【新車のツボ75】日産マーチ・ニスモS試乗レポート
このクルマは第65回のジューク・ニスモと同じく、特別スポーツ仕立てを施されたマーチである。カタログには"マーチ・ニスモ"と"マーチ・ニスモS"という2種類があるが、今回のツボグルマは後者。前者は、高速での浮き上がりをゼロにした本格エアロパーツに、絶妙によくできたステアリングホイール、専用サスペンション、パワステのチューニング程度(これだけでも、かなり本格的な内容だけど)にとどまるのに対して、末尾に"S"がつく後者は、それに輪をかけて飛躍的に手が込んだ内容である。
マーチ・ニスモSは、国内仕様のマーチ唯一の1.5リッター4気筒エンジンを積む(ほかのマーチはすべて1.2リッター3気筒)。まあ、エンジン本体は同社のジュークやキューブなどにも積まれる普通の実用品なんだが、ニスモSではそこにさらに専用のライトチューンを施す。これが第一のツボ。続いてギアボックスも、マーチはおろか日産全体を見ても今や超絶に希少な5MT! これが第二のツボ。
そのほかにも、各部を専用強化したボディ、よりハードな専用サスペンションに専用ブレーキ、ブリヂストン最強のポテンザRE11というタイヤ、スポーツシート、アルミペダル、専用メーター......と、専用とか最強、スポーツにアルミといった言葉が大好物のマニア筋には、マーチ・ニスモSはツボだらけなのだ。
さて、そんなマーチ・ニスモSは普通のマーチよりは圧倒的に速い。ただし、失礼ながら、これはあくまでマーチであり、しょせん1.5リッター自然吸気エンジンでしかないのも事実でもある。
たとえば、これと似たようなスペックをもつ競合車に、スズキ・スイフトスポーツ(第39回参照)やホンダのフィットRSがあり、マーチ・ニスモSがこれらに較べて特別に速いわけではないし、ベース車両のマーチがそもそも小さめで安価なクルマなので、基本フィジカルも余裕たっぷりとはいえない。競合車と同じようなペースで走ろうとすると、マーチ・ニスモSはけっこう乗り手のウデと勇気、そして工夫を必要とする。
ただ、そういう行為こそクルマ趣味の醍醐味であり、メチャクチャ楽しい。
専用チューンというエンジンも、絶対的にはどうってことない性能ながら、アクセルペダルに力を入れた瞬間から明確に加速態勢をとるレスポンスが刺激的。回転上昇に正比例してパンチがグイグイ出てくるのも古典的だけど快感。ガオガオ系のエンジン音に高級感はまるでなくとも、ヌケがいい音質なので素直に迫力。これをシフトレバーをカキコキして自在に操れるんだから、こりゃたまらない。
ハンドリングや乗り心地も同様だ。イマドキはどんなに速いスポーツカーでも、しなやかで快適で洗練されているのが基本......の時代だが、マーチ・ニスモSはかぎられた基礎能力を、とにかくギッチギチに補強して締め上げた感じ。良路では許容範囲の乗り心地も、路面が荒れると明確にズンドコ系になるし、いろんな騒音は直接的に耳に入るし、身のこなしは上品なしなやかさとは正反対だ。
それでも、操縦性はとにかくキレッキレ! その走りはまるでパチンコ玉のように弾ける。サスペンションが根本的に硬くて、ボディも小さいのでアラっぽい運転への許容範囲はせまいが、ときに跳ねたり暴れたりしそうになるのを、自分の創意工夫でなだめすかして乗りこなしたときは、そりゃもう至福の快感......というタイプのクルマである。
今回もまたオヤジの昔話になってしまうが、このマーチ・ニスモSのように、安くて、日常で楽しめる程度にちょっと速くて、ハマった人にはどんな高級車より美味しい......というクルマはたくさんあった。マーチ・ニスモSはそんな"クルマ版B級グルメ"の典型であり、いまという時代にこの種のツボを押さえたクルマは本当に貴重である。
最後に、マーチ・ニスモSの名誉のため付け加えておく。このクルマは多少ヤンチャすぎる面もあるが、高速ではステアリングに手を軽く添えるだけでズバーンとまっすぐ走るし、前出の鬼グリップタイヤ(ポテンザRE11)にボディやアシの剛性が負けた感がまるでない。これらの点はお世辞ぬきで感心する。
マーチ・ニスモSは古典的だが、古臭いわけではない。このクルマの本当のツボは、なんだかんだいっても意外に悪くないマーチの血筋と、考えられる手を尽くしてつくった人たちのセンスと情熱、そしてプロフェッショナルな仕事っぷりである。
佐野弘宗●取材・文 text by Sano Hiromune