『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』パンフレット。本編では、推しメンのあの子をもっと映してほしいと思う暇もないほど、次から次へといろんなことがスクリーン上に映し出される。パンフレットはアマゾンでも販売中だが、映画館では割安で入手できるので、ぜひ鑑賞する際にお買い求めを。

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前年に続き2012年の年明けにもAKB48のドキュメンタリー映画が公開される。その情報を知ったのは去年の年末ぐらいだっただろうか。1年前の2011年1月に公開された『DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 「10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?」』(寒竹ゆり監督)は、エキレビ!でも紹介したように、2010年のAKBの活動を振り返りながら各メンバーの横顔や将来の夢をインタビューなどを通じて紹介するという趣向だった。

今年は『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』というタイトルで、監督をこれまでAKB関連では「10年桜」など数々のミュージックビデオを手がけてきた高橋栄樹が務めるという。はたしてどんなものになるのか。監督は変わっても基本的な形は去年と変わらないのでは……なんてタカをくくっていたのだが、1月27日の封切り前後よりツイッターなどにちらほら流れ始めた感想を見ると、どうも様子が違う。これまでAKBに関心のなかったような人が高く評価していたり、ファンのあいだでも「重たい」といった感想や、なかには「これは一種の戦争映画」などと形容するツイートも見られ、がぜん興味が募った。

というわけで、わたしも映画館で観てきた。冒頭からして、昨年のドキュメンタリーが主要メンバーによるレストランでの会食シーンからほのぼのと始まったのに対し、今年はまるっきり違う。映画は「2011年3月11日 東日本大震災」という字幕から始まった。震災を受け秋葉原のAKB48劇場での公演はしばらく休止、その月末に予定されていた横浜アリーナでのライブも中止となった。そして震災直後、自分たちの無力さを感じたという、AKBリーダーの高橋みなみの言葉が流れたのち、スクリーンには見慣れないメンバーが登場する。AKBで唯一今回の震災で被災した研究生の岩田華怜(かれん)だ。その前月に12期生オーディションに合格したばかりだった岩田は震災当日、体調が悪く仙台市内にある自宅で寝ていたが、揺れを感じてすぐに避難したという。彼女は映画の後半にも登場し、震災後の決意を語ったりと、本作の主役のひとりともいえる役割を与えられている。

AKBと震災とのかかわりでいえばまた、AKBほか姉妹グループであるSKE48やNMB48から有志を募って、岩手県大槌町を手始めに被災地への訪問が震災の2カ月後より随時続けられてきた。今回の映画でもその様子がとりあげられている。バスの車窓から災害の爪痕を目の当たりにして言葉を失っていたメンバーたちだが、到着したミニライブの会場で集まった人々から歓迎を受けたとたんに表情がやわらぐ。その後、彼女たちが地元の人たち、とくに子供たちに温かく接していたのが印象的だった。まさに日頃より劇場公演や握手会で鍛えられている“会いに行けるアイドル”の面目躍如という感じだ。

2011年6月には、ファンのみならず広く話題を呼んだAKBの選抜総選挙が実施された。開票結果の発表会場となった日本武道館にて、下から順位が発表されるごとに一喜一憂するメンバーたち。そしてトップには周知のとおり、前年の総選挙では前々年の1位から2位に陥落した前田敦子が、前年1位の大島優子をしのいで返り咲いた。このとき大島が前田にエールを送るシーンはテレビでも繰り返し流されたけれど、その舞台裏で大島が篠田麻里子に抱きかかえられて号泣していたとは知らなかった。大島の負けず嫌いな性格の現れだろう。一方の前田も、2位に大島の名前が呼ばれたとたんワッと泣き出し、舞台を降りても高橋みなみの胸のなかで嗚咽を続けていた。

やはりAKBは前田と大島抜きには語れない。子役出身でバラエティもドラマも器用にこなす大島が、昨年版のドキュメンタリーでAKB卒業後の展望について迷いなく語っていたのとは対照的に、前田にはどこかまだ自信のなさがうかがえた。にもかかわらずAKBの結成以来、ほとんどのシングル曲でセンターポジションを務めてきたのは、大島ではなく前田である。それについて疑問に思っている人も少なくないかもしれない。だがその理由も、続く7月に開催された西武ドームでの前田の姿を見れば、きっとわかってもらえるはずだ。

AKB結成以来最大規模となった西武ドームのライブの模様はテレビでも放映され、そこでは初日の公演終了後、総合プロデューサーの秋元康がメンバーたちに「きょうの出来は最悪」と苦言を呈す場面も見られた。しかし具体的にどこがひどかったのか? 映画ではバックステージで起きていたことがあきらかにされる。同公演にはAKBほか48グループから100人を優に超える出演者が集められた。それだけにメンバーたちが段取りが呑みこめず舞台裏で右往左往する事態があちこちで生じていたのだ。初日の終演後、秋元プロデューサーの言葉を受けて各グループに分かれて夜遅くまでダンスを復習する彼女たち。翌日も公演を前に、朝からステージ上での位置などを確認する。そのなかでメンバーの一人が緊張のあまり過呼吸に陥ってしまう。ほかならぬ前田だった。

2日目の公演は、前田以外にも熱中症で倒れるメンバーが続出する。先に紹介した「まるで戦争映画」と誰かがたとえていたのは、この場面を指してだった。ステージ上からは明るい曲がガンガン流れるなか、その裏側は修羅場と化していたのだ。それでも無理を押してステージに向かうメンバーたち。前田も一時的に回復を見せ、舞台裏でひとり振りつけの再確認に集中する。それでもステージに立てるかどうか常に不安はつきまとった。とくに公演終盤、新曲「フライングゲット」のお披露目の時点で彼女はほぼ限界に達しており、なかなかステージ上に現れない。それをトークやアドリブによって時間をつなぐ高橋みなみ以下、ほかのメンバーたち……その緊張感といったらない。

こうして見ただけでも、前田はけっして完璧なアイドルとはいえないだろう。しかしAKB結成以来、何度もあった危機を必死になって乗り越えてきたこそ前田敦子の魅力そのものであり、AKB全体の魅力でもあるのだ。そのことに、この映画を観てあらためて気づかされた。

それにしても、舞台裏でメンバーが倒れる様子はやばかった。もしこれをテレビのリアリティーショー的な番組で見せられたらどうだったろう。同じ場面を派手なテロップ、ナレーションで扇情的にあの光景を伝えられたのなら、おそらくわたしはスイッチを切っていたはずだ。それが、この映画に対しては不思議と正視することができた。これは一体どういうことだろう。

それは、事態を現在進行形のできごととしてではなく、あくまで一年間を振り返ったなかの一場面としてとりあげるという映画ならではの距離の取り方のせいなのかもしれない。西武ドーム公演を経験した柏木由紀や宮澤佐江らが後日談として、「またひとつやりとげたと思った」「演出家になりたいと思った」などと冷静かつ明るく振り返っていたのにも救われた。

映画後半にとりあげられる「チーム4」の軌跡もまた、展開としてはリアリティーショー的である。チームA、チームK、チームBに続くAKBの新チームとして昨年6月に結成が発表されたチーム4だが、活動を始めた直後にキャプテンの大場美奈がスキャンダルを理由に謹慎処分を申し渡される。この危機がどう乗り越えられたのか、映画では大場ともうひとり、彼女の自粛中にキャプテンを代行した島田晴香を軸に描かれている(この2人がまたまるで正反対のキャラで面白い)。その結末があまりにもきれいすぎて、これがフィクションなら「何てベタなんだ!」とツッコミを入れるところだが、思わず涙を誘われた。

この映画では、アジア各地へのメンバーの訪問やじゃんけん大会、そして年末のレコード大賞受賞、紅白歌合戦出演と、華やかなできごともとりあげられる一方で、先に書いたように断続的に実施された被災地訪問の模様も逐次紹介されている。去る11月の岩手・陸前高田の訪問の際には前出の研究生・岩田華怜の姿もあった(ちなみに本作の監督である高橋栄樹も盛岡出身で高校時代を仙台ですごしており、今回の被災地には子供の頃から知っている場所も多いという)。

AKBにとって2011年に起こった震災をはじめとする数々のできごとは、グループの存在意義をはからずも再確認させることになった。この映画は彼女たちの一年間を余すことなく記録し、華やかな部分もシビアな部分も畳みかけるように見せつける。エンドロールで再び「少女たちは傷つきながら、夢を見る」というサブタイトルが出たとき、それに込められた意味がより深く、重いものに感じられた。

昨年のドキュメンタリーを観たわたしは、「自分もAKBに入りたい」と無邪気にも書いた。しかし今年のドキュメンタリーを観たあとでは、とてもじゃないけど軽々しくそんなことは言えない。それでもこれだけは言わせてください。AKBメンバーのなかでも大の親友同士である指原莉乃と北原里英がミュージックビデオ撮影中にやっていた“エキストラごっこ”(自分たちはエキストラで撮影に参加しているという設定であれこれ話を膨らませる、ちょっぴり自虐的なお遊び)には、自分も混ぜてほしい! と思ったということを。(近藤正高)