公明党の「生活を守り抜く」というキャッチコピー。
…悲しくて、切ないのです。

大人社会が胸を張って、子どもに次を託していくために…
このテのキャッチコピーが出ない世の中に、大人社会で生きる我々は、自身で道を切り開く姿勢が必要です。

◆本投稿記事は、毎日更新中のZ会ブログ
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の話題を元に、本サイトの読者層に合わせた形で修正しております。


衆院選まであと1週間ですね。
なかなか政治に関心を持つ機会がないのが多くの人の現実でしょうが、今回は当日、多くの人がテレビに張り付くのではないでしょうか。

マニフェストをじっくり見るのは素晴らしい姿勢だと思いますが、マニフェストだけではなかなか各政党の違い、そしてそもそも書いてある内容がわかりにくい場合もあるかと思います。
それでも「わからないから選挙は行かないや」ではなく、一票投じましょう、有権者は。
わからないなら、わからないなりに、そのときに「なんとなくここが一番良さそうだな」と感じたその一票に、一生懸命考えた一票と価値付けに変わりはないわけですから。
機会は、みんな平等なんです。
注)もちろん、一生懸命考えることを否定するわけではありません。


さて話は変わって。公明党のキャッチコピー。

「生活を守り抜く」

です。

このコピーだけ見ると、思わず投票したくなる心境を掻き立てる…少なくとも公明党は、そう思ってこのコピーを持ってきたんだと思います。


でも、ちょっと離れて、あるいは時間を置いて見てください、考えてください、このコピー。
僕はなんだか、悲しいんです、これ。

守り抜く、という言葉は、日本社会での生活が「厳しくなっている(なり続けている)」という前提を背景にもって生まれる言葉ですよね。
加えて「維持できれば御の字」という国民が多い、とヨんでいるわけですよね。

政党自ら、この言葉を発するのは、気持ち的には止めて欲しいなあ…と思います。

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