高校1年生で妊娠し、16歳で出産した雑誌『I LOVE mama』モデルの佐々木なつみさん(22)。現在は2歳上の夫と5歳、3歳、1歳の息子と5人で生活しながら、モデルやインフルエンサーの仕事をしている。

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 そんななつみさんに10代での結婚や出産、子育て、若ママへの偏見などについて詳しく話を聞いた。(全2回の1回目/続きを読む)


佐々木なつみさん

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今まで経験したことのない体調不良で保健室へ

――改めて妊娠がわかった時の経緯を教えてください。

佐々木なつみ(以下、なつみ) 私が中学1年生の時に、隣の中学の2つ上の先輩だった彼と出会って。私も彼も卓球部だったので、部活の試合で同じ体育館にいたんです。その時に彼が私に一目惚れをして、そこから連絡先を交換して1年後くらいにお付き合いが始まりました。

 家族ぐるみで仲良くお付き合いしていたんですが、私が高校1年生の時、授業中に貧血でフラフラになって倒れてしまって。保健室で休んだんですけど、今まで経験したことのない体調不良で。これはなんだろうと、恐怖を感じました。

 家に帰ってから生理が遅れていることにも気づいて。それで妊娠検査薬を自分で買って、不安だったので友人にも来てもらって、一緒に結果を見ました。

――そこで陽性反応があったと。

なつみ そうです。びっくりしました。まさか、妊娠で体調が悪かったとは思わなくて。驚きと不安でいっぱいで、頭が真っ白でした。

 でも、一緒にいた友達がすぐに「おめでとう!」と言ってくれて。その言葉にすごく救われました。やっぱり高校生で妊娠って誰もがおめでとうって言えることではないのに、そう言ってくれたことで少し安心できたというか。

「頑張りたい。2人で育てよう」

――彼にはその日に伝えたのでしょうか。

なつみ はい、その日に伝えました。彼は驚いてはいましたが、「頑張りたい。2人で育てよう」って言ってくれて。「一緒に住むところを探して結婚しよう」って。彼は当時高校をやめて働いていたので、家族を支えるために2人で頑張ろうって。

――お互いのご両親はどんな反応でしたか?

なつみ まず私の母を呼んで彼が妊娠していることを伝えて。いつもは天然で優しくて笑顔の多いお母さんなんですけど、その日はずっと冷静でドンと構えてる感じでした。

 最終的には、「なつみの人生だからなつみが決めなさい。その選択を全力で応援するよ」って言ってくれて。付き合って2年くらい経っていたのと、お互いの両親が私たちの関係を知っていたので、その部分は安心できたんだと思います。

 それに彼は社会人として経済的にも安定していたので、2人なら大丈夫だという気持ちもあったみたいで。

――お相手のご両親も応援してくれたのでしょうか。

なつみ 応援するよって言ってくれましたね。彼のお母さんも10代で1人目を出産していたので、私の気持ちもすごくわかるって言ってくれて。「2人で頑張りなさい」って。

高校をやめて出産直前に入籍

――反対する方はいなかった?

なつみ 私の父だけでしたね。父は別で暮らしていたので、最初に伝えた時は、「ありえない」と断固反対という感じでした。「高校生で妊娠なんて……」と。

 その時はすごく悲しい思いをさせてしまったかなと、申し訳ない気持ちもありました。ただ父の気持ちを考えるとやっぱり絶対に幸せにならなきゃと。そういう姿を見せて安心させたいと思いました。

――妊娠がわかってから高校をやめたのでしょうか。 

なつみ それまでは普通に通っていたんですが、検査薬で陽性反応が出た後、病院に行ったら妊娠4、5週目だとわかって。

 この状態で高校に通うのは難しいということで、母と学校に行って。つわりがきつかったので、車の中に担任の先生が来てくれて、事情を話しました。女性の先生だったんですけど、泣いて喜んでくれて、「よかったね。おめでとう」って。すごく温かい言葉をもらって涙したのを覚えています。

 あとは仲良かった友達にはちゃんと連絡して。他のクラスメートには直接話せなかったんですけど、事情はわかっていたと思います。

――それから結婚、同棲が始まったのでしょうか。

なつみ その時は彼がまだ17歳で結婚できる年齢ではなかったので、18歳になるまで待って、出産前の11月22日に入籍しました。

 一緒に住み始めたタイミングは出産後ですね。それまでは彼が私の実家に来てくれたり、彼の実家に泊まったりとか。出産前の入院中に彼が家を探してくれて、退院して育児ができるように整えてくれていました。

つわりがひどく、マタニティブルーにも

――15歳で妊娠、16歳で結婚と生活がガラリと変わったと思いますが、当時の心境は?

なつみ まず体調の変化が一番大変でした。つわりの症状が早くからあったので、結構しんどくて。

 最初はずっと吐きづわりで、全然食べれなくて。それでも子どものために食べるんですけど、吐いてしまうので点滴してもらって。先生は、「子どものために2人分食べなきゃって言うけど、今は食べられるものを食べられるだけ食べて、それでも吐いて辛い時は点滴に来て大丈夫だよ」って言ってくれて。

 体重に関してもあまり言われることがなかったので、ありがたかったですね。体重は最後まで増えなくて、結局プラス4キロくらいでした。3人目の時はプラス10キロ以上増えたので、年齢も関係していたのかなと思いますね。

――マタニティブルーになることは?

なつみ ありました。友達にはあまり会えないし、彼は日曜日以外は働いているので、メンタル的にも辛かったです。何もなくても涙が出てきたりして。

 でも実家の愛犬が常にそばにいてくれたので、支えになっていました。

――16歳での出産はリスクもあると思いますが、病院で何か言われましたか?

なつみ 近くの産婦人科では診ることができないとのことで、地域で一番大きく、NICUが併設されている病院に通っていました。まだ10代ということもあって、出産が心配だったんですが、お腹の中で健康に育ってくれて。

 ただ切迫早産になる可能性もあると言われてました。

緊張と不安でいっぱいだった初めての出産

――出産はどうでしたか?

なつみ 妊娠7ヶ月くらいの時に、頸管長が短いということで絶対安静のため数日間入院しました。ベッドの上でお腹が張らないようにずっと点滴生活で。薬を流して赤ちゃんが降りてこないようにしてました。

 出産は36週と0日で、先生から言われていた通り予定日より1ヶ月くらい早いお産でした。その前から入院して点滴を打っていたんですけど、このままじゃ36週より前に生まれてしまいそうと言われて。36週未満の出産は、早産児扱いになって、手続きをしなければいけないらしく、先生からは「なんとか36週は超えてほしい」と言われていました。

 でも、35週と6日の夜に陣痛が始まって。分娩台に移動して36週になるまで点滴を打って、36週を超えたタイミングで点滴を抜いたらすぐに強い陣痛が始まって、3時間くらいで生まれました。

――当時の心境はいかがでしたか?

なつみ 初めての出産だったので、どうしたらいいのかわからなくて。緊張と不安でいっぱいでした。陣痛の痛みも今まで経験したことのないような痛みで。

 でも、10代の出産だからか、看護師が10人くらい周りについてくれていたんですよ。彼も立ち会いしてくれて、いろんな人に支えられて、深呼吸の仕方や楽な姿勢、いきみ方を教えてもらってなんとか出産することができました。赤ちゃんと対面した瞬間、彼と泣きあって、本当に幸せな瞬間でしたね。

最終的には応援してくれた父

――産後の体調はどうでしたか?

なつみ 産後、すぐに体重を測ったら、出産前の体重と一緒だったんです。体の回復もすごく早くて。今思えば、若いからだったんだと思います。20代の産後とは全く違いました。

――16歳とかなり若い出産ですが、病院でジロジロ見られたり、年齢について何か言われたりすることはありましたか。

なつみ ありましたね。定期健診は母と一緒に行っていたんですけど、待合室とかで視線を感じました。妊娠中はつわりや入院であまり外を出歩くことはなかったんですが、育児が始まってからはスーパーやバスとかで高齢の女性からジロジロ見られることはありましたね。

――出産後のご両親の反応はいかがでしたか?

なつみ すごく可愛がってくれます。

 最初に妊娠を報告した時、父は大反対していましたが、妊娠後期くらいに父が久しぶりに実家に来て、私の大好物のお菓子をたくさん買ってきてくれて。「元気か? 体調は大丈夫か?」って。

 それまで全く話していなかったし、連絡も取っていなかったんですが、父から歩み寄ってくれて。父なりにいろんな葛藤があったと思うんですが、最終的には応援してくれて、本当に嬉しくて。その時はたくさん泣きましたね。

 今では孫が大好きなおじいちゃんって感じで、おもちゃを買ってくれたり、たくさん可愛がってくれています。

 ただ出産後に産後うつになってしまって、そこからは本当に大変な育児生活でした。

15歳で妊娠、高校退学し16歳でワンオペ育児…出産した三児の母(22)が語る、若ママへの偏見「子どもが子どもを産んだって…」〉へ続く

(「文春オンライン」編集部)