どんな家族にも、他人には打ち明けたくない話がある。マンガ家・宮川サトシさん(48)にとって、それは15歳年上の長兄の存在だった。家族相手に大暴れを起こし、20代で仕事をやめてからは30年以上、ゴミ屋敷と化した自宅で引きこもりを続けている。だが、宮川さんはその兄をマンガに描くことを決める。なぜそう思い立ったのか。そして、どのように兄と向き合ったのか。ライターの市岡ひかりさんが聞いた--。(前編/全2回)
撮影=遠藤素子
マンガ家・宮川サトシさん - 撮影=遠藤素子

■兄ではなく、「一緒に住んでいる変な人」

マンガ家・宮川サトシさんは、これまで家族を題材にしたエッセイマンガを数多く描いてきた。だが、それらの作品に、長兄はこれまで一度も登場していない。最新刊『名前のない病気』(小学館)では、長年にわたり距離を置いてきた兄と、初めて向き合おうとする宮川さんの葛藤が克明に描かれている。

「兄は言葉を選ばずに言えば、『邪魔な人』でした。僕が見たいテレビがあると、必ず途中で邪魔しにくる。反論すると大声で怒鳴られました。ずっと自分のやっていることが妨害されているような感覚がありましたね。兄という感覚はなかったですし、幼いころは『兄ちゃん』と呼んだ記憶もないですね」(宮川さん、以下すべて同)

岐阜県に生まれ、三兄弟の末っ子として育った宮川さんにとって、15歳年上の長兄は、兄弟というよりむしろ「一緒に住んでいる変な人」。気に入らないことがあるとすぐ癇癪を起こして大声で怒鳴り散らした。リビングと台所の間のガラス戸をたたき割ったり、テーブルごとご飯をひっくり返すこともしょっちゅうだった。

■「おめえら全員殺したるでなあっ」

「あの人」「アイツ」「長男さん」--。どこか距離のある呼び方で兄を呼ぶ癖がついた。

宮川さんが小学校低学年のころだ。早朝、兄と両親の言い争う声で目を覚ますと、ドアの前に「長男さん」が包丁を持って立っていた。「おめえら全員殺したるでなあっ」。そう言って暴れかけた「長男さん」を、7つ上の次兄が膝蹴りをかまして止める。そしてその数時間後、家族は何事もなかったように、そろって旅行に出かけたという。異様にも思える光景だが、宮川さんにとっては、よくある日常風景だったという。

「度々包丁を持ちだすことはあったものの、結局それで誰も切られることはなかったんです。だから『またいつものパターンか』と慣れていったんですよね」

恐怖を感じてもおかしくないはずだが、それ以上に強く感じていたのが「恥ずかしさ」だった。友人が遊びに来たとき、兄と両親が怒鳴り合う声が響いてくることも。「大丈夫?」「僕らが来たから、あんな感じなの?」と眉をひそめる友人たちを前に、宮川さんはいたたまれなくなった。

■内側からは「ヤバい家」とは気づけない

「もう説明するのも嫌で。でも、そういう時に、真ん中の兄ちゃんが和ませに来てくれたりしたんですよ。その時に『同じく恥ずかしく思う仲間がいる』と思ったりして。そこで心のバランスを取っていました。『自分はヤバい家に住んでる』みたいな感覚って、客観的視点だと思うんです。家の中にいると、そういうドラマチックな目線よりは『恥ずかしい』『ダルい』とか。そっちの方が近いですね」

両親は障害や病気を疑い、兄を精神科などに受診させた。しかし、結局はっきりとしたことはわからず、その症状に“名前がつく”ことはなかった。

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『名前のない病気』は今夏全4巻で完結した。3巻から4巻への急激な展開は読者の間で話題に。 - 撮影=遠藤素子

精神医療が発達した今であれば違っただろうが、今から30年以上前のことだ。兄は高校を卒業後、工場で働くようになった。

休みがちながらも社会生活を送っていた兄が、ひきこもるきっかけの一つが、宮川さんとの間に起きたある出来事だった。

次男が大学進学のため家を出ると、暴れる「長男さん」を押さえるのは宮川さんの“役目”になっていった。高校生の時、帰宅すると、台所から母の叫び声が聞こえた。かけつけると、兄が母に包丁を向けていた。「キレてしまった」という宮川さんは兄ともみ合いになり、結果的に脾臓が破裂する大けがを負わせてしまった。

■引きこもる兄、結婚した自分

この時のことを、宮川さんはよく覚えていないという。

「ケガをさせた感覚は、頑張って思い出した時に、ふっと浮かぶだけ。具体的にどうだったかという記憶が、どんどん薄れていくし、電源が落ちたみたいにその時の記憶が抜けているんですよね。でも、こうやって取材でお話ししたり、マンガの編集担当さんと話したりすると、ふわっとフラッシュバックしたり。『都合のいい記憶だな』と自分でも思うんですけど、それほどショックが大きかったのかもしれません」

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長兄への取材を始めるまで、嫌な記憶は忘れていた。そんな自分の都合のよさにも直面したという。 - 撮影=遠藤素子

このケガもきっかけとなり工場を辞めた「長男さん」は、自宅に引きこもるように。日がな一日テレビを見て過ごし、時折高齢の親に当たり散らす日々を送るように。そして両親が他界後は、実家で一人暮らしとなった。

一方、宮川さんは上京し、マンガ家としてデビュー。結婚して2人の子どもにも恵まれた。36歳の時に最愛の母について描いたエッセイマンガ『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』(新潮社)は映画化されるほどヒット作に。家族愛に満ちた作品だが、その作品に「長男さん」に関する描写は一切ない。

「冷たい言い方ですが、母のことを描きたいのに、兄についても描かないといけないとなると、軸がブレてしまうと思ったんです。幼いころから感じていた、兄を恥ずかしく思う気持ちも当時はありました」

■「お前、逃げたんじゃないか」

本来そこにいたはずの家族を、マンガに登場させなかった。そのことへの後ろめたさは、宮川さんの中に残っていた。

普段は長兄のことをあまり思い出すことはなかったが、次兄から電話で時折、長兄のことを聞かされると、もう一人の自分がつぶやいた。「お前、逃げたんじゃないか。一人だけ東京で楽しく暮らして本当にそれでいいのか」と。

そこから10年以上、宮川さんは自らの内なる声と対峙し続けた。他人には簡単に語れない事情。マンガ家として評価を受けても、「逃げたのではないか」という声が小さくなることはなかった。

「今まで描いてこなかったお兄さんのことを描きませんか」。

2023年10月、宮川さんは編集者から提案を受けた。不思議と受け入れる自分がいることに気づいたという。

ずっと距離を置いてきた相手と、向き合わねばならない。「誰が読むんだろう」という迷いもあった。それでも、兄のことを描いてみようと決めた。初のドキュメンタリーコミックへの挑戦。絵のタッチも大きく変えた。

いざ書き始めてみると、想像していなかった壁があった。兄と向き合うことは、自分自身と向き合う作業でもあったのだ。

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次兄からは「長兄のことは書かない方がいい」と強く否定されたという。 - 撮影=遠藤素子

■うつになっても兄を描き続けたい

宮川さんには、0か100かの極端な発想をしてしまう面があるという。外食先で子どもがケンカを始めれば、仲裁するのではなく「じゃあ帰ろう」となり、子どもがテレビのチャンネル決めでケンカを始めれば、なだめるのではなく「もう一つテレビを買おう」となる。家族を振り回す、どこか“普通ではない”部分が、兄だけでなく自分にもあると気づいた。

「このマンガを描くまでは、そんなこと思わなかったんですよ。長男さんとは顔もあまり似てないし、他人ぐらいの感覚だったんです。でも、マンガを描くにあたって改めて兄のことを見直した時に『ああ、この人の中にあるものと自分の中にあるものは、似ているんじゃないかな』とふっと気づく瞬間があって。ある種の異常性みたいなものが自分の中にあるんだな、と」

昔、交際していた女性が長兄のことを知ったとき「ああいうのって、遺伝するのかな」と聞いてきたことが忘れられない。息子が長兄のような子どもっぽい発言をすると「もしかして遺伝した?」と恐ろしくなってしまったこともある。

兄を描こうとすればするほど、自分自身が掘り返されていく。そんな割り切れない自分の感情さえ「描きたい」と思ってしまう自分も“名前のない病気”ではないのか--。多忙も重なり、心の負担は大きくなった。一時はうつ状態になり、休業も余儀なくされた。ただ、それでも取材を続けるうち、少しずつ兄を見る目が変わっていった。

■あの家庭だから今の自分がいる

「例えば、兄が僕に『売れないマンガ家のくせに』みたいに嫌味を言ってきて、以前ならムカッとしてたんですが、取材となると『いい台詞いただきました!』となるんですよね。すぐ担当編集に電話で報告していたくらい。以前なら攻撃だと思っていた嫌味も『意外とこっちのこと知ってくれてるじゃん』とわかりました。『アンチが最大のファン』とよく言いますが、あれの家族版のような感じですね」

取材という目線で見れば、過去の出来事の捉え方も変わってきた。

「母が食べるのが遅い兄に『自衛隊だったら役に立たんよ』と、いらん一言を言って、兄がキレてテーブルひっくり返したことがあって。でも、今客観的に考えればめっちゃ面白い。『なんで自衛隊?』なんだよって(笑)。いいワードチョイスだなと思います」

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苦手だった長兄と向き合ううちに、感情が少しづつ変化していった。「取材の効用ですね」と語る宮川さん。 - 撮影=遠藤素子

そういう感性が身についたのも、この家のおかげだと宮川さんは言う。ある時、本作を読んだ高校の友人が「実は弟がひきこもりで、実家に帰りにくい」とメールをくれたという。やり取りするうち「こういう家で育ったから、今の感性がある。この感性は嫌いじゃないから、家のことも嫌いになれないよね」と語り合った。

「本来自分に芽生えなかったであろう感覚や感性、感受性が育ったのは、確実にこの家のおかげで、それは今の仕事にも役立っているんです。真ん中の兄は、うちを『地獄だった』と言っていましたが、ただの地獄でもなかったな、と」

■決して「親の責任」ではない

「結局、親の責任じゃないか」。そんな感想も寄せられることがある。ただ宮川さんは「親に対する恨みはない」と断言する。

「『母が余計な一言を言うから兄がキレる』という感想もらいました。そうだろうなとも思う反面、家族って単純なものじゃないと僕は考えます。子どもはお客さんじゃないから、ケンカすりゃいいじゃん、と思います。両親が兄のために一生懸命努力していた姿を見ているので親の責任だとは決して思いません。むしろ、なんとも人間らしい家族だったなと思います」

取材という形で引きこもりの兄と向き合った宮川さん。後編では、この行動によって、数十年間変わることがなかった「長男さん」と宮川さん、そしてその家族との関係性の劇的な変化を聞く。

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宮川 サトシ(みやがわ・さとし)
漫画家
岐阜県出身。2013年『東京百鬼夜行』(新潮社)で漫画家デビュー。『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』(新潮社)は大きな話題に。主な作品は『そのオムツ、俺が換えます』(講談社)、『宇宙戦艦ティラミス』(原作/新潮社)など。現在は週刊新潮にて『俺は健康にふりまわされている』、週刊モーニングにて『ワンオペJOKER(原作)』を連載中。好きなごはんは、味噌かつ定食。
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市岡 ひかり(いちおか ひかり)
フリーライター
時事通信社記者、宣伝会議「広報会議」編集部(編集兼ライター)、朝日新聞出版AERA編集部を経てフリーに。AERA、CHANTOWEB、文春オンライン、東洋経済オンラインなどで執筆。2児の母。
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漫画家 宮川 サトシ、フリーライター 市岡 ひかり)