【新生児取り違え事件】母の入院で真実を知った66歳男性の悲痛な叫び 「自分は何者なのか知りたい」

写真拡大 (全5枚)

幼少期からずっと感じていた”違和感”

「幼少期からずっと『家族の中で私だけ異質な存在だ』という違和感が拭えなかった。弟がかわいがられる一方で、父から強く当たられ、酒が入るとよく殴られた。親戚の集まりでも、『家族の誰にも似ていない』と言われ続けました」

僕が何をしたというのだ――。疎外感を抱きながら育った江蔵智(えぐらさとし・66)さんは「ここは自分がいるべき場所ではない」と、14歳で家を飛び出した。友人の親が営む飲食店に転がり込み、中学校にもほとんど行かず働き始める。おしぼり屋、トラックドライバー、建設業、製本業など職を転々。ほぼ休みなしでがむしゃらに働いた。20代で結婚したが、2年で離婚した。「愛された記憶が薄く、家庭の作り方が分からなかった」と江蔵さんは回顧する。

離婚後、車の販売業や不動産業の会社を興し、軌道に乗せた。経営者としての生活にも慣れ、ようやく人生が好転し始めた江蔵さんが衝撃の事実を知ったのは、’97年のこと。母が入院した際の血液検査で、自分が両親と血のつながりがない可能性が判明したのだ。この時、すでに39歳になっていた。

「私の血液型はA型ですが、父はO型、母はB型と、生物学的にありえない組み合わせだったんです。子供の頃の疎外感はこれが原因か、と納得できるところもありましたが、その事実は受け入れ難く、『突然変異で生まれた子供なんだ』と無理矢理、自分を納得させました」

当時のDNA鑑定は一人あたり180万円と高額。父、母と合わせ3人分の費用を捻出する金銭的な余裕はなかった。

「取り違えがあったとしか考えられない」

’04年、運命がついに動き出す。江蔵さんの話を伝え聞き、関心を持った大学教授が無償でDNA鑑定を行うと申し出たのだ。そこで得られたのは、江蔵さんと″両親″との血縁関係は認められないという結果――。46歳にして、アイデンティティの根幹が崩れた。

「病院での出生時に取り違えがあったとしか考えられない」

意を決して江蔵さんは同年、東京都を相手に損害賠償を求める裁判を起こす。会社もたたみ、育ての親の介護に従事しながら、自身の出自を知ることに注力した。

裁判を始めてからも、出自に関する真実を知りたいという気持ちは抑えきれなくなっていく。’05年、手がかりを得るべく、江蔵さんは自身が生まれた都立・墨田産院を訪ねた。

だが、産院はすでに老人ホームへと姿を変えていた。当時の出産記録がまとめられた墨田産院の記念誌も調べたが、江蔵さんが生まれた’58年2〜7月の記録だけが抜け落ちていた。

「当時、私は福岡に住んでいたのですが、本当の親を知りたく、週末は毎週のように東京に通っていました。墨田区は当時、住民基本台帳の閲覧が可能だったので、墨田区で私の誕生日の前後10日に生まれた人達を調べた。この中に取り違えられた相手がいるのではないかと家を訪ね、『あなたがどの産院で生まれたのか教えて下さい』と聞いて回りました。全部で60軒近い数となり、全て回るのには2年ほどかかりました」

手掛かりは得られなかったがこの年、’58年の墨田産院での″新生児取り違え事件″の被害者であることが裁判で認められた。

’06年の二審では江蔵さんと育ての親への損害賠償の支払いが命じられたが、都はプライバシー保護を理由に、一切の事実調査を拒否。区から開示された戸籍受付帳も多くが黒く塗りつぶされていた。江蔵さんは’21年、調査を求め、やむなく再び都を提訴した。

「取り違えで私の人生は狂ったし、育ての母も都の職員から『(江蔵さんは)あなたの浮気で出来た子なんじゃないのか』と心無い言葉を浴びせられた。法律や個人情報を盾に、都が全く動かないのは道義的におかしいと思うのです」

せめてもの「願い」

裁判は現在も継続中だ。今年8月の裁判官交代を受け、この間に提出した専門家による国際人権法の観点からの意見書を踏まえたプレゼンテーションなども実施した。裁判資料を読むと、プライバシー権との両立など、日本では出生の状況を知る権利の法案化へ向けて、まだまだ課題が山積みであるとも感じさせられる。

生殖補助医療の在り方を考える議員連盟の事務局長を務める、伊藤孝恵参院議員(49)が解説する。

「問題となるのは、どこまでの情報を開示するか。実は、諸外国でも出生に関する全ての情報を開示する国は多くありません。子供達が知りたい情報のデータストック、ルートの確保、段階的な開示方法について議論を進めています」

江蔵さんも法整備の難しさは理解している。そのうえで、こう力を込めた。

「(出自に関して)知らないほうが幸せ、という人もいます。ただ、私を含むこれまでお会いした当事者達は違う。取り違えられた子の救済は必要なのではないでしょうか。本当の親はもう90歳を超えるような年齢だと思います。生きているかさえも分からない。相手の家族の意思を尊重し、相手が望まなければ、それ以上の関係になるつもりもありません。
生みの親に自分がどんな人生を歩んできたかを伝えたい。そして、親の人生もどうであったかを知りたい。純粋にそれだけなんですよ。自分は何者なのかを、ただ知りたいだけなんです――」

都は請求棄却と却下を求めている。江蔵さんの悲痛な叫びは、はたして届くのだろうか。

『FRIDAY』2024年10月18・25日合併号より

取材・文:栗岡史明 (本誌記者)