「失禁もしていて、ただごとじゃなかった」ある日、妻が突然“脳死状態”に…残された夫(45)が振り返る、壮絶な記憶
「あまりにも突然で、前兆は全くありませんでした」--コミックエッセイ『私がシングルファザーになった日』(KADOKAWA)の原作者で、2019年の夏に最愛の妻を突然失った男性・りゅーすけさん(45)は当時をこう振り返る。
【写真】突然倒れ、そのまま亡くなってしまった妻・えいこさん
ある日、「ドンッ」という音で目を覚ますと妻・えいこさん(当時37歳)がベッドから落下していた。りゅーすけさんが近寄るとすでに呼吸が止まりかけていたという。そこから病院へ緊急搬送され、2週間にわたって集中治療室で懸命な治療が続いたものの、二度と目を覚まさなかった。

2019年の夏、就寝中にベッドから落下し心肺停止になったえいこさんは、二度と目を覚まさなかった(写真左がえいこさん、右がりゅーすけさんと息子・そうまくん(本人提供)
2人の間には当時2歳の息子・そうまくんがおり、りゅーすけさんは39歳でシングルファザーに。それから7年経った現在も、当時と同じ家で2人暮らしをしている。幸せな家庭を不意に襲った出来事について、りゅーすけさんに振り返ってもらった。
性格が真逆の2人が掲示板で出会い、2年後に結婚
--まず、お2人の出会いを教えてください。
りゅーすけさん(以下、りゅーすけ) 僕が26歳、妻が24歳のときにインターネットの掲示板で仲良くなりました。標準語でやり取りしている人が多い中、妻は方言全開で、そこが面白くて。2カ月ほどメッセージでやり取りをして、実際に会ってみようと。
--お互いの第一印象はいかがでしたか?
りゅーすけ 彼女はどうだったかわからないのですが、僕は「かわいらしい人だな」と思いました。あまりコミュニケーションが得意じゃない僕と違って、彼女は活発なタイプで、気さくに話しかけてくれたのもうれしくて。
結婚してからも、彼女が思いのままにおしゃべりして、僕が返事をするというコミュニケーションスタイルでした。お互い自分にないところに惹かれたのかもしれません。
--数年を経て、結婚されました。
りゅーすけ 僕は結婚願望が薄かったのですが、妻は結婚したい意思が強く、家族にも「まだ結婚しないの」と言われていたみたいです。婚姻届を出したのは2009年、僕が29歳で妻が27歳のときでした。
待望の妊娠→子宮外妊娠で胎児を摘出 どんなつらい出来事も、2人で乗り越えてきた
--長男のそうまくんが生まれる以前、えいこさんは一度妊娠していたそうですね。
りゅーすけ お互いに子どもを持ちたかったのですが、結婚当初は授かることがなくて……結婚5年目くらいに妻の提案で不妊治療を始めました。そこから2年目に妊娠して。
「やっと妊娠した!」と2人で喜んで、詳細な検査結果が出るまでの約2カ月間は、「どんな名前にしようか」「女の子だったら、こんな名前がいいな」とか話していました。ただ、いろいろと検査する中で、妊娠していると起こる数値の変化があったのに、エコーに赤ちゃんの影が全く映らなかったんです。
大きな病院で検査をしたところ「子宮外妊娠」だとわかりました。この場合、赤ちゃんの成長が難しく、摘出するしかないと。
--待望の妊娠だったのに……。
りゅーすけ 妻はこのまま出産できないと知り、ひどく落胆してしまいました。かなりショックを受けていて、何と言葉をかけていいのかわからないくらいで……。
その子は、近くのお寺で観音様像を作って供養してもらいました。妻は、この子の名前を「はるちゃん」と名付け、はるちゃんのためにワンピースを手作りしていましたね。観音様像にこのワンピースを着せ、そうまが産まれてからも家族でお参りに行っていました。
--言葉では言い表せないほど悲しい経験だったと思います。その後、そうまくんが産まれたのは、不妊治療を再開して?
りゅーすけ そうですね。タイミング療法で、妊娠して赤ちゃんが元気だと分かったときには2人で手を取り合って大喜びしました。出産にももちろん立ち会いましたよ。
妻が痛みを訴えてから病院に連れて行ったんですが、先生からいったん「まだ産まれないね」と帰宅を促されて帰宅したり、その日の深夜に痛みが激しくなってまた病院に行ったり。
--出産を目の当たりにして、いかがでしたか?
りゅーすけ 赤ちゃんはものすごく小さくて、ドラマで見ていたような出産シーンとは違って何だか生々しいなぁと。あとは「この子が僕たちの子どもなんだな、やっと会えた」と2人で喜びを噛み締めました。
--そうまくんが産まれてからは、どのように仕事と家事育児をされていたのですか?
りゅーすけ 私は営業職の会社員として週5日働き、妻は専業主婦でした。基本的には妻が家事育児を担い、仕事終わりや休みの日は2人で家事育児を分担するという、どこにでもいるような家族だったと思います。
--自宅の隣には、えいこさんの実家があるのですよね。
りゅーすけ はい。僕はそこまで頻繁に会うことはなかったのですが、妻は度々行き来していましたね。
妻が倒れる数カ月前に義姉の夫が交通事故で他界して、それからは義姉と姪っ子たちがしばらく実家に泊まるようになっていたんです。妻は落ち込む義姉を励まそうと、その頃は実家に顔を出す頻度が高くなっていました。
「ドンッ!」という音で目覚めると、妻が……
--そしてある日、えいこさんが突然倒れたと。
りゅーすけ 2019年8月の早朝でした。前日の晩は、そうまが熱っぽくて、なかなか寝付かなかったんです。1時間おきに眠っては起きてを繰り返していて、僕と妻が交代で看病をしていました。深夜、妻が先に2階の寝室に入り、僕は1階のソファでそうまを抱いて寝かしつけていて、午前3時過ぎに2階に上がりました。
そこから、時折ぐずりつつも家族全員がウトウト眠りについた6時過ぎ、突然、「ドンッ!」という物音がして目が覚めました。
--何があったのですか?
りゅーすけ 妻がベッドから落ちたんです。起き上がってベッドの下を覗くと、うつ伏せになっている妻が見えて。「えいちゃん」と声をかけても反応せず、仰向けにすると苦しそうな顔になりました。さらに失禁もしていて、これはただ事じゃないと。すぐさま義実家に駆け込んで、救急車も呼びました。
幸いなことに義姉は看護師なので、すぐに心臓マッサージを施すことができて、その間「えいこ! 目を覚まして!」と家族で声をかけ続けて……目を覚ますことはなかったのですが、一度ふうーっと息を吐きました。結局、救急車が来たのは約20分後です。
--救急車が到着した後は、どんな処置がなされたのですか?
りゅーすけ 救急隊員の方が、AEDによる電気ショックで心肺蘇生を試みたのですが、反応はありませんでした。搬送中は車内で心臓マッサージが続いて、病院に運ばれてから心臓が動き出したんです。しかし目を覚ますことはなく、人工呼吸器につながれたまま集中治療室に運ばれました。
--集中治療室に運ばれた後、医師からはどんな説明があったのでしょうか?
りゅーすけ 私と義姉、義父母が呼ばれ、「覚悟をしてください」と。医師は脳のCT画像を見せながら、淡々とこう説明しました。
「心臓は動き出しましたが意識は戻らず、自発的に呼吸ができていません。脳内を見ると、だいぶダメージがあります。つまり脳死状態です」
ドラマで見たような光景が目の前で繰り広げられていて、現実味が湧かないというか。そう言われても心臓は動いているわけで、覚悟なんてできるわけもなく……。「いつになるかはわからないけれど、いつか目を覚ますはずだ」と信じるしかありませんでした。ただ、義姉と義母の反応は違いました。
--と言うと?
りゅーすけ 義姉だけでなく義母も看護師をしていたので、医師の言葉をもう少し重く受け止めていたのかもしれません。そのとき、2人は涙を流していましたから。
〈「排尿できず、全身がパンパンに」「体重は15~20キロ増」原因不明のまま“最愛の妻”を亡くしたシングルファーザー(45)が明かす、想像を絶する『看病の記録』と『ひとり親の苦労』〉へ続く
(小林 香織)
