【連載】
谷口彰悟「30歳を過ぎた僕が今、伝えたいこと」<第20回>

◆【連載・谷口彰悟】第1回から読む>>
◆第19回>>先輩・小林悠を「かなり面倒くさい」と言った理由

 カタールでの2シーズン目を終えたのち、6月の日本代表シリーズでもプレーした谷口彰悟は今、心身のメンテナンスを施しながら来季に向けて動いている。サッカー選手にとってオフの期間は、1年間の疲れを癒すと同時に、過去を振り返る貴重な時間にもなる。

 今年の7月15日で33歳。プロサッカー選手として11シーズン目を迎え、人生の3分の1をこの世界で生きてきた。谷口が積み重ねてきた日々の蓄積が、今につながっている。今回はプロになる直前、筑波大学での4年間を振り返ってもらった。

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谷口彰悟は筑波大学で4年間を過ごした photo by AFLO

 日本代表として、6月に行なわれたワールドカップ2026アジア2次予選を戦った。チームは6日のミャンマー戦、11日のシリア戦をともに5-0で勝利して、2次予選を全勝で締めくくり、束の間のオフに入った。

 海外でプレーする日本代表の選手たちはコンディション調整も兼ねて、事前に集まり、合同練習を行なっていた。僕もカタールでの2023-24シーズンを終えて帰国すると、その練習に合流した。

 その時から森保一監督を中心に、日本代表のコーチングスタッフは指導してくれていた。人数が増えてきた時には3バックでの立ち位置やボールの動かし方についても確認していたため、ミャンマー戦、シリア戦では3バックを試みるであろうという意図は、この時点で感じ取っていた。

 実際に僕はアウェーのミャンマー戦に先発すると、3バックの中央でプレーした。

 3バックは右にハシ(橋岡大樹)、左に(伊藤)洋輝、右ウイングバック(WB)に(菅原)由勢、左WBに(中村)敬斗という構成で臨んだが、前日練習でも取り組んでいたように、4バックの立ち位置でボールを回したり、3バックの立ち位置でボールを回したりと、状況に応じてビルドアップの使い分けを意識した。

 ミャンマーが守備的な戦いをしてきたこともあって、特に後半は右センターバックのハシも高い位置を取るなど、試合のなかでポジショニングを変えて対応する柔軟性を見せられたと思っている。

【3バックの中央で守備陣をコントロール】

 ミャンマー戦は日本がボールを持つ時間も長かったように、それほど自分の仕事量は多くはなかった。しかし、最終予選を戦う相手や強豪チームとの対戦になった時は、プレーや戦い方も変わってくるだろう。3バックの真ん中である自分の配給、ボールをつけるポイント、タイミングひとつで大きく状況を変えられるだけに、重要なポジションになると再認識した。

 単純にボールを持った時に、右から攻めるのか、左から攻めるのかも、自分のさじ加減ひとつで変わってくる。それを考えると、さらに全体を見てボールを動かしていく力を養わなければいけない。

 日本代表がワールドカップで上を目指していくためには、4バックでも3バックでも戦える力を身につける必要がある。個人的に前回のカタールワールドカップを経験して感じたことでもあった。それだけに、3バックは臨機応変な戦い方を目指す日本代表の武器のひとつになっていくし、武器にしていくべきだろう。

 2次予選を終えて迎えたシーズンオフは、完全にスイッチを切って、身体、心、頭をリフレッシュさせることに全振りしている。

 次の試合のことを考えずに一日を終え、明日のことを考えずにすむだけで、肩の荷が下りるといえばいいだろうか。心の底から(スイッチを)オフにできている感覚がある。

 少なからずシーズン中はストレスを抱えながら生活しているだけに、英気を養えるこの期間は、次のシーズンのためにも大事な時間だったりする。

 新シーズンを前に思い出すのは、新天地にて始める新生活のことだ。

 自分にとって、大きく環境が変わったのは2010年──18歳の時だろう。

 僕は、地元である熊本を飛び出し、筑波大学に入学した。初めて親もとを離れて暮らす日々には、楽しみもあれば、不安もあった。

 その不安とは、果たして身の回りのことがきちんとできるだろうか、ということ。掃除、洗濯、そして食事──高校までは親がご飯を作ってくれたり、洗濯をしてくれたりするのが当たり前の環境だった。

【親もとを離れて実感した食事の手間暇】

 また、高校までは自分を知る友人たちが少なからずいる環境で、サッカーを続けてきた。自分のことをまったく知らない人ばかりの大学で、うまく人間関係を築いていけるのか。入学前、そして入学してからもしばらくは、そうした状況に少しだけ孤独感を抱いていた。

 一方で、楽しみにしていたのは、親もとを離れての生活で自立を覚え、少しだけ大人に近づいた気分になれることだった。そこは初めてのひとり暮らしを経験した人ならば、うなずいてくれるのではないだろうか。

 とはいえ、1年生の時は学生寮で生活していた。筑波大学にサッカー部専用の寮などはなく、さまざまな学部の人たちと一緒に暮らしていた。決して新しいとはいえない学生寮はひとり部屋だったが、5〜6畳程度で広いとは言いがたかった。

 部屋には洗面台以外に、スチールのベッドと勉強机が置いてあり、それだけで圧迫感があった。それらをいかにレイアウトしたら部屋を広く活用できるか。工夫した結果、スチールベッドの柱(柵)を外してみたり、扉が全開にできない状態になるのを覚悟で、入口付近に物を置いたりしていたことも思い出す......。

 2年生になるタイミングで寮を出て、本格的にひとり暮らしを始めた時は、少しだけ広くなった部屋に感動し、少しだけインテリアにこだわったりもした。それも今は懐かしい思い出だったりする。

 学生寮は風呂とトイレ、洗濯機は共用で、食事つきではなかった。掃除や洗濯といった家事については、必要に迫られたらできる自信があった。親もとを離れて何より感謝したのは、やはり食事だった。

 家に帰れば、何も考えずに食事が出てくるのと、その日の食事をどうしようかと考えなければならないのとでは、自分にかかる負担は大きく違ったからだ。

「今日のご飯、どうしよう」

 まず、「何を食べようか」。また、「何を食べたら身体にいいのか」。

 高校生までは親が自分の健康や身体を考えてくれていたので、食事のメニューまで考えなくてもよかった。その手間暇に気づいた時には、何度、親への感謝やありがたみを感じたことだろうか......。

 夕飯はもっぱらサッカー部の練習を終えてから、部員たちと食事に行くのが習慣になっていた。当時は、定食だったらここ、そばやうどんだったらここ、洋食だったらここと、いくつか行きつけのお店があった。

【誘惑に勝てず、練習に来なくなった人も...】

 そんな大学生活で感じたのは、自立を求められ、与えられるからこそ、問われる自分への厳しさだった。

 大学は授業も自分で選択して受けるように、勉強も、練習も、高校生までと比べる、強要される機会は圧倒的に少なくなる。チームでのトレーニング時間は決まっているものの、それ以外の時間をどう使おうが、自分の自由になる。それは、大人に一歩近づいたと思う一方で、自分次第でいかようにも変わると思った。

 なかにはやはり、いわゆる誘惑に勝てず、自分に甘くなる人もいた。才能や能力があるにもかかわらず、授業で見かけなくなっていったり、練習に来なくなったりする人もいた。でも、大学ではそれで怒られたり、それについて諭されたりする機会は、高校までよりも圧倒的に少なくなる。だからこそ、自分に厳しくなければ、自分を見失ってしまうと思った。

 自由だからこそ、この4年間の取り組みが、のちのち大きな差となって表れる。振り返ってみても、自分が大学の4年という時間をどう過ごし、どう使うっていくかをしっかりと考えて行動してきたから、今があると思っている。

 なぜ、自分に厳しくいられたのか──。問われれば、明確な目標があったからだろう。

 僕自身は、大学を経由してプロサッカー選手になるという目標があった。また、プロになれずとも、体育教員の資格を取ろうと考えていた。そのため、スポーツや体育をさまざまな視点から見て、勉強しようと考えた。プロになれたとしても、教員になったとしても、それに役立つ、活かせる授業を選択した。

 また、授業の合間には筋トレをする時間を設け、個別にトレーニングするなど、一日をどう過ごすかという計画を立てて実行、行動した。

 そこには、周りの友人たちの影響もある。寮の隣部屋は、赤粼秀平(2023年現役引退)だった。彼は大学リーグで得点王になることを公言し、その目標を達成するなど、僕以上にしっかりとした目標を持ち、そこに向かって努力していた。

【環境は設備だけでなく「人」であること】

 赤粼だけではないが、そうした周りの環境、人にも恵まれていたように思う。同僚ではなく、友人と呼べる彼らに刺激を受け、切磋琢磨し合えたことで、自分も「もっとやらなければ」という思いをかき立てられた。

 同時に、いかに環境が大切かも知った。大学には、高校以上にいろいろな人、いろいろな考えを持っている人が集まってくる。だが、それぞれがそれぞれの目標に向かって行動する集まりであれば、周りも引っ張られるし、影響も受ける。また自分がそうした存在になれれば、周りを引っ張り、影響を与えることもできる。

 環境は、設備などのハード面だけでなく、「人」であることを、筑波大学で過ごした4年間で強く感じた。

 そして、2014年に川崎フロンターレでプロになった時、自分が考えるその環境が人を造るということを、さらに知った。

◆第21回につづく>>


【profile】
谷口彰悟(たにぐち・しょうご)
1991年7月15日生まれ、熊本県熊本市出身。大津高→筑波大を経て2014年に川崎フロンターレに正式入団。高い守備能力でスタメンを奪取し、4度のリーグ優勝に貢献する。Jリーグベストイレブンにも4度選出。2015年6月のイラク戦で日本代表デビュー。カタールW杯スペイン戦では日本代表選手・最年長31歳139日でW杯初出場を果たす。2022年末、カタールのアル・ラーヤンSCに完全移籍。ポジション=DF。身長183cm、体重75kg。