【惜しい! 無念!】 Q45、180SXにラシーン! 一代限りで終わってしまった名車たち:日産編
インフィニティQ45(1989〜1996年)
トヨタがセルシオを発売したのと同じ1989年に、日産から斬新な高級車がデビューした。それが『インフィニティQ45』だ。
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全長5090×全幅1825×全高1430mmの堂々たるボディに4.5LV8エンジン(280ps)を搭載し、油圧式アクティブサスペンション仕様を用意。
インフィニティQ45(1989〜1996年) 日産
グリルレスのフロントマスク中央に七宝のエンブレムを取り付けた斬新なエクステリアに、インテリアは木目を使わず金粉蒔絵のインストゥルメントパネルを用意するなど独自の美を追究。ディーラーオプションで18金製のゴールドキーを販売したほどだ。
後期型では七宝エンブレムが廃止されダミーグリルが取り付けられたが、販売面ではトヨタ・セルシオや同門の初代シーマに大きく差をつけられてしまった。しかし走りは欧州の高級車のようで、とくに高速時の安定性は特筆に値するものであった。
その後は三代目シーマや、プレジデントJSが実質的な後継車となり、インフィニティQ45は一代限りで販売を終了した。
180SX(1989〜1999年)
日産シルビア(S13型)の発売開始から1年が経った頃、日産から新たに1.8Lターボエンジンを搭載するハッチバック・スタイルのFRスポーツカーが誕生。それが『180SX』だ。
このクルマは北米向けに発売されていた240SXのハッチバック・モデルを日本向けに仕立て直したもので、ボディやメカニズム、インテリアなど、ほとんどのパーツを日本市場における兄弟車のシルビアと共用している。
日産180SX(1989〜1999年) 日産
エクステリアではリトラクタブル・ヘッドライトを採用しており、シルビアとは別のイメージを構築していた。メカニズムではシルビアには用意があったNAエンジンの設定がなく、ターボ仕様のみとなっていた。
180SXは大きく分けて前期型(1989〜1991年)、中期型(1991〜1996年)、後期型(1996〜1999年)がある。エンジンは前期型のみCA18DET型(1.8L/175ps)で、中期型以降はSR20DET型(2.0L/205ps)を搭載した。
シルビアが1993年に3ナンバーサイズのS14型にモデルチェンジしても180SXは根気よく販売を続け、マイナーチェンジのたびにボディ剛性などを強化して走りを磨いてきた。
そのため現在の中古車市場で後期型の人気はとても高くなっている。シルビアはS15型まで継続したが、5ナンバーサイズの180SXは一代限りで引退となってしまったのが残念でならない。
スカイライン・クロスオーバー(2009〜2016年)
スカイラインにとって七代目(R31型/1986〜1990年)以来となるステーションワゴン・タイプ、それが『スカイライン・クロスオーバー』である。
同時期に発売していたスカイライン・セダン/クーペ(V36型)とプラットフォームは基本的に同じだが、スタイリングを考慮した結果ホイールベースを50mm短縮し、SUVらしいボリューム感のあるルックスを作った。
日産スカイライン・クロスオーバー(2009〜2016年) 日産
このクルマの正体は、日産の高級車ブランドであるインフィニティが北米向けに発売した『EX35』の日本向けモデル。ボディサイズは全長4635×全幅1805×全高1575mmでホイールベースは2800mm。見た目ほど実際のサイズは大きくないのだが、デザイナーの手腕によって若々しく遊び心のあるエクステリアデザインとなった。
メカニズムはエンジンが3.7LV6(VQ37VHR/330ps)で、トランスミッションは7速AT。後輪駆動と4WD(アテーサE-TS)を採用する。サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーン、リアは新設計のマルチリンクで、タイヤは全車18インチ。オールシーズンタイヤなのが、北米仕様との共通点を感じさせる。
リーマンショックや自動車税の高さなどもあって販売は好調とはいえなかったが、当時取材し、クルマのデキは良かったと記憶する。しかしスカイラインの名称を使ったクロスオーバーに、違和感を覚えたファンもいたのではないか。引き継がれてきた名車の名前を使うなら、二代、三代と続けていく覚悟が必要だったのかも知れない。
ティーノ(1998〜2006年)
『オールマイティーノ』のキャッチコピーどおり、ワイド、ショート、ハイトな独特のプロポーションを持つ『ティーノ』。ゆったりとした室内空間は前席3名、後席3名の6人乗り。実際は前席2名+1くらいのスペースではあったが、いずれにしてもサニー(B15型)の『MSプラットフォーム』がベースであることを考えれば、いかに3ナンバーに至る全幅の拡張(1760mm)が利いているかがわかる。
パワートレインは2L直4 (SR20DE型/135ps)+ハイパーCVT、または1.8L直4(QG18DE/120ps、122ps)+4速ATを当初用意し、2000年には100台限定でハイブリッド仕様も発売された。
日産ティーノ(1998〜2006年) 日産
当初からハイブリッド仕様を販売する計画であったため、高床式、かつ2重底となっているのだが、わずか100台という少なさに違和感を覚えたのを記憶している。
スペイン製でヨーロッパ向けとなる『アルメーラ・ティーノ』も発売されたが、主力はディーゼルエンジン車であり、日本仕様の生産は日本で行われた(村山工場、九州工場)。
ライバルはフィアット・ムルティプラやホンダ・エディックスだが、こちらは前席が完全な3人乗りであるのが大きな特徴であり、ティーノとのコンセプトの違いは明確。ムルティプラの室内は広く、乗り心地は優雅。エディックスも広いが、乗り心地は意外と引き締まっている。
では仮にティーノに二代目があったらどんなクルマになっていたのか。興味は尽きない。
ティーダ(2004〜2012年)
ティーダはどこか欧州車の匂いがする。もしくは世界戦略車かと思えるような、堂々たる雰囲気が感じられる。一代限りで終了した日産車をリストアップしていて、当初はティーダがそれに該当するとは思わず、車種一覧からドロップさせてしまったほどだ。
というのも、二代目、三代目ティーダは日本でこそ販売されなかったものの、海外では生産、販売されている。しかし日本国内においては、初代モデル(C11型)のみで販売を終了した。
日産ティーダ(2004〜2012年) 日産
ティーダは日本国内ではパルサーの後継車であるが、ルノーと共同開発したアライアンスBプラットフォームをベースにホイールベースを延長したものを使う。ボディは5ナンバーサイズ(全長4205×全幅1695×全高1535mm、ホイールベース2600mm)で、日本の道路事情を考慮しつつ、上級モデルに遜色ないゆとりある室内空間を実現した。
エンジンはルノーと共同開発した1.5L直4(HR15DE型/109ps)を搭載。2005年には同じく新開発の1.8L直4(MR18DE型/128ps)を追加設定。トランスミッションは4速ATまたはCVTだが、2008〜2010年頃の一部グレードに6速MT車も存在した。
ルノーとのアライアンスを思うと、当時乗ってもルノー・テイストと思しき味はあった。ボディ剛性はしっかりとしており、シートもサイズが大きく柔らかく腰があり、ハンドリングも良好。二代目以降も見て乗ってみたかったクルマである。
ラシーン(1994〜2000年)
1993年の東京モーターショーに参考出品した試作車が好評だったため、細部を煮詰めて1994年12月に市販化された『ラシーン』。Be-1やパオのような単発のパイクカー・シリーズと見るか、日産のレギュラーラインナップに新しい車種が加わったと見るか。つまり当企画の『一代限り』に当てはまるかどうか、だ。
嘘か誠か、筆者は二代目誕生の噂を聞いたことがある。そして6年間にわたりマイナーチェンジを実施しながら販売し続けた事実を鑑みて、この企画で紹介することにした。
日産ラシーン(1994〜2000年) 日産
ラシーンのプラットフォームはサニー(B13型系)の4WD車と共通項が多い改良型。全車ビスカスカップリングを使ったフルタイム4WDだが、本格的なクロスカントリーカーではない。
パワートレインは当初、1.5L直4(GA15DE型/105ps)のみであったが、1997年には1.8L直4(SR18DE型/125ps)、続いて2.0L直4(SR20DE型/145ps)を追加設定。組み合わされるトランスミッションは、4速ATまたは5速MTだ。
ラシーンには特別仕様車が毎年のように企画、販売され、1998年にはスポーティモデルの『フォルザ』を追加設定するなど、さまざまなモデルが発売された。生産台数は7万台オーバーだが、よほどのラシーン・マニアでないと、モデル名や装備内容を正確に把握できないだろう。今でも中古市場で超人気の『一代限りの』モデルである。