終戦直前の銃撃 狙われた西鉄電車「犠牲者を明らかに」調査を続ける男性
終戦の直前、福岡県筑紫野市で、アメリカ軍の戦闘機に銃撃された西鉄電車の乗客が亡くなりました。犠牲者は100人以上とみられていますが、記録は消失し、多くは名前すら分かっていません。その調査を続ける男性がいます。
筑紫野市の公園の一角に残る、旧西鉄筑紫駅の待合所。81年前の戦争の“爪痕”です。
■草場啓一さん(70)
「この穴とこの穴が、当時、戦闘機から銃撃を受けて弾が貫通したところですね。」
筑紫野市に住む、草場啓一さん(70)です。
■草場さん
「これの前で電車が止まって、乗客の人がみんな飛び出してきて。人間の無意識でしょうけれど、この下に隠れた人たちもたくさんいて。」
旧西鉄筑紫駅には、終戦の1週間前、突如、空から銃弾が降り注ぎました。
1945年8月8日午前11時半ごろ、低空飛行で近づいたアメリカ軍の戦闘機は、駅に到着する直前だった電車に繰り返し機銃攻撃をしました。
戦闘機から撮影された映像には、線路を走る2両編成の西鉄電車を狙い、上空から銃弾を放つ様子が記録されています。
市の職員だった草場さんは、教育委員会が2013年から始めた調査の中心メンバーで、退職後も戦没者の記録が残る護国神社や当時を知る人を訪ね、独自の調査を続けています。
草場さんによりますと、当時の消防団や村が作成した公的な記録は、その後の水害や火災で失われました。
西鉄がまとめた70年史によりますと、当時の運転士からの聞き取りで、犠牲者は64人となっていますが、草場さんは目撃者の証言などから100人を超えるとみています。
■草場さん
「おそらく即死で遺体収容された人が143人以上いて、その後に亡くなった人を入れると、かなりの数になるんじゃないかと推測しています。信ぴょう性というのはその証言しかないので、裏付けるのは難しいのですが。」
草場さんが聞き取り調査をした、当時小学6年生の井ノ口妙子さん(94)です。
当日は小学校に登校した後、警戒警報を受けて午前10時半ごろに帰宅していました。
■井ノ口妙子さん
「帰り着く頃には空襲警報が鳴ったのね。押し入れが2つあったの。私は押し入れに隠れて、母たちはお座敷の真ん中、八畳の真ん中に布団をかぶせて。」
Q.どのように隠れていたのですか?
「しゃがんで。電車に弾が当たる音がパラパラ聞こえていた。」
突如の空襲に衝撃を受けたといいます。
■井ノ口さん
Q.8月8日までは平和でしたか?
「うん、なんにも。田舎のことでね。」
Q.8月8日は怖かったですか?
「そうね、もう体験がいろいろ。そういう姿を見てね。」
井ノ口さんは草場さんと出会ったことで、当時のことを考えるきっかけになったと話します。
■井ノ口さん
「過ぎ去った一日のことを、それまでは全然思い出したこともなかったのよ。草場さんにお会いするまではね。」
これまでに草場さんは、当時の乗客や目撃者から100件以上の証言を集め、犠牲者16人の名前を確認しました。
判明した犠牲者の一人は、愛知県出身で陸軍兵長だった当時26歳の林三夫さんです。
公務のため、西鉄電車で久留米に向かっていた林さんは、激しい銃撃の中で乗客の避難を誘導し、4回目の銃撃で亡くなったことが分かりました。
草場さんは、林さんの調査には特に強い思い入れがあったと振り返ります。
■草場さん
「軍人でしたので、公的な記録を取り寄せることができました。彼が死ぬ間際に、奥さんに宛てた言葉も残っていますし。彼の人生はすごいと思いますよね。電車で撃たれて亡くなりましたという1行で終わらせたくなかった。」
ことし8月8日、筑紫野市役所では、あの日の出来事を通して平和について考える講演会が開かれました。
草場さんは、なぜ西鉄電車は銃撃されたのか、その背景に目を向ける必要があると考えています。
■草場さん
「犠牲になった人たちを悼む気持ちは同じです。同じですが、それだけでは今後の教訓にはならないんです。教訓にしていくために、どうしてこんなことをしたのか振り返ってみたいと思っています。」
草場さんは、銃撃をしたアメリカ軍の戦闘機の操縦士の調査も進めています。
攻撃を責めるためではなく、どんな思いで攻撃したのかを聞いてみたい。
草場さんの調査は続きます。
※FBS福岡放送めんたいワイド2026年8月14日午後5時すぎ放送

