芸能人のパワハラ問題とも切り離せない 韓国ドラマの頻出ワード「カプチル」とは?
サブスクの台頭により、すっかり身近な存在になった韓国ドラマ。その魅力の一つに、日本とは異なる文化様式を知る楽しみがある。
参考:『SKYキャッスル』の重要ワード“SKY”とは? 韓国ドラマが問い直す“超学歴社会”の弊害
ライターの荒井南が、韓国ドラマに頻出するワードから韓国独自のカルチャーを分析・解説する連載「韓ドラ広辞苑を作ろう!」。第3回は、日本でも同様の問題が尽きない「カプチル」について。
「カプチル」
韓国のドラマシリーズ『復讐代行人 ~模範タクシー~』のシーズン2が、10月6日よりNetflixで配信されている。韓国本国で16%と高視聴率を叩き出したシーズン1の初放送は2021年だが、毎年人気作品が生まれる韓国ドラマ界においても人気は衰えず、シーズン2は21%という前シーズン超えを記録。シーズン3の放送も予定されている。
何の理由もなく母親を殺害され、悲しみと怒りを胸に抱くキム・ドギ(イ・ジェフン)は、犯罪被害者の支援団体「青い鳥」を運営するチャン代表(キム・ウィソン)に誘われ、彼が社長を務めるムジゲ運輸でタクシー運転手として働くことになる。しかしそれは仮の姿で、実際は法で裁けない悪に虐げられている罪なき者たちに代わり復讐する裏稼業、復讐請負人だった。
韓国ドラマや映画の一大得意ジャンルと言えるリベンジもの。『ザ・グローリー ~輝かしき復讐~』など、近年もスマッシュヒットを飛ばした作品が数多くある中で、本作はひときわ息の長いシリーズとなっている。女性への性的搾取、振り込め詐欺、新興宗教団体など深刻なイシューを扱った社会告発ものとしてリアリティ、毎回趣向を凝らしたタクシーのギミック、元凄腕の軍人ドギのキレ味のあるアクション、各エピソードが巧みに繋がる脚本の上手さなども支持の理由だが、他のリベンジドラマとひと味異なるのは、より深いテーマが作品を貫いている点だ。
犯罪被害者に手を差し伸べるチャン代表もまた、両親を無残に殺されたにもかかわらず、犯人が正当な裁きを受けなかったことに苦しみ続けていた。彼はドギに向かって語りかける。「悪いのは犯罪者だけか? 彼らの罪を裁かない司法や警察に責任はないのか? 彼らに代わって復讐しよう」。本作はただ犯罪行為に手を染めた張本人のみが悪いのではなく、悪人と手を組み許すことで利益を貪る構造こそが悪であると、批判の刃を突きつけているのだ。
こうした悪しき構造を生み出す社会的弊害の象徴として、「カプチル」という言葉がこのドラマでも度々登場する。漢字で「甲質」と書き、契約書にある“甲”と“乙”から派生し「甲という地位を持って乙に取る不当な行為」を指すが、現在では辞書的な意味を越え幅広い関係性で指摘されるようになった。
韓国でカプチルという言葉が取りざたされるようになった大きなきっかけは、大韓航空の副社長が航空機内でのナッツの提供方法に激怒し、チーフパーサーに暴言を浴びせた上、強制的に降ろさせた、いわゆる「ナッツリターン事件」だった。日本でも職場や業界のパワーハラスメントを指摘する声が高まったのはここ数年のことだが、韓国では「ナッツリターン事件」によって、潜在的な暴力だったパワハラが明るみにされたのだった。
『復讐代行人 ~模範タクシー~』では、会社内で起きた暴力事件のエピソードで「カプチル」という単語が頻出する。そのほかにも、福祉施設と地元企業、警察が共謀して障害者を食い物にしたり、または生活保護受給家庭の生徒をターゲットに苛烈ないじめを加えたりといった、あらゆるカプチルを言葉やセリフだけでなく、目に見える構造で描くのも本作の特徴だ。韓国人権委員会のWebマガジン(※1)によれば、富や権力で弱者を抑圧するカプチルには、韓国社会が協力的で水平的な関係ではなく、垂直的で不公平な関係を中心に構成されていることがはっきり表れているという。潜在的な階級社会である韓国では、あらゆるシーンにカプチルが浮き彫りになるのだ。
韓国ドラマのカタルシスに一役買うのみならず、実際の社会をより良いほうへ力強く動かすエネルギーでもある、カプチルへの怒り。だが近年、別の問題も起きている。以前より取り沙汰されていた、アイドルやスターたちがマネージャーやヘアメイクなどスタッフに暴言を吐いたり、尊大な態度を取る“芸能人カプチル問題”がさらに拡大し、スターがファンに対する態度も“カプチルではないか?”と批判されるようになったことだ。
例えば今年、『ソンジェ背負って走れ』でライジングスターに躍り出たピョン・ウソクがアジアファンミーティングのために空港を出発しようとした際、彼のボディーガードたちが警備のためにラウンジ利用客の航空券をチェックしたり、フラッシュを向けたりしたことが過剰警護として非難を浴びた。警備業者はのちに謝罪したが、直接関係のないピョン・ウソク本人にも飛び火し、“芸能人は官職なのか?”と揶揄する記事(※2)もあった。
富と名声を得た芸能人はたしかに特権を持つ者だとも言えるため、振る舞いにカプチルが垣間見えることもあるだろう。だが一方で、違法薬物疑惑により私生活にまでバッシングを受け、自ら命を絶ったイ・ソンギュンのことを考えたい。彼の代表的なドラマ『マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~』のキム・ウォンソク監督の言葉(※3)を借りるなら、顧客である視聴者や観客の愛を受けなければ存在できない芸能人たちも、視点を変えてみればカプチルの犠牲になる。人間には誰しも、自分の中に積もった不満を、より弱い存在に向かって吐き出す暴力的な一面がある。甲と乙が様々な脈絡で突如入れ替わる社会の宿命について、我々はより慎重に学ばなければならないのかもしれない。
参照※1. https://www.humanrights.go.kr/webzine/webzineListAndDetail?issueNo=7602456&boardNo=76024※2. https://www.mk.co.kr/jp/entertain/11066534※3. https://moviewalker.jp/news/article/1222541/(文=荒井南)