筋肉量の少なかった)時よりも軽くなったんです。たぶん、今のF1ドライバーの中で一番軽いと思う。今までで一番身体のコンディションが仕上がっているんです」
そんな可夢偉にとって、F1復帰が決まってからというもの、満足するにはほど遠い距離しか走ることができなかった2カ月間は、もどかしいものだったに違いない。だからこそ、ようやく射してきた光明に可夢偉の表情も明るく見えた。マレーシアの暑さなど、たいした問題ではなかった。
このクルマの良いところと悪いところ、そして自分たちの置かれたポジション。それが少しだけ見えてきた。
「僕らの目標はポイントを獲ることですけど、現時点でそんな争いはできないし、前とのギャップはまだまだ大きい。このクルマの伸びしろがどこにあるのかをちゃんと探して、そこを伸ばしていくことが大事です。他のチームだって進歩はしてくるから、一番のポイントは開発(の方向性)を失敗しないこと。それができれば、最終的にはポイントを獲れるところまでは行けるんじゃないかな」
しかし、可夢偉が見ているのはもっと先のことだ。"完走"という結果を出したことで緩みかけた気持ちを、可夢偉はグッと引き締めた。
「ホッとしている場合ではないと思います。来週もレースがあるし、この(バーレーンGPまでの)1週間で、次はトラブルなくまともに戦えるようにしないとね」
もっと先の飛躍を見据えて、可夢偉は自分たちとの戦いを続けていく。そのエネルギーはまだ十分に残されている。
米家峰起●取材・文 text by Yoneya Mineoki