バツイチ、ヘルニア、糖尿病...59歳の女性がテレクラで売春を続ける理由。「こう見えても私、人と話すのは好きだからさ」

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出会いを求める男性が、個室に設置された電話機に女性からコールがくるのを待ち、意気投合したらデートするーー。これは昭和バブルの絶頂期に一世を風靡した出会いツール、テレクラの光景だ。しかし本誌記者がテレクラを利用したところ、現在は出会いの場として機能しておらず、売春の温床となっていることが明らかになった。そこでテレクラで売春する女性を取材。話を聞いているうちに、金銭目的だけではない複雑な心情が浮かび上がった。

前編『「私ワリキリしかやってないから」…昭和の出会いツール「テレクラ」は今どうなっている? 潜入取材で見えてきた「売春の実態」』から続く。

現代のテレクラの存在意義

最盛期には都内だけでも数百軒がひしめき合い、男女の出会いツールとして爆発的な人気を誇ったのがテレフォンクラブ、略して「テレクラ」だ。前編では、そんな昭和の出会いツールの現状を詳報してきたが、記者の体感では売春希望が8割、冷やかし目的が2割といったところで、すでに出会いの場として機能していないことが明らかになった。

事実、電話越しに何度も食事に誘ってみたが、「そういうのいいから」「いまお腹いっぱいなんですぐにホテル行ける人を探してる」などと拒否して、売春を持ちかけてくる女性も多かった。だが、長年にわたりテレクラを取材している、歌舞伎町ウォッチャーの仙頭正教氏は「そういう女性にとって、テレクラは社会のセーフティーネットのような存在になっている」と言う。

「過去に何度もテレクラの女性と会ってきましたが、彼女たちに共通するのは”社会性の欠如”に他なりません。もちろん全員がそうとは限りませんが、仕事も長続きせず、まともなコミュニケーションが取れない女性がやけに多い。とにかく人の話を聞こうとせず、自分だけがペラペラと喋って、会話のトピックをいきなり変えてきたりもする。これが10代とかなら分かりますが、40〜50代の中年女性がこんな話し方だったら少し距離を置いてしまう方も多いのではないでしょうか」(仙頭氏、以下「」も)

そんな一般社会に溶け込みづらい中年女性たちが、最後にたどり着くのが「テレクラ」なのだという。

出会い系サイトの場合、売春目的でも若くて愛想のいい子が多いため、中年女性たちは相手にされません。ところがテレクラの場合、利用客も中年男性がほとんどなので、彼女たちのような”オバちゃん”でも戦える。しかもテレクラは電話一本で完結するので、出会い系サイトのようにメッセージのやり取りをする必要もなく、しゃべってるだけでアポ(会う約束)までこぎ着けられる。そういう意味でも、彼女たちにとってテレクラは社会のセーフティーネットのような存在になっているんじゃないかと思われます」

59歳の女性がテレクラで売春を続ける理由

そんななか取材に応じてくれたのは、今からおよそ5年前からテレクラで売春してるという、ユリエさん(仮名・59歳)だ。8月下旬、待ち合わせ場所に現れた彼女は、白髪交じりのロングヘアーにくわえて、右手には杖をついている。記者の存在に気づくとニコッと笑ってお辞儀してきた。

混雑するカフェの一席に腰を下ろすと、彼女は人目も気にせずにテレクラで売春する理由について赤裸々に語りだした。

「見てのとおり、ヘルニアでコルセットと杖がないと歩くのは辛いし、糖尿病で毎月3回の注射と通院は欠かせないの。だから私はふだん、テレクラでつながった男の人を自宅に呼んでワリキリ(売春)してる。その方がわざわざ繁華街のホテルに行く手間が省けるし、体にも負担がかからないからね」(ユリエさん、以下「」も)

ユリエさんは現在、都内の家賃5万円代のワンルームアパートに一人暮らし。そこで一回あたり1万円の”お小遣い”をもらっているが、それでもテレクラの収入は月に5万円にも満たないという。

「べつに私、毎日テレクラに電話してるわけじゃないから。ふだんは工場でアルバイトもしてるよ。でも、腰が悪いから週に3回程度しか働けてなくて5、6万円くらいしかもらえてない。だからリピーターの人に家賃を支払ってもらったり、ご飯をご馳走してもらってなんとか生活してるの」

当然のことだが、自宅に見ず知らずの男性を招き入れるとなると危険をともなう。ユリエさんも「昔と比べてもお客さんの数はそんなに変わらないけど、変なヤツは増えたよね」とため息をつく。真偽は定かでないが、彼女自身も「(自宅に来た)男性に仲間を呼ばれてレイプされかけた」「ネットに『〇〇(女性が住む最寄駅)の女は自宅でヤラせてくれる』と書き込まれた」などと過去の被害を語るが、そんなリスクを背負いながらもなぜテレクラで売春を続けるのか。

「やっぱり出会い系サイトと違って電話するだけだからラクだし、なんだかんだ男の人と会うと楽しいからね。こう見えても私、人と話すのは好きだからさ。職場(アルバイト先の工場)じゃ最低限の会話しかしないし、友達も少ないからテレクラ以外の日はいつも一人なの。職場と家の往復だけだからさ、趣味の2スロ(2円スロット)も一人で行ってるよ」

取材を続けるうちに心を開いてくれたのか、「そういえばお兄さん、免許持ってる? 今度ドライブしたいから運転してよ」などと笑顔でせがんでくる。以降も、記者に対して「お給料いくらもらってる?」「次ヒマなときご飯どっか食べに行こうよ」などとひと通りしゃべり倒したあとで、自らの生い立ちについてこう語る。

40歳のころに結婚、出産したものの…

「地元は関西の方で、お父さんとお母さん、それと弟の4人暮らしでふつうの家庭だったよ。勉強とかはぜんぜんだったから、中学を卒業したら服飾系の専門学校に行ったんだけど、そういう仕事には就かずに喫茶店のウエイトレスとか靴屋さんとか色んな仕事をしてた。若いころは大阪のホストクラブにも行ってたけど、一度も水商売とか風俗はやったことない」

その後、仕事を転々とするうちに関東へ移り住み、ゲームセンターで知り合った男性と40歳のころに結婚。同年に第一子を出産したが、幸せな日々は長続きしなかった。

「まあできちゃった婚だったから、あっち(元旦那)も別れたかったんじゃない? すぐに仲悪くなって1年後には離婚したからね。それから子どもはお母さんが面倒を見ることになったから、私は一人で暮らすことになったんだけどさ、当時は仕事したりしなかったりでフラフラしてたからお金がなくて(笑)。だからヤレばお小遣いもらえるテレクラを始めたってわけ」

ユリエさんが初めてテレクラに電話をかけたのは、41歳のころにさかのぼる。それから千葉県の工場で働きだし、従業員寮に住みだしたことをきっかけにテレクラからは一度足を洗ったが、今から5年前に断続的に腰の痛みが続くようになり「椎間板ヘルニア」と診断される。腰を痛めてからは思うように働けず、ふたたびテレクラで”お小遣い”をもらう生活に逆戻りしたという。だが、ユリエさんは前向きだ。

「まあ先のことなんて分からないし、なるようになると思って生きてるよ。息子に関しても最後に会ったのは15年以上前になるけど、お母さんに聞いたら料理の専門学校に行ってそういう関係で働いてるみたいだから安心してる。まあ自分が産んだ子だし、やっぱり会ってみたい気持ちはあるけどね。でも、今さら会っても覚えてないでしょ。『あんた誰?』なんて言われたらそれが一番ショックだし」

そんな複雑な感情を抱えながら、今日もユリエさんはテレクラに電話をかける。

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