「超負けず嫌い」 世界柔道で開花!嘉重春樺選手の強さの秘密【徳島】
女子柔道界の新星。
世界柔道に、初出場し初優勝。
徳島では初の快挙を果たした藍住町出身、嘉重春樺選手。
徳島を離れ、今は神奈川の実業団で3年後のロス五輪へ向け腕を磨く彼女、強さの秘密やその素顔に迫りました。
(父・浩章さん)
「子どもの時から自分にストイック、一生懸命、手を抜かない、自分にウソをつかない」
(ブイ・テクノロジー女子柔道部・宇髙菜絵 監督)
「全国で優勝している訳でもないが、オリンピックという目標を掲げ、強い気持ちを持って取り組んでいた」
(柔道女子63㎏級・嘉重春樺 選手)
「2028年のロス五輪で優勝する」
■初出場の世界柔道で優勝
嘉重春樺 選手。
藍住町出身の25歳。
6月に県出身としては初の世界柔道へ出場すると、決勝では東京五輪・銅メダリストを延長戦で下し、見事、初優勝。
柔道界の新星として、一躍、ロス五輪代表候補に名乗りをあげました。
■所属選手5人の女子柔道部
神奈川県横浜市。
嘉重選手は現在、横浜市に本社を置く半導体部品メーカー、ブイ・テクノロジーの女子柔道部に所属しています。
中学まで藍住町で育った彼女。
高校、大学と県外の強豪校で柔道を続け、3年前に入社しました。
柔道部は創設からまだ6年目。
所属選手もわずか5人と、大きくはありません。
しかし、この中から世界一が誕生しました。
(ブイ・テクノロジー女子柔道部・嘉重春樺 選手)
「(世界柔道)初出場だったからこそ、優勝できたという部分も大きいと思う」
「変なプレッシャーもなく、挑戦者の気持ちで思い切って戦えたのがすごく良かった」
「徳島でも大きく取り上げてくれて、いろんな人に応援してもらったのを感じた」
「もっと結果を出し、オリンピック出て、お世話になった人に恩返ししたいと思っている」
■大学時代に見出された「寝技」
嘉重選手が世界一となれた理由。
そのひとつが、得意としてる寝技です。
大学時代、今は亡きバルセロナ五輪の金メダリスト・古賀稔彦総監督に、寝技の才能を見出され、磨き続けてきました。
世界柔道でも5試合中、4試合を寝技で勝負を決めました。
(ブイ・テクノロジー女子柔道部・嘉重春樺 選手)
「寝技がある分、それだけで相手にプレッシャーがかかる、もっとそこを伸ばしていきたい」
■指導者も世界柔道で優勝
指導するのは、世界柔道で優勝の経験を持つ宇髙菜絵監督。
同じ四国の愛媛出身と、嘉重選手と共通点も多く、彼女の良き理解者です。
(ブイ・テクノロジー女子柔道部・宇髙菜絵 監督)
「成長の秘訣は精神面、もともとの技術力は入ってきた時にあった」
「精神的なところを、上手に向き合ってきた結果が強みに変わった」
■世界一同士の乱取り
嘉重選手、引き締まった表情。
向かい合うのは宇髙監督。
練習では、世界一同士の乱取りもおこなわれます。
■食事にもこだわり
世界一がとる食事には、こだわりが詰まっていました。
(ブイ・テクノロジー女子柔道部・嘉重春樺 選手)
「これは、夜ご飯の間が空くときに食べたり、作り置きしたものを持ってきている」
「いただきます、うん おいしい」
「なんか1人でさみしいんですけど」
(ブイ・テクノロジー女子柔道部・宇髙菜絵 監督)
「だと思って上がってきた」
「ちゃんと紹介した、まずこのハムは、いつも作ってくれる低温調理なんだよね」
(ブイ・テクノロジー女子柔道部・嘉重春樺 選手)
「大葉と梅で、65℃で3時間ぐらい低温調理」
食事面や私生活も、全て柔道に捧げている彼女。
その原点は徳島にありました。
■嘉重選手の素顔
嘉重選手の実家は現在、阿波市にあります。
(父・浩章さん)
「普通のどこにでもいるような感じの子だった、そんなに柔道にというのでもなかった」
柔道に縁があったわけでもなく、ごくごく普通の家庭で育った嘉重選手。
姉についていったのがきっかけで、4歳の時に柔道を始めました。
■「超負けず嫌い」
(姉・柚樺さん)
「わたしに負けると、泣くぐらい本当に負けず嫌い」
「畳の外まで礼して戻らないといけないが、負けた瞬間から泣きながら母や祖父に向かって泣いて」
「先輩にこっちおいでとか、やられていたイメージがある」
(ブイ・テクノロジー女子柔道部・嘉重春樺 選手)
「今もそうだが、負けるのが本当に嫌だった」
「男の子にも勝ちたいと思っていた、一回の負けが人生の終わりぐらい泣いていた」
超が付くほどの「負けず嫌い」。
勝つために誰よりも練習に励み、県内では敵なしに。
しかし、全国に出ると勝てないことが続きました。
さらなる強さを求め、県外の高校や大学へ進むことを決めました。
全国で上位の実力だったものの、決して抜きんでた成績を収めてきた訳ではありませんでした。
それでも夢のため、柔道を続ける決意をします。
■別の道も覚悟?していた
(父・浩章さん)
「本当は先生の道をいかせるつもりだった、僕はね」
「3年で芽が出なければ辞めると、22歳で大学出て3年間だけ(実業団で)」
「それからは学校の先生か指導者にという約束で」
(ブイ・テクノロジー女子柔道部・嘉重春樺 選手)
「教員も考えていた」
「やっぱり結果がそんなになかったので、実業団に声かけてもらえる成績ではなかった。そうなると次は教員って思っていた」
「やっぱり積み上げてきたものが、たまたまそこで結果が出ただけ」
「そこに特別なことは何もなく、毎年毎年、今年こそはと思いやっている」
「それがいつもより気持ちが強かったかと言われると、そうだったかな」
世界柔道の優勝こそ、柔道人生が花開いた瞬間。
離れていても家族は徳島から支え続けています。
■家族からビデオメッセージ
(祖父・操さん)
「春樺、世界大会優勝おめでとう、よくがんばりました」
「これからも柔道続けてください、ずっと応援しています」
(弟・太陽さん)
「春樺は僕の憧れのおねえちゃんです、夢に向かってがんばれ」
(母・志野さん)
「春樺、自分を信じてがんばれ、いつでもしんどくなったら帰ってきて」
「春樺、自分を信じてがんばれ」
(家族)
「春樺、ケガせずがんばって」
■「謙虚な気持ちを忘れず」
(ブイ・テクノロジー女子柔道部・嘉重春樺 選手)
「えー、うれしい。わざわざ行ってもらって」
「自分だけの力じゃないので、本当に支えてくれたから今がある。謙虚な気持ちを絶対に忘れず、まだまだ強くなりたい」
「がんばる理由はたくさんある。監督も世界一の指導者にしたいし、家族のためにもがんばりたいし」
「みんな応援してくれる人のためにがんばりたい。本当にそれだけ」
嘉重選手の次の大舞台は12月、2026年の世界柔道出場をかけたグランドスラム・東京です。
夢の舞台、3年後のロス五輪に向けて徳島からも応援を届けましょう。
