【インタビュー】編集者・斎藤和弘 /  ゲイと女子。ファッション写真は本当に終焉したのか? (第3回/全4回)

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取材・文: 合六美和  写真: 三宅英正  取材協力: B bar Roppongi

 

コンデナスト・パブリケーションズ・ジャパンの代表取締役を務めながら、『VOGUE NIPPON』(現『VOGUE JAPAN』)と『GQ JAPAN』の編集長も兼務していた斎藤和弘氏が、突然同社を退社する旨を公表して業界を騒がせたのは、いまからおよそ3年前のことだ。退社後は「毎日が夏休み」と話す斎藤氏だが、抜群のビジネス感覚を備えた稀有な編集者の才能を周囲が放っておくわけもなく、現在も新旧複数のメディアからの招聘に応じながら、編集者やアドバイザーとしての活動を続けている。

バブル崩壊後に低迷していた『BRUTUS』を一気に黒字媒体へと転換させ、さらに兄弟誌『Casa BRUTUS』の創刊で時代の波をいち早く先取りし、『VOGUE NIPPON』では広告主導のラグジュアリーなメディアとしての地位を確立させるなど、雑誌業界において常に頭ひとつ抜けた存在であり続けた斎藤和弘氏に、ここでは改めて「雑誌とは何か?」という話から聞いていこうと思う。続けて、「ラグジュアリーブランドは今後どこへ向かうのか?」「ファッション写真は本当に終焉したのか?」というふたつのトピックスをもとに敢行したインタビューを、全4回にわけてお送りする。

 

(第1回/全4回)【インタビュー】編集者・斎藤和弘 /  雑誌と新書とウェブ。いまストーリーはどこに流れているか?
(第2回/全4回)【インタビュー】編集者・斎藤和弘 /  ラグジュアリーの条件。ブランドはどこに成立するのか?
(第3回/全4回)【インタビュー】編集者・斎藤和弘 /  ゲイと女子。ファッション写真は本当に終焉したのか?
(第4回/全4回)【インタビュー】編集者・斎藤和弘 / 「はっきり」と「ぼんやり」。いま面白い写真とは?

 

- 以前、『WWDジャパン』のファッション・ウェブ・アワード2011で、ファッション写真の終焉についてコメントなさっていましたが、具体的なエッジはどこにあるのか、もう少し伺いたいと思っていました。

1980年代から90年代にかけての、ほぼこの四半世紀の間に、ファッション写真は滅茶苦茶に大掛かりなものになりました。Gucci (グッチ)、LOUIS VUITTON (ルイ ヴィトン)、CHANEL (シャネル) など、メガブランドのシーズンキャンペーンに、膨大なお金がどんどん投入されたわけです。このキャンペーンの考え方自体が最初に出てきたのはもう少し前で、Calvin Klein (カルバン クライン)、Giorgio Armani (ジョルジオ アルマーニ)、Ralph Lauren (ラルフ ローレン) あたりがブランドとして成立し始めた70年代後半までさかのぼります。ここが、ブランディングのために使うADキャンペーンの始まりです。ハイエンドモードのグローバル化が進んで、そのビジネスモデルというのがアリだなとみんな気づき始めたわけです。Peter Lindbergh (ピーター・リンドバーグ)、Steven Meisel (スティーブン・マイゼル)、Bruce Weber (ブルース・ウェバー) 等々。たとえば2000年前後に Calvin Klein のシーズンキャンペーンを手掛けた Steven Klein (スティーブン・クライン) は、2週間でギャラ3億円とか言われていましたから、彼らはある種のミリオネアですよ。ただしその契約は、カタログから何から全てを撮るというものなので、クラインはひと月弱スタジオに籠りっぱなしだったって言っていましたけど。とにかくそういう時代でした。

そして1994年、Tom Ford (トム・フォード) が Gucci のクリエイティブ・ディレクターに就任した時、彼がやったことは何だったか。メガストアとメガキャンペーンです。世界中の主なメガロポリスにはメガストアがあり、そこでは世界同時にメガキャンペーンが貼られていて、というやり方です。ハイエンドファッションは非常に投資対象になりますよ、という世界です。それでどんどんお金が入ってきました。どんどん使って、ファッション写真はそういうものになってきました。気がついたら、そこだけが肥大化していました。いまや世界中のあらゆるブランドがメガキャンペーンをやっています。モード誌に必ず載せます。で、いまどうなっていますか?みんな飽きていませんか? そもそも1キャンペーンで出てくる写真は、せいぜい10枚かそれより少ないくらいです。そんな効率の悪いことは、みんなもうやらないでしょう?ファッション写真の終焉とはそういうことです。

 

- そしていまは、スナップ的なアプローチの写真が台頭している。

そう。いまはADキャンペーンっぽいものではなくて、むしろブロガーが撮っているようなスナップ写真のほうがファッションなんじゃないの?という時代になっている気がしますね。作り込んだものよりも、リアルなもの。何をもってリアルというのかは難しいですけれど。たとえばハイエンドモードの頂点がパリコレだとします。その場合、パリコレのクリエイションを作った人は誰ですかといったら、デザイナーですよね。ほぼ全員男ですよね、でも誰もメンズの話はしません。ファッションでメンズは付け足しでしかない。基本的にはウィメンズの話です。では、そのウィメンズのクリエイションを作っているのは誰ですかといったら基本的に男で、彼らはほぼ全員ゲイです。じゃあそのゲイの人たちは,何を思ってこの女性のファッションを作っているのですかといったら? ある種の理想の女性像を作り上げているわけでしょう。それは洋服であろうがメーキャップであろうが同じです。問題は、そのビューティを追求している人が実は男、ゲイであるということです。つまりそこには非常に人工的で、想像上の世界が広がっています。だからパリコレは面白いんです。だけど考えてみましょうよ、そうやって人工的に作ってきた世界って、みんな居心地が悪くなっていませんか?と。その辛さが、20世紀の終わりとともにだいたいみんな見えたわけです。




- なぜ急にリアルファッションになったのでしょう?

最初はおそらく Chloé (クロエ)。Stella McCartney (ステラ・マッカートニー [1997年〜]) と Phoebe Philo (フィービー・ファイロ [2001年〜]) が手掛けていた頃の Chloé です。パリコレのなかでは唯一、ゲイでなければオバさんでもない、30歳前後の自分たちが着たい服を作ったコレクションでした。女性の若いデザイナーはもちろん他にもいましたが、この2人は最も注目されるブランドでリアルを作ったということです。以来、みんなどんどんリアルになってきました。なぜ急にリアルになったのかというと、みんななんとなくそう思っていたからです。そうなってくると、莫大なお金をかけてファッション写真を撮る意味もなくなってきますよね。

たとえば Marc Jacobs (マーク・ジェイコブス) は以前からずっと Juergen Teller (ユルゲン・テラー) を起用してADキャンペーンをカシャカシャと撮り続けていますが、やっぱり Marc は早いですよ。あるいは Terry Richardson (テリー・リチャードソン) を起用して撮るというのも、いまのスタイルなのだと思います。で、その究極が Bill Cunningham (ビル・カニンガム) でしょう。去年アメリカで彼のドキュメンタリー映画が公開されて話題を呼んでいる、『The New York Times』のスナップフォトグラファーです。彼は元祖ブロガーです。実際にブログはやっていなくても、彼が50年にわたってやり続けていることはブログの原型なんです。

 

- 夢から醒めたという感じですね。リアリティを感じることが大事な時代になったと。

デザイナーにしてもフォトグラファーにしても、ファッションのクリエイションにおいて立派な人はゲイであり、彼らはずっと「こうあるべき」だと主張してきた。だけどね、こうあるべきだという「はっきり」したものは、自分じゃないから成立するんです。もしこれが女性だった場合は、それほどはっきりとは言えないものです。だからいまのファッション写真、つまりスナップ的なものに写っているのは「はっきり」じゃなくて「ぼんやり」。こうあるかもしれないし、こうじゃないかもしれないけど、いまの気分はこんな感じ?というような「ぼんやり」感です。でもそれがいまはリアルであり、ファッション写真になっているのでなはいかという気がします。

 

(第1回/全4回)【インタビュー】編集者・斎藤和弘 /  雑誌と新書とウェブ。いまストーリーはどこに流れているか?
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斎藤和弘 (さいとう・かずひろ)
1955年山形県山形市生まれ。78年東京大学卒業後、雑誌『太陽』(平凡社)の編集者としてキャリアをスタート。81年平凡出版(現マガジンハウス)に入社し、『平凡パンチ』『BRUTUS』『POPEYE』の編集部に勤務。96年『BRUTUS』編集長に就任。98年兄弟誌『Casa BRUTUS』を創刊し、編集長を兼務。2001年コンデナスト・パブリケーションズ・ジャパンの代表取締役社長に就任。『VOGUE NIPPON』(現『VOGUE JAPAN』)『GQ JAPAN』の編集長も兼務する。09年末に退社。現在はトキドキ編集者、タマタマ大学教授。