ロジックの領域と感覚の領域を分けすぎると哀しいですね/伊藤 達夫
若い人にロジカルシンキングを教えたりする機会が多いですが、理屈っぽいと嫌われるとか、駄目とか、そういう意見が多いですね。自由な発想がなくなるとか。そういう言い方をする人もいます。でも、本当にそうですか?
ロジカルシンキングは、冷たい感じがするとか、理屈っぽくて、自由な発想を阻害されるとか、そういう人もいますよね。
実際、普段のコミュニケーションと対極的に捉える人もいます。
でもね、本当にそうなのでしょうか?
私が「コミュニケーション」を若い人に教える時、提示するモデルがあります。
心の中を、抽象的な領域と、具体的な領域に分けてみます。
抽象的な領域は言葉にならない部分。感覚的な部分。
具体的な領域は、抽象的な感覚が言葉として具体的になっている部分。
こういうモデルで捉えると、感覚を言葉という容器で拾うイメージですね。
でも、言葉というのは感覚をあらわすのに、完全な容器ではない。どうしても、零れ落ちる感覚がある。
それは確かに悲しいことです。
でもね、その容器に入っている言葉は、他ならぬあなたの心に溢れる感情というものなのです。
その容器をうまく形作る技術が、ある意味、言語化の能力。その言葉という容器を組み合わせて、論理を形作る技術がロジカルシンキングとして捉えられないでしょうか?
そして、容器に一旦掬ってみると、感覚は少し性質を変えて固定化する。それを、また、抽象的な領域の感覚の海に流し込んでみる。
そうすると、新たな感覚が沸いてくる。
そこから、また、新たな言葉の容器が形作られて、一連のつながり、ロジックを生成する。
今、描いているのは、インターナルコミュニケーション、自分との対話の場合ですね。
ここに、同じモデルを持った相手を想定するとどうなるでしょう?
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ロジカルシンキングは、冷たい感じがするとか、理屈っぽくて、自由な発想を阻害されるとか、そういう人もいますよね。
実際、普段のコミュニケーションと対極的に捉える人もいます。
私が「コミュニケーション」を若い人に教える時、提示するモデルがあります。
心の中を、抽象的な領域と、具体的な領域に分けてみます。
抽象的な領域は言葉にならない部分。感覚的な部分。
具体的な領域は、抽象的な感覚が言葉として具体的になっている部分。
こういうモデルで捉えると、感覚を言葉という容器で拾うイメージですね。
でも、言葉というのは感覚をあらわすのに、完全な容器ではない。どうしても、零れ落ちる感覚がある。
それは確かに悲しいことです。
でもね、その容器に入っている言葉は、他ならぬあなたの心に溢れる感情というものなのです。
その容器をうまく形作る技術が、ある意味、言語化の能力。その言葉という容器を組み合わせて、論理を形作る技術がロジカルシンキングとして捉えられないでしょうか?
そして、容器に一旦掬ってみると、感覚は少し性質を変えて固定化する。それを、また、抽象的な領域の感覚の海に流し込んでみる。
そうすると、新たな感覚が沸いてくる。
そこから、また、新たな言葉の容器が形作られて、一連のつながり、ロジックを生成する。
今、描いているのは、インターナルコミュニケーション、自分との対話の場合ですね。
ここに、同じモデルを持った相手を想定するとどうなるでしょう?
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