CROSS x TALK「技術は生命を理解できるか?」(6)【テレスコープマガジン】
生物学の視点から出発して「生命とは何か」を思索し続ける福岡伸一氏(生物学者 青山学院大学教授)。
一方の阿部裕輔氏(医用工学者、医師 東京大学准教授)は、医用工学の立場で人工臓器を開発し、「生命を救う」手段を研究している。
異なる分野に携わる二人が思い描く、生命の本質とは。
そこに、技術はどのように関わっているのだろうか。
生命はシステムか、ダイナミズムか?
福岡 ── 科学は可能なことを教えてくれますけれど、絶対にできないことも教えてくれますよね。例えば、永久機関というのは、過去ずっといろいろな人が作り続けたけれども「エネルギーの保存の法則」から絶対にできません。
──生命になぜ寿命があるんでしょうか。
福岡 ── テロメア説とか、細胞の分裂限界説とか、いろんな説や理論がありますけれども、一番の根本は、エントロピー増大の法則には決して逆らえないからです。つまり、秩序あるものは秩序がなくなる方向にしかいかない。多少は遅くしたり、長らえることはできるかもしれないけれども、不死にすることはできません。
個体が次々と死んでいくのは、その個体だけを見ると悲しいことだし、医学にとって患者の死は敗北に見えることもあるかもしれない。けれども、生命の全体の流れから見ると、死というのは最大の利他的な行為なんです。ある個体が死ぬから、新しい個体がその場所を継いでいくわけだし、死んだ個体の分解物を他の生物が利用できるのですから。
それが38億年の間、地球上では連綿と続いてきました。生命が死ななかったら、進化もないし、多様性も生まれなかったでしょう。だからやっぱり死というのは、あらかじめ生命にとって準備されたものだと私は思うんです。
──福岡先生の「動的平衡」論に対して、阿部先生の感想はいかがですか。
阿部 ── 私は生命はシステムだと思っていますが、おそらく見方の違いだけだと思います。システムと言っても、サイバネティクスを提唱したウィナー*16の言うような、単純なシステムではないんですね。ダイナミックに動いているシステムですし、1つのシステムではなくて、2つ以上のシステムが絡まっている複雑系ですから、当然カオスになっています。初期値依存性にどんどん変わって揺らいでいるけれど、あるアトラクターの中には収まっているようなシステムなんです。人間はまさしくそうなんですが、人間の精神もそういうふうに理解できるような時代になったのではないか、と私は先ほど言いたかったんですね。
福岡 ── 生命をシステムと捉えるか、ダイナミズムと捉えるかは、二項対立のようにも見えるけれども、見方の違いでもあると言うのは面白いですね。何をシステムと呼ぶかという定義の問題でもある。それは本当にカオスであり、どういうふうに振る舞うかは予測できないようになってしまう。
しかし、ある初期値を与えて、その中で阿部先生はアトラクターとおっしゃいましたが、そのいくつかの変数というか、要素ですよね。その振る舞いによって、あるいはその要素と要素の因果関係によって、ものすごく複雑なプログラムになるんだけれども、最終的には記述可能であると。つまり、時間の変数として各要素の振る舞い方を記述すれば模倣できる、と考えるのがシステムの考え方だと思うんです。
生命をシステムとして見なしきれるか、私はちょっと懐疑的です。生命の振る舞い方の中には、全く初期値が同じでも、あるいはその後いろいろ与えられた条件が全く同一でも、違う状態というのがいっぱいあると思うんです。時間の関数としてすべての変数の振る舞いが予言できたとしても、その結果が違う。これは私の勝手な見解なので生物学者の共通の理解では全然ないのですが、因果律だけでは説明できないようなことが生命の中にあるような気がしています。
阿部 ── ハードウェアとソフトウェアを別々に考えられるようになり、古典的な人間機械論は有効でなくなったのが現在です。つまり、デカルトはもう要らないよとなった今、医用工学には何ができるのか。人工臓器もただ作ればいいという時代ではなくなりました。
目の中に入れる白内障治療の眼内レンズみたいなものは確かに物質のみです。でも、もっと複雑なものを作ろうとすると、形だけ作っても決してできないんですね。中にどういうソフトを詰め込むかがすごく大事になってくる。体の持っているシステムのソフトと、人工臓器のソフトをどういうふうに合わせるかが、重要な研究課題になってきています。ハードも大事だけどソフトも大事という、おそらく生物学もそちらの方向に向かうんでしょう。
福岡 ── 最終的に科学は言葉で説明しないと出口に行かないわけですから、言葉で説明することが求められます。生命はシステムなのか、ダイナミズムなのか。仮にダイナミズムだとしても、要素を枚挙できただけでは分からないわけだから、それはどのようにしたら記述できるのか。
実験科学としての研究は若い人たちに委ねて、今後は哲学として生命を考えたい。私は「生命とは何か」という命題を、自分自身の言葉で考えていこうと思っているところです。
(完)
(構成・文/神吉 弘邦 写真/渋谷 健太郎)
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記事提供:テレスコープマガジン