家を飛び出して我が子を探した…「津川雅彦さん」人生最悪の2日間 「良きパパ」に変えた74年「長女誘拐事件」とは
実兄にも話せなかった誘拐事件
1974年8月15日未明、東京都内の民家から生後5カ月の女児が連れ去られた。当時23歳の犯人は身代金500万円を要求。警察は直ちに捜査網を敷く一方、報道機関とは「報道協定」を結んだ。そのため、各社が一斉に報じたのは翌日の犯人逮捕と被害者の安全確認が終わったあととなる。
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やがて報道を目にした世間は驚いた。誘拐されたのは、スター俳優カップルとして有名だった俳優の津川雅彦・朝丘雪路さん夫妻の娘、真由子さんだったのだ。
記録によれば、初の報道協定が結ばれたのは1963年の「吉展ちゃん誘拐事件」。日本新聞協会が「誘拐報道の取り扱い方針」として手続きや解除の手順を明文化したのは1970年2月のことで、以後はその数週間後に起きた「由美子ちゃん誘拐殺人事件」、1972年の「あさま山荘事件」で協定が結ばれた。「津川雅彦長女誘拐事件」はその次となる。

2016年、津川さんは「週刊新潮」に対し、この事件で報道協定が“徹底実践”されるようになったことを明かしている。津川さん自身、兄で俳優の長門裕之さんに対しても事件のことを明かさないようにと、警察から“情報管理”を強いられたという。
家を飛び出して娘を探した日
津川さんは事件のことをこう語っている。
「当時、両親の帰りが遅いこともあって、私と真由子とは別の部屋で、看護師さんと一緒に寝かせていたんですが、その日、看護師さんが真夜中に私たち(夫婦)の部屋にやって来て、『お嬢さんはこちらに来ていらっしゃいませんか』と。男が真由子を抱っこして出ていくのを見て、僕が真由子を連れていったと思ったらしいんです。でも、僕はそんなことを一度もしたことはない。すぐに、『これは誘拐された』と直感し、家を飛び出して真由子を探しました」(2016年3月3日号、以下同)
しかし、既に誘拐犯はどこかに逃げ去っており、ほどなく警察が津川邸に詰める事態となった。
明け方4時頃、誘拐犯の男から、第一勧銀(当時)の口座に400万円を振り込めとの電話が入った。津川さんはまず、警察の指示に従って150万円を振り込む。それと並行して、警察は全店舗に人員配置、銀行はCD(現金引き出し機)のオンラインシステムを更新した。
すると翌16日の昼、東京駅南口のCDから現金を引き出した男が見つかった。警察に身柄を確保された男が自供に及んだため、これで事件は解決と思われた。
新聞社への激しい怒り
ところが、予期せぬ展開に。
「『どうせ死刑になるんだからと開き直って、犯人がお嬢さんの居所を吐かない』と、警察の人が言う……。娘はもう殺されているに違いない。胸の中に手を突っ込まれてかき混ぜられているような、非常に辛い思いで、その後の時間を過ごしました。結局、男には前科があったため、指紋から彼の自宅が判明し、その家で16日の午後7時頃、娘の無事が確認されました。男には奥さんと、真由子と同じ乳飲み子がいて、奥さんがうちの娘の面倒も見てくれてて、真由子は左頬を蚊に刺されただけで帰ってきました」
事件解決後、新聞1社が津川さんの激しい怒りを招いた。
「各社、報道協定を守ってくれ、犯人逮捕まで記事にすることこそありませんでしたが、逮捕後、東京新聞は、『役者は子どもの写真もマスコミに撮らせて宣伝に利用する。破廉恥なタレントの子どもは誘拐されても当然』と書いた」
と、2016年当時も憤懣やるかたなく語る様からは、その怒りのすさまじさが伝わる。実際、事件解決当時の津川さんはテレビの生中継で編集部に電話で抗議を行うほどだった。
ゴルバチョフに直談判
その一方で津川さんはある「変身」を遂げた。ギャンブルや夜のクラブ遊びを慎み、「世界一のパパ」を目指すと決意したのだ。
「まず、木製のおしゃぶりを娘に与えようとしたんだが、国内では見つからず、自分で木製玩具を輸入する店を始めました。もうひとつ、スコットランドのお城を買って、北海道に移設し、サンタの国を造ることにもしたんです」
後に「津川さんといえば……」と語られるおもちゃ輸入販売会社「グランパパ」は、1978年に1号店がオープンした。
サンタの国計画は、購入したロックハート城を解体し、その石を貨物船とシベリア鉄道で北海道まで運ぶというもの。しかし、時は昭和の末期である。シベリア鉄道が走る地域はまだソ連で、無事に運搬できるかは不透明。そこで津川さんは大胆な手を打った。
「ちょうど、知人の政治家がゴルバチョフに会いに行くというので、無事、石を運搬できるようお願いしてほしいと、伝言を託したんです。ゴルバチョフの答えは……『OK』でした」
1988年、7カ月かけて解体された城は、総重量約600トンの石となって日本に到着したが、城再建費用の目処が立たずに計画は頓挫してしまう。再び計画が動き出したのは90年代に入ってから。石を買い取った群馬県の企業が同県で復元し、現在は「大理石村・ロックハート城」として地元の顔となった。
世界一のパパになれたと自負
「グランパパ」は全国20以上の店舗を構えた時期もあったが、創業30年の頃にデフレの影響を受けた。津川さんは5億円以上の借金を抱えて経営権を手放し、オンライン専門店と現在は「永久名誉顧問」にクレジットされている。
父として、実業家としてかなりの激動人生。それでも2016年の津川さんは、好々爺の顔で事件を振り返っていた。
「娘は『パパのようなパパは他にいない』と言ってくれていて、世界一のパパになれたと自負しています。今では、誘拐事件が起きて良かったとさえ思っているほどです」
妻の朝丘さんは2018年4月27日に82歳で死去。津川さんもその4カ月後、同年8月4日に78歳で世を去った。真由子さんは女優・ジャズシンガーとして活躍している。
デイリー新潮編集部
