突然の解散を発表したユウキロック、水道橋博士メルマガで理由を明かす
25日、突然の解散が発表された漫才コンビ、ハリガネロック。3月22日に行われるルミネtheよしもとの舞台出番が、ハリガネロックとして最後の出演となるという。ボケ担当だったユウキロックが、25日配信のメルマガの中で、突然の解散の理由について触れている。
このメルマガは、ユウキロックが漫才論、芸人論などを書き綴る連載「芸人迷子〜終わってる、いや終わってない〜」第一回目。ハリガネロックが解散を発表した同日25日に、「水道橋博士のメルマ旬報vol.032」にてスタートした。
この第一回連載のタイトルは、ずばり「漫才が大好きだ。だから漫才を辞める」。その中でユウキロックは、こう語っている。
「大阪で育った僕は当然、漫才が大好きで毎日毎日見ていた。小学生の頃、漫才ブームが到来し、やすしきよし、ツービート、紳助竜助に腹を抱えて笑っていた。(途中略)
毎日毎日見続けた漫才。いつしか漫才で笑わなくなった。嫌いになったわけではない。分析するようになったのだ。「あのボケはその次のフリにもなってるんや」、「ツッコミの間隔を短くして、テンポ出してるんやな」と素人ながらに分析し、なぜかメモをしていた。そしてその分析が正しいのかどうか確かめたくなった。確かめるには飛び込むしかない。お笑い芸人を目指すのは必然だった。俺は漫才が大好きだった。」
途中、将来を嘱望されながら急逝した若手漫才コンビ、ベイブルースの故・河本栄得との思い出や、2012年に解散し芸人引退した元ストリークの吉本峰之への思いを書き連ねながら、ユウキロックは自身が解散を決意した経緯をこう綴っている。
「もうこの歳になったら売れてない芸人を続ける方が辛い。続けるやつが「不幸せ」。そして辞めて新たな道を手に入れるやつは「幸せ」。勘違いだった。吉本は泣いていた。「道」を変えたものにしかわからない悲しみ。こんな俺でも吉本から見たら「幸せ者」に見えたのかもしれない。」
「毎年暮れにプロ野球を戦力外になった選手に密着する番組がある。あの番組を見て毎回思う。今の自分の状況だったら戦力外通告されているだろうなということだ。幸い我々の世界に戦力外通告はない。しかしある時に気づいてしまった。仕事の少なさ、メディアの露出量、そんなことを踏まえたら「辞めてはいないが辞めているようなもの」だなと。芸人やっていますというのは、気持ちだけの問題になってきている。実態がなくなってきているのだから。」
そうした上で、「俺は漫才に命をかけていた。」と言いきるユウキロック。でもだからこそ、逆に命をかけるような漫才をしていなければならない、でも今の自分にもこれからの自分にも、それができるとは思えない、とも。
「「金を稼ぐ」ために漫才をしていたのだが、胸を張って漫才で金を稼げなくなった。だから決めた。
俺は漫才を辞めます。」
死を少し意識するようになった人生の折り返し地点で、漫才をやめて一人になる決意をしたユウキロックは、「もう言い訳ができない状態に追い込んだ。俺は狂気を取り戻す。」と、最後、結んでいる。
ハリガネロックは今後、ツッコミ担当・大上邦博は芸人や司会者としての活動を続けつつ、各地で子供に読み聞かせを行うなど「パパ芸人」として活動、ボケ担当・ユウキロックは、自ら考案した「演芸インストラクター」という肩書のもと、タレントとしての出演のみならず、演芸講師として「教える」こともしていくそうだ。
【参照リンク】
・水道橋博士のメルマ旬報
http://www.webdoku.jp/premium/merumaga/page/s_hakase.html3
このメルマガは、ユウキロックが漫才論、芸人論などを書き綴る連載「芸人迷子〜終わってる、いや終わってない〜」第一回目。ハリガネロックが解散を発表した同日25日に、「水道橋博士のメルマ旬報vol.032」にてスタートした。
「大阪で育った僕は当然、漫才が大好きで毎日毎日見ていた。小学生の頃、漫才ブームが到来し、やすしきよし、ツービート、紳助竜助に腹を抱えて笑っていた。(途中略)
毎日毎日見続けた漫才。いつしか漫才で笑わなくなった。嫌いになったわけではない。分析するようになったのだ。「あのボケはその次のフリにもなってるんや」、「ツッコミの間隔を短くして、テンポ出してるんやな」と素人ながらに分析し、なぜかメモをしていた。そしてその分析が正しいのかどうか確かめたくなった。確かめるには飛び込むしかない。お笑い芸人を目指すのは必然だった。俺は漫才が大好きだった。」
途中、将来を嘱望されながら急逝した若手漫才コンビ、ベイブルースの故・河本栄得との思い出や、2012年に解散し芸人引退した元ストリークの吉本峰之への思いを書き連ねながら、ユウキロックは自身が解散を決意した経緯をこう綴っている。
「もうこの歳になったら売れてない芸人を続ける方が辛い。続けるやつが「不幸せ」。そして辞めて新たな道を手に入れるやつは「幸せ」。勘違いだった。吉本は泣いていた。「道」を変えたものにしかわからない悲しみ。こんな俺でも吉本から見たら「幸せ者」に見えたのかもしれない。」
「毎年暮れにプロ野球を戦力外になった選手に密着する番組がある。あの番組を見て毎回思う。今の自分の状況だったら戦力外通告されているだろうなということだ。幸い我々の世界に戦力外通告はない。しかしある時に気づいてしまった。仕事の少なさ、メディアの露出量、そんなことを踏まえたら「辞めてはいないが辞めているようなもの」だなと。芸人やっていますというのは、気持ちだけの問題になってきている。実態がなくなってきているのだから。」
そうした上で、「俺は漫才に命をかけていた。」と言いきるユウキロック。でもだからこそ、逆に命をかけるような漫才をしていなければならない、でも今の自分にもこれからの自分にも、それができるとは思えない、とも。
「「金を稼ぐ」ために漫才をしていたのだが、胸を張って漫才で金を稼げなくなった。だから決めた。
俺は漫才を辞めます。」
死を少し意識するようになった人生の折り返し地点で、漫才をやめて一人になる決意をしたユウキロックは、「もう言い訳ができない状態に追い込んだ。俺は狂気を取り戻す。」と、最後、結んでいる。
ハリガネロックは今後、ツッコミ担当・大上邦博は芸人や司会者としての活動を続けつつ、各地で子供に読み聞かせを行うなど「パパ芸人」として活動、ボケ担当・ユウキロックは、自ら考案した「演芸インストラクター」という肩書のもと、タレントとしての出演のみならず、演芸講師として「教える」こともしていくそうだ。
【参照リンク】
・水道橋博士のメルマ旬報
http://www.webdoku.jp/premium/merumaga/page/s_hakase.html3