ヤクルト戦力外のち楽天から想定外のオファーに「まさか...」 20代でコーチ就任の奥村展征「新しい世界を見まくり」
楽天の若きコーチ、29歳の奥村展征
昨シーズン限りで東京ヤクルトスワローズを戦力外になった奥村展征(のぶゆき)だったが、思いのほか早く、他球団からオファーが届いた。それは東北楽天ゴールデンイーグルスからだった。
ただし、現役選手としてではなく、二軍内野守備走塁コーチとしてのオファーだった。
「僕でいいのかなっていう気持ちはめちゃくちゃありましたね」
その時の奥村の心境はこうだ。現役続行を希望していただけに戸惑いがあったのかと思いきや、それよりも驚きが大きかった。
むしろ指導者への道が開けることは、奥村にとって願ってもないチャンスだった。
「指導者っていうのは僕がやりたかったことでした。(母校の)日大山形の荒木準也監督に憧れていましたし、ヤクルトでは森岡良介コーチ、三木肇さん(現・楽天二軍監督)に憧れました。他の指導者にもいろいろ教えていただいて、僕自身も選手の背中を押せるような指導者になりたいと思っていました。でも、あの成績じゃプロ野球のコーチはなかなかなれないかなって自分でも感じていました。なので、まさかこんな話をいただけるとは思ってもいませんでした」
実は、奥村の祖父・展三氏も、父・伸一氏も高校野球の指導者だった。
「野球一家に育ったので、自然と指導者をやりたいっていう気持ちが強かったですね」
奥村が指導者を志したのにも、当然祖父や父の影響もあった。
父に楽天からオファーがあったことを伝えると、「そんなチャンスはなかなかないぞ。頑張ってやってこい」と背中を押してくれたという。
「僕が勝手に感じたことですけど、やっぱり現役時代の持ち前の明るさも含めて、コーチのお話をいただいたと思っています。なので、そこは全面に出していかないとなって思っています」
そうして奥村は、プロ野球唯一の20代のコーチとなった。
【ムードメーカーならではの弱点が課題】奥村がコーチに就任して約半年が過ぎた頃に楽天の二軍の試合を訪ねると、大きな声を出してチームを鼓舞する奥村がいた。
一塁のコーチャーズボックスからベンチに引き上げる際には、守備につく選手に「ナイスバッティング!」「よかったよ!」などと声をかけていたのも印象的だった。その姿はヤクルトの元気印だった頃と何ら変わりはない。
それでも、これまでとは違う形で野球に関わることになり、気づくことも多い。
「新しい世界を見まくりっすね。選手の時に、(指導者に対して)申し訳なかったなって思うことがいっぱいあります、本当に......」
奥村はこの半年間をこんな言葉で振り返る。また、指導者となって新たな課題にもぶち当たっている。
「僕は、選手のいいところばっかり見えるんですよ。いいところを見つけて『おお、すごいよかった!』って褒めてあげる。欠点もわかったうえで褒めるならいいかもしれないですけど、そこしか見えていないというか......。本人が損をしてしまうので、欠点や間違っていることは見つけて、早く指摘してあげないといけないんですけど、叱ったり間違っていることを指摘したりするのってなかなか難しいですね。この半年はそこにけっこう苦労しています」
真剣な表情で選手たちの練習を見つめる
もともと乗せ上手な人間だ。それだけに、相手にマイナスの言葉をぶつけるのは苦手だったのかもしれない。だが、コーチになったからにはそんなことは言っていられない。
「いいプレーが起こった時は当然、よかったって言ってあげるんですけど、一緒に喜んでいる場合ではない。よかったなかでも、もうちょっとこうできたんじゃないのかなっていうのを見つけられるように、もっと意識していかないといけないなと思っています」
イニング間になると、奥村はお尻のポケットから分厚いノートを取り出す。「書いているふりです(笑)」と冗談めかすが、「やっぱ、できるだけいろんなところを探したいじゃないですか」とメモをとる表情は真剣そのものだ。
試合中にはプレーを見ながらノートにメモしていた
試合が終われば、ノックバットを手にして選手と居残り練習を行なう。この半年間で特にうれしかったことを問うと、オープン戦で一軍に昇格し、即盗塁を決めた辰見鴻之介の名前を挙げた。
「ファームでキャンプをスタートした選手が、一軍初出場で初盗塁を決めたわけですから。僕が今までずっと見てきたわけではないんですけど、めちゃくちゃうれしかったですね」
インタビューで現役時代と現在について語った
選手時代から他人の活躍を一緒に喜んできた奥村にとって、自分が指導した選手の活躍は格別だっただろう。
奥村にとっての理想の指導者像は、やはり高校時代の恩師・荒木監督だ(気を遣う性格ゆえ、これまで指導を受けた多くの指導者の名前を挙げてくれたが)。
自分で投げて、自分で打って、ベンチプレスもチーム1という、何でもこなす指導者だった。だからこそ、「この監督を超えたい、ついていきたい」と思えたという。もちろんそっくり真似できるわけではないが、憧れは大きい。
まだ第二の野球人生に踏み入れたばかりだが、奥村がどんな指導者になっていくのか、楽しみだ。奥村ならば新しい指導者像を作り出してくれそうな気もする。
【現役に未練なし、ファンに大きな感謝】戦力外通告を受けた時には現役続行を希望していただけに、競技者としての未練はないのか気になっていたが、奥村は「ないですね」ときっぱりと言いきる。
「(ヤクルトで)優勝した時にもベンチにいさせてもらったのは格別でしたし、やりきった感じはありますね」
プロ一軍での生涯打率は.199と、2割に届かなかったが、ファンに愛された選手だった。
現役引退から楽天コーチ就任までがあっという間で、引退の報告もInstagramで済ませただけ。それだけに、ヤクルトファンも奥村の言葉を欲していたのではないだろうか。取材の最後にファンへのメッセージをもらった。
「巨人在籍1年で人的補償でヤクルトに獲得していただいて、その時点でファンのみなさんは温かく迎え入れてくださいました。そこから始まって、いろんな人に温かい言葉をかけてもらったおかげで、一年一年、本当に前向きに過ごせました。ケガをしたりと苦しい時期も多かったんですけど、リハビリしている時にもファンの皆さんの声は本当に力になりました。その力がなかったら、10年間も現役生活を送ることはできなかった。本当に感謝しています」
仙台市の森林どりスタジアム泉にて
終わり
前編<奥村展征「必要とされる選手になりたかった」 愛された元ヤクルトのムードメーカーが明るさの裏側で持ち続けた危機感>を読む
【プロフィール】
奥村展征 おくむら・のぶゆき
1995年、滋賀県生まれ。日大山形高3年夏には主将として甲子園に出場し、山形県勢初のベスト4に貢献。ドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名を受け、2014年からプロ野球選手生活をスタートすると、翌2015年には東京ヤクルトスワローズへ移籍。ヤクルトのムードメーカーとしてファンに親しまれるも、2023年に戦力外通告を受け、現役引退。2024年から東北楽天ゴールデンイーグルスで、二軍内野守備走塁コーチを務めている。