『猫ひろしのマラソン最速メソッド〜市民ランナーのサブスリー達成術』猫ひろし/ソフトバンク新書
様々な練習方法、毎日の食事、そしてマラソンを楽しむためのコツなど、マラソンファンにも必見の一冊です。

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「猫、まっしぐら!」

誰もが心の中で思っていて、でもあえて口にしなかったこのフレーズを堂々と実況に織り込んでくれた昨日のマラソン中継。でも、この言葉が一番しっくり来たのも確かだ。2時間30分26秒の50位。別府大分毎日マラソンにおける猫ひろしの走りは、その記録以上に我々に訴えかけるものがあった。
昨年カンボジアに帰化し、カンボジア代表としてロンドン五輪マラソン競技出場を目指す猫ひろし“選手”。カンボジアからの五輪出場、という方法論に拒否反応を示す人もいるが、スポーツ界では世界的に見ても決して珍しいことではなく、むしろその夢の実現のために奮闘する姿は、ただの「タレントの戯れ言」ではないという説得力がある。カンボジア五輪委員会が2時間31分台を内定の基準としていたことから、「ロンドン五輪出場内定」と賑わいを見せているのはニュースなどでご存知の通りだ。

単純に記録と順位だけを見ると平凡なようにも思えるが、東京マラソン2008でフルマラソンに初挑戦したときの記録(3時間48分57秒)から、わずか4年で1時間18分も短縮したという脅威の成長曲線にはただただ驚かされる。なぜ猫ひろしは速く走れるのか? 短期間で成長できたのか? この素直な疑問に猫ひろし自身が答えてくれているのが、昨年11月に出版された『猫ひろしのマラソン最速メソッド〜市民ランナーのサブスリー達成術』だ。
市民ランナーの間でランナーの走力を表すのに使われるのが「サブ〇〇」。サブは「〜の下」という意味で、サブフォーが4時間未満で走ること、サブスリーは3時間未満で走ることを意味している。つまりこの本は2時間台で走るランナーに向けた、結構本格的なマラソン教本の側面を持っている。一方で、そこまで本格的なランナーでないという方でも、猫ひろしという人物の成長物語として読むことができ、多くの方に共感を持ってもらえる内容になっているだろう。
最近では“マラソンタレント”という肩書きで各地のマラソン大会やイベントでのゲストランナーとして出場し、実戦経験を積んでいるのはテレビなどを通して把握していたのだが、実際どのようなトレーニングを積んでいるのかは知らなかっただけに、本書を読むとそのトレーニングがとても「計画的」で「継続的」で「科学的」なものであることがわかって実に興味深い。

■「計画的」トレーニング
ロンドン五輪の出場権を獲得するために、どの選考レースに照準を絞るのか、そのためには月間500km以上走る必要があり、そのためには毎日何kmトレーニングを積めばいいのか…と順序だてて日々のトレーニングと出場レースが計画されている。
番組で知り合ったマラソンランナー谷川真理氏と、そのコーチである「ハイテクスポーツ塾」主宰の中島進氏が立てるトレーニング計画を信じて成長を遂げた4年間。「信頼のおける指南役や仲間をつくること。そしてアドバイスに耳を傾け、言われたことを否定せずにやってみること」が成長の秘訣だと語り、日々の練習に打ち込む姿は、少し頼りなくふわふわした感じのある芸人・猫ひろしの姿とちょっとかけ離れていて、そのギャップが面白い。

■「継続的」トレーニング
「雨が降ろうと雪が降ろうと、毎日走ろう! 走ることは人生と一緒だ」
これは先に挙げた中島コーチの言葉。猫ひろしはこの言葉を愚直に信じて、とにかく毎日走ることを習慣づけている。収録と収録の間の移動は当然ランニング、横浜でロケがあった帰りは「30km走れるチャンス!」とこれまたランニング。舞台衣装や台本、小道具をバッグに背負って日々走っているそうだが、そのバッグの重みは実に10kg。ドラゴンボールでの亀仙人の修行風景を連想してしまう。でも、辛い練習であっても「自分はM気質だから楽しめる」と語る姿は実に前向き。「毎日10kg背負って走っているから、本番の大会で身軽な状態で走るのはただただ楽しい」とも語り、実際、昨日の大会でも沿道の声援に気軽に応えながら走っているのが実に印象的だった。

■「科学的」トレーニング
中島コーチからの教えは「速く走るための4条件」を鍛えることだという。4条件とは「ローリング走法」「体幹を使った走り」「心肺機能の向上」「スピード感覚」。これらを鍛えるためのトレーニングが実に科学的なのだ。「ローリング走法」という、より少ないエネルギー消費で効率的に推進力が得られるフォームを身につけるために東京大学教授が考案したトレーニングマシンに股がり、専用の「低酸素トレーニングルーム」で高地トレーニングと同様の環境を作り、自分よりも速い人と走ることでスピード感覚を養う。
かつて金メダルを獲得した高橋尚子選手が「チームQ」を結成していたが、これらのトレーニング環境もまさしく「チーム猫」(チームニャー?)と呼べる立派な環境になっている。

これらトレーニング方法以外でも、マラソンを楽しむための秘訣、毎日の食事、専用のギア、大会までの過ごし方など、これからマラソンを本格的にはじめてみたい人にとっては参考になりそうなエピソードがふんだんに盛り込まれている。また、マラソン中にトイレに行きたくなったらどうするの?といった疑問にも答えてくれていてこれが実に面白い。市民ランナーレベルなら何カ所か設置されている仮設トイレに駆け込めばいいのだが、オリンピックを目指すランナーがそんなわけにも行かず、実業団の選手に教えてもらった対処の仕方は… など、笑かしてもらえるエピソードも満載。これまでに参加したマラソン大会での失敗体験談もコラム形式で素直に吐露されていて、猫ひろしの人間くささをより感じることが出来るだろう。オリンピック本番での猫ひろしの走りに注目する上でも、今のうちに是非とも押さえておきたい一冊だ。

本書のなかでも書かれているのだが、そもそも猫ひろしがマラソンをはじめた動機が実に芸人らしく面白い。ご存知の方も多いとは思うが、そのキッカケは毎年春と秋の番組改編期に放映される「TBSオールスター感謝祭」の中のワンコーナー「赤坂5丁目ミニマラソン」。中学・高校と卓球部でマラソンとは何の縁もなかった猫ひろしがこのコーナーに出場したのは足に自信があったからではなく、“少しでも長くテレビに映りたいから”。売れない芸人ならではの必死さが結果的に世界最大のイベントであるオリンピックにつながるなんて… 分相応のことをしないと失敗するという事の例えとして「虎を描きて猫に類す」なんていうことわざがあるが、この場合「猫を描きて虎に類す」と言えるのかもしれない。「猫まっしぐら!」だけじゃない、今後出てくるであろう、様々な「猫がらみ名言・珍言」も注目したい。
(オグマナオト)