イーロン・マスクが世界中で「表現の自由」を振りかざした末路…"Twitter大国"が「利用停止」に踏み切ったワケ
■ブラジル最高裁が「Xの遮断」を決定
8月31日、ブラジルで突如X(旧Twitter)へのアクセスができなくなった。
ブラジル連邦最高裁判所(以後、最高裁)のアレシャンドレ・デ・モラエス判事の命令に従い、ブラジル電気通信庁が国内2万社以上のインターネット接続事業者にXの即時遮断を通達したためだ。
9月2日には最高裁第一小法廷において、裁判官5人が満場一致でブラジルでのサービス停止命令を承認し、以来、ブラジル国内ではXにアクセスできない状態が続いている。
寝耳に水のX停止にブラジルの各種メディアは今、傍若無人な言動で知られるX会長イーロン・マスク氏と強行的なモラエス判事のマッチアップを酒の肴に表現の自由と国家の主権のどちらが尊重されるべきかについて激論を展開している。
■世界4位のXユーザーを抱える国で何が起きているのか
人口約2億1531万人を数え、スマートフォンも普及しているブラジルは、Xにとっても大きなマーケットの一つで、世界で4番目に多い約2000万ユーザー(日本は2位)を数えている。情報発信にXを利用している自治体などの公共団体も多く、Xの停止は国内有数のコミュニケーションツールの一つが社会から奪われたに等しい。
最高裁がXの停止命令を下した直接の理由は、Xが8月17日にブラジル事務所を閉鎖した後も、ブラジルで海外企業が事業を行う際に必要な法定代理人を置かずにSNS事業を続けてきたことと、1800万レアル(約4億6000万円)に上る罰金の未払いだ。罰金はXが偽情報を発信するユーザーのアカウントの封鎖に応じていないことによるものだ。
■「恥を知れアレシャンドレ」
イーロン・マスク氏とモラエス判事との対立はすでに数カ月に及んでいる。確執が世界的に知られたのは、今年4月6日にマスク氏がモラエス判事の過去のXのツイートに対して「なぜあなたはブラジルでこんなに多くの検閲を命じるのですか?」とリプライしたことに始まる。
翌日には「近々Xはアレシャンドレ・デ・モラエスの要求すべてと、その要求がいかにブラジルの法律に違反しているかを公開します。判事はあからさまに、繰り返しブラジル憲法と国民を裏切ってきた。彼は辞任するか弾劾されるべきだ。恥を知れアレシャンドレ」と痛烈に批判した。
最高裁がフェイクニュースの根絶に躍起になっているのは、左派のカリスマであるルーラ現大統領の就任直後の2023年1月8日に、選挙に不正があったとする偽情報に扇動された右派の前ボルソナロ大統領支持者ら約4000人が、ブラジリア三権広場の大統領府、国会議事堂、最高裁を襲撃したからだ。この暴動はアメリカのトランプ前大統領支持者らによる2021年のアメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件を倣った、国家権力を脅かす事件として記憶に新しい。
以後、前選挙高裁長官でもあるモラエス判事はブラジル国家のフェイクニュース対策の中心的存在としてSNSの取り締まりを強化してきた。
■「ユーザーの情報を集めようとした証拠」を公表
これに対してマスク氏は、最高裁による高圧的な情報要求を「国家による検閲だ」と訴えて応じず、徹底抗戦の姿勢を示してきた。
マスク氏は4月、本人がツイートしたとおりに「ツイッター・ファイルズ・ブラジル」と呼ばれる文書を公開した。文書はブラジルで旧Twitterの法律顧問を務めた人物と同僚らとのメールのやり取りを示したもので、そこには顧問の男性がブラジル当局からユーザーに関する情報提出を求められた経緯がまとめられていた。
マスク氏は「モラエス判事、検察、選挙高等裁判所が情報を大量に収集することを目的としてユーザーデータにアクセスしようとした証拠だ」としている。
■マスク氏は「エイリアン」
マスク氏のブラジル最高裁への対抗姿勢には、パンデミック中のやりたい放題で世界的に認知度を高めた“トロピカル・トランプ”ことボルソナロ前大統領も集会で賛辞を贈っていた。
モラエス判事はマスク氏から嫌がらせのリプライを受けたのと同じ4月、最高裁のテレビチャンネルで「最高裁、ブラジル国民、そして善良な人々は表現の自由が侵略の自由ではないことを知っています。表現の自由は、憎悪、人種差別、女性蔑視、同性愛嫌悪の蔓延のための自由ではありません。私たちは表現の自由が圧政を擁護する自由ではないことを知っています。それを知らないエイリアンもいるでしょうが、ブラジル司法の勇気と真剣さに気づき、学び始めています」とマスク氏に返した。エイリアンが誰を指すのかは言わずもがなだ。
■X停止でブラジル世論は二分している
モラエス氏の命じたXへの制裁はサービス停止と罰金だけに留まらない。罰金を支払わせるためにマスク氏がブラジルで手広く運営する衛星通信スターリンクの銀行口座を差し押さえたうえに、Xユーザーに対してVPN(仮想プライベートネットワーク)で同サービスにアクセスした場合、1日あたり5万レアル(約128万円)の罰金を科すとした。
これらの処罰に対しては、さすがに行き過ぎだとの批判が目立つ。
世界にはすでにXがサービスを停止された国が8カ国ある。ロシア、中国、北朝鮮、イラン、トルクメニスタン、ミャンマー、パキスタンそしてベネズエラだ。いずれも言論統制や独裁のレッテルが貼られた国で、ブラジルもいよいよ“あちら側”の仲間入りと自嘲する論調も少なくない。
今回の「マスク対モラエス」をブラジル市民はどのように見ているのだろうか?
調査会社が約1600人にアンケートした結果では、回答者の49.7%がモラエス判事、43.9%がマスク氏を支持しており、最高裁の判断を正しいと見る市民がやや多いものの、意見が大きく分かれている。また、この度のサービス停止命令を政治目的だとする回答が56.5%、VPN経由でのXアクセスに対する罰金は行き過ぎだとする回答が64.5%となっている。
なお、X停止を受けてブラジルではVPN利用者が1600%増加したと報じられている。
■「X停止は恥。民主主義への犯罪」
この度のX騒動に便乗して熱を上げているのが前ボルソナロ大統領のシンパだ。Xのサービスが停止されたのはブラジル独立記念日(9月7日)のちょうど1週間前。独立記念日当日に首都ブラジリアでは現職大統領が出席する恒例の厳かなパレードが行われ、渦中のモラエス判事も大統領に招待されて参加した。
一方、サンパウロでは同日、ボルソナロ氏とその支援者らによる集会が目抜き通りで行われ、デモ参加者らによってモラエス判事弾劾が声高に叫ばれた。
参加した市民に今回の騒動について尋ねてみた。デモ参加者ゆえに返答はXサービス停止に対する批判ばかりであった。
「(X停止は)ブラジル国家の恥です。民主主義に対する犯罪です。モラエスは追い出されなければならない。モラエス出ていけ! モラエスが権力の座に居続けたらブラジルはベネズエラのようになってしまう」(バス運転手、男性、52歳)
「いまではVPNを通じてXを使っています。(X停止は)抑圧だと思います。だって数名をサービスから締め出したいという理由で、ブラジル人ユーザー2000万人をブロックしたんですから。当面罰金を科されていないのでVPNを通じて使っています。アレシャンドレ・デ・モラエスは、利用者に1日あたり5万レアルの罰金を科すといっていますが、不正な行為です」(販売員、女性、44歳)
■「リポスト」でX再開派を勢いづかせるマスク氏
「(X停止は)ひどい。そんなことする権利はありません。ブラジルは自由でなければなりません。私は今日、孫とひ孫の将来のためにここに来ました。イーロン・マスクは億万長者よ。私は間違っているかもしれないけど、彼は誰に対しても悪いことはしていません」(年金受給者、女性、85歳)
デモの参加者らは、敵対するルーラ大統領傘下の最高裁で起こったこのたびの騒動に対して「モラエス退場!」とシュプレヒコールを上げた。X停止措置は、ボルソナロ支持者らを奮い立たせる刺激となったのだ。
マスク氏はこのデモ集会に先駆け、「ブラジル独立記念日の9月7日、人々は司法の濫用に抗議し、言論の自由を求めて行進する」とのマスク氏シンパのツイートをリポストし、情報を拡散し、ボルソナロ支持派に油を注いだ。
ボルソナロ氏は選挙高等裁判所から被選挙権を8年間停止されているが、次期大統領選への意欲も見せており、このたびの騒動を自らの勢力への支持上昇に結びつけたい意向だ。
■Xとマスク氏への信頼は揺らいでいる
マスク氏が国家権力との対立を示すのはブラジルでだけではない。
Xのサービスを巡って対立はすでに欧州委員会、オーストラリア、イギリス、インド、トルコなど多地域との間に発生している。
欧州委員会は、パレスチナ情勢を巡る偽情報の拡散防止対策が不十分として2023年にXを調査。ヨーロッパのデジタルサービス法に違反しているとする暫定調査結果を出した。マスク氏は否定したが、Xの「欧州撤退論」まで噴出した。
オーストラリアでは、X上で閲覧できるようになっていた国内の刺殺事件の映像の削除を裁判所が命じたことについて、マスク氏が「検閲」とアルバニージー首相を批判。同様の事例はインドでも起こっている。
イギリスでも、国内の暴動に絡む偽情報をマスク氏が拡散したとして、首相や法相から苦言を呈される事態となっており、「表現の自由」を掲げるマスク氏とXへの信頼は揺らいでいる。
■偽情報は主権国家の体制を脅かす
自治体が情報伝達に利用するなど各地で社会インフラ化しているSNSは利便性が高い一方で、偽情報が拡散されることで主権国家の体制を脅かす危険のある諸刃の剣だ。
イノベイティブな事業の世界的展開とともに超国家的な影響力を手中にしたい資産家のマスク氏は、ビッグテック企業代表者のなかでも際立ってラディカルに国家という枠組みと対立している。
このたびのブラジルでのX停止騒動の今後の展開は、法治国家と主にインターネットを媒体とした超国家的企業の関係の行方を考えるうえで目が離せない。
なお、ブラジルでのXのサービス再開については、最高裁が罰金等の命令を取り下げない限りありえないだろうという見解が大多数だ。
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仁尾 帯刀(にお・たてわき)
ブラジル・サンパウロ在住フォトグラファー/ライター
ブラジル在住25年。写真作品の発表を主な活動としながら、日本メディアの撮影・執筆を行う。主な掲載媒体は『Pen』(CCCメディアハウス)、『美術手帖』(美術出版社)、『JCB The Premium』(JTBパブリッシング)、『Beyond The West』(gestalten)、『Parques Urbanos de São Paulo』(BEĨ)など。共著に『ブラジル・カルチャー図鑑』がある。
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(ブラジル・サンパウロ在住フォトグラファー/ライター 仁尾 帯刀)