ごく普通の女性が服を脱ぐ…「他者の喜びが自分の興奮」ストリッパーの女性に隠された「刺激的な」素顔

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1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。そんな人生を歩んだ彼女を人気漫才師中田カウス・ボタンのカウスが「今あるのは彼女のおかげ」とまで慕うのはいったいなぜか。

「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。

『踊る菩薩』連載第19回

『「その色気に思わず吐息がもれてくる」…ストリップ界の「看板」一条さゆりがはまった「ロウソクの恍惚」』より続く

最大のライバル

普段前掛けをしている庶民派の彼女が舞台に上がると、情熱を込めて派手な芸を披露する。そこまで舞台に打ち込めた理由はどこにあるのだろう。一つは彼女の持って生まれた、負けず嫌いの性格だった。

俳優の金子信雄との週刊誌上での対談(76年)で、最大のライバルで友人でもあった、レスビアンショーの桐かおるを意識していたと明かしている。

「ずっとレスのショーが続いて、わたしがトリです。これはつらい。わたしのショーのとき、お客さんが帰らせんやろかと思ったりしてね。もしお客さんが席を立ったら、トリの値打ちはない。そう思っていました」

天賦の才のサービス精神

レスビアンショーは女性2人が裸になっての芸である。当然、一人だけの芸よりも迫力は出やすい。それに負けないためには、「普通のことをやったんではとてもかなわない」と一条は思った。私のインタビューに答えるとき、彼女はいつも穏やかでのんびりとしていた。ただ、舞台のことになると強い競争心が、もたげてくるようだった。

「ステージに立つときは、みんな競争相手と思ってました。人気のある人には対抗意識がありましたよ。どこがあたしより、ええんかなって研究してね。なんとかして、一番の人気者になりたいって気持ちはあったね」

彼女は確かに負けず嫌いだった。一方、私はインタビューをしながら、彼女はそうした感覚以上に、客へのサービス精神を強く持っていると感じていた。一条はとにかく客を喜ばせ、楽しませたかった。客の満足した表情が、刺激となって自らに返ってきた。他者の喜びが自分の興奮につながった。エンターテイナーとしては天賦の才があった。

「あたしはお客さんの喜ぶ顔を見ているのが楽しかった。あれに勝る感動はありません。劇場のお客さんが全員、じっとあたしを見てくれている。横を向いたり、目をつぶったりする人はいない。お客さんの目が刺激になって、気持ちよかった。だからうちの人に、『抱いたろか』『ホテル行こか』と言われても、全然興味ない。お客さんの前でロウソクしていることに比べたら、男の人とのこと(セックス)も刺激がないんやね」

『「舞台のほうが何倍も濡れた」…わいせつ罪で法廷に立ったストリップ界の女王の「子宮に飲み込まれるような一体感」の秘密』へ続く

「舞台のほうが何倍も濡れた」…わいせつ罪で法廷に立ったストリップ界の女王の「子宮に飲み込まれるような一体感」の秘密