「施設で死にたくない」…突き詰めると見えてくる、”自宅で死ぬ”ために必要な「たった3つのこと」
2015年に厚生労働省が出した統計によれば、日本人が亡くなった場所は病院、自宅の次に、「介護施設」が多くなっている。治療に特化した病院でもなく、住み慣れた自宅でもない「介護施設」で亡くなるとはどういうことなのか。
介護アドバイザーとして活躍し、介護施設で看・介護部長も務める筆者が、終末期の入居者や家族の実例を交えながら介護施設の舞台裏を語る『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(郄口光子著)より、介護施設の実態に迫っていこう。
『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第11回
『「私が母を施設に入れました」…親を介護施設に入居させた葛藤に苦しむ長男が見た、悲惨すぎる母の“変わり果てた姿”』より続く
自宅での看取りは最善の選択か
終末期をどこで迎えるのか。その選択肢のひとつに自宅があります。できることなら病院でも施設でもなく、住み慣れたわが家で最期を迎えたいと願う人が多いのも事実です。施設でのターミナルケアの詳細を述べる前に、自宅でのターミナルケアについて触れておきます。
在宅に不可欠なのは気力、体力、チーム
自宅でのターミナルケアには3つの要素が不可欠だと思います。その3つとは気力、体力、チームです。
気力とは、自宅でその人の最期を看取ることの意義です。たとえば「この家はおじいちゃんが建てたもので、家族が今日あるのはおじいちゃんが頑張ったおかげ。その大好きなおじいちゃんをこの家で見送るのはあたりまえで、それを支えることができなければ、この先私たちはやっていけない……」というくらい、自宅で看取ることに対してしっかりした意義を感じていること。その思いがそのまま、家族の気力となります。
そして、家族の中の誰かひとりだけが介護の負担を全面的に抱え込むのではなく、家族、親族含めた複数の人で介護の負担を支えていく態勢が整えられること。それがその家族がもっている体力です。
さらに、その気力、体力を補うチームの存在も欠かせません。チームには医師や看護師による訪問医療、ヘルパーによる訪問介護が含まれます。これらの専門職と家族の連携がよくとれていること、つまりチームワークも必須です。
ときどき自宅でのターミナルケアがテレビや雑誌などで紹介されることがあります。その多くの場合、主役はチームの象徴たるお医者さんです。医師といえば特別な存在で近づきがたいというイメージに反して、穏やかな人格者という雰囲気のお医者さんが家を訪ね、ベッド際で膝を折って「おばあちゃん、お変わりないですか?」と優しく声をかける。そんな場面に心を動かされ、「こんな先生がいたら私だって自宅で親を看取ることができそう」と思う人もいるでしょう。
『最悪の場合、『家庭崩壊』…メディアや厚生労働省が推奨する『在宅介護』の絶望的な現実』へ続く