大阪に向かう新幹線の車中、仲良くツーショットに収まるなべやかん(左)と村瀬継蔵氏

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 「大怪獣ガメラ」など数多くの特撮映画の着ぐるみを手がけた美術造形家の村瀬継蔵(けいぞう)氏が89歳で亡くなった。生前から深い親交のあった芸人でコラムニストのなべやかんが村瀬さんと共に過ごした日々を振り返り、その人柄をつづった。

【写真】映画宣伝イベントで一堂に会した村瀬継蔵さん、斎藤工、釈由美子、なべやかん

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 特殊造形界の父・村瀬継蔵さんが10月14日、非代償性肝硬変のため死去された。村瀬さんと最初にお会いしたのは『忍者烈風』(TOKYO MX)を作った木川さん(※スタントマン、医師、演出家の木川泰宏氏)の紹介だった。

 その時に今まで造形した様々な写真を見せていただくと、ウルトラシリーズの怪獣や東宝特撮映画の怪獣達の他に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』に登場した大仏魂や岡本太郎さんの太陽の塔内部も造形していた!「工房に岡本太郎さんが来てくれたんですよ」と当時の話もしてくれた。

 多くの写真がある事がわかったので、ソフビメーカー・M1号代表の西村祐次さんに話をし、『怪獣秘蔵写真集 造形師村瀬継蔵』が発売する流れになった。その頃から事あるごとに村瀬さんにお会いすることが増え、造形工房のツエニーさんにもお邪魔していろんな物を作っている所を見せてもらった。映画やテレビの特殊造形だけでなく、皆が大好きなテーマパークの目玉になるような物も作っていたり、劇団四季『ライオンキング』の動物たちも作っていた。

 地元である(※東京都西多摩郡)瑞穂町で村瀬さんの造形物展示イベントの時は声をかけていただき、自分のコレクションも展示した。当時村瀬さんが作ったチタノザウルス(『メカゴジラの逆襲』、1975年)を持って行くと、「うわー、懐かしいな~。残ってたの~、うれしい」と喜んでくれた。そして、トークショーでは司会をやらせてもらい、撮影当時の話を聞かせてもらった。

 当時はどんな風にゴジラやモスラを作ったのか、そんな事を聞かれる事が多くなると、当時と同じ作りでゴジラの皮膚やモスラの目を再現し、それを記念にいただいたりもした。

 今年、村瀬さんが長年温めて来た企画が形になり、総監督作としてアナログ特撮映画『カミノフデ~怪獣たちのいる島~』がゴジラの聖地・TOHOシネマズ日比谷で7月に公開された。公開前のGW、大阪コミコンの大舞台で映画宣伝をする事になり、司会をお願いされた。村瀬さん、特撮監督の佐藤大介さん、俳優の釈由美子さん、そして斎藤工さんが飛び入りゲストで登壇。華やかな舞台になり、良い宣伝になった。

 大阪に行く新幹線の中で様々なお話をしたが、村瀬さんの話で特に思い出深かったのは、ロスに行った時のエピソードだ。ゴジラ造形をした若狭新一さんが世界で超有名な特殊メイクアーティストのリック・ベイカーさんとランチタイムを設けてくださったのだ。リックさんと言えばキングコングの造形が有名でハリウッドで猿を作らせたら右に出る者はいないと言われている人。村瀬さんは『北京原人の逆襲』(※日本公開78年の特撮映画)で巨大猿のような北京原人を造形し、スーツアクターもした人。着ぐるみを作った時の苦労話や毛に何を使ったなど、二人の会話を若狭さんが通訳してくれた。

 村瀬さんが入院された事を聞き、病院にお見舞いに行くと病室に『クレクレタコラ』(※73~74年放送のフジテレビ系番組)のフィギュアが置かれていた。「タコラは村瀬さんが着ぐるみを作ったのですよ」。そんな事を看護師さんに説明した。

 お見舞いに行く前は「意識があったりなかったりだから…」なんて言われていたのに、僕の事を認識してくれ「なべちゃ~ん」と言ってくれた。「あと2日で89歳の誕生日ですよ、頑張らないと」。そんな声掛けをしながら、一緒に足踏み体操をした。

 数日後「主治医から余命1週間くらいと言われました」と息子さんから連絡があったので病院へ。その時は前回より調子良く見え、村瀬さんは寝ながら、テレ東『午後のロードショー』を観ていた。「途中から観たから意味がわからないよー」と何度も言い、そして、また一緒に足踏み体操をした。

 村瀬さんの訃報を聞いた時、回復して退院を願っていたので残念でならなかった。でも、本人はすごく頑張っていたので、楽になられたのかな?

 生前はかわいがってくれて本当にありがとうございました。今年一緒に大阪旅行に行けた事も良い思い出です。村瀬さん、寂しいですがありがとうございました。

(コラムニスト・なべやかん)