西武黄金時代の鉄壁の右中間「ライト平野謙・センター秋山幸二」 石毛宏典がサードから見たふたりのスゴさとは?
石毛宏典が語る黄金時代の西武(11)
平野謙 後編
(前編:「史上最強」1990年の西武は、平野謙という「つなぎ役」の加入によって完成した>>)
走攻守三拍子揃ったプレーヤーとして西武黄金時代に活躍した平野謙(ひらの・けん)氏。石毛宏典氏がエピソードを語る後編では、平野氏の守備、秋山幸二氏と組んだ鉄壁の"右中間コンビ"について聞いた。
俊足、強肩のライトとして活躍した平野謙 photo by Saneki Visual
――黄金時代の西武は内外野の守備力が高かったですが、特にセンターの秋山さんとライトの平野さんによる"右中間コンビ"は鉄壁でした。
石毛宏典(以下:石毛) 当時、抑えを務めていた鹿取義隆も「(打球が外野手の間を抜けそうで)やられたと思ったら、秋山や平野さんが捕ってくれる」と言っていましたが、その通りでした。2人とも打球に対する判断が早かったですし、足が速くて守備範囲が広かった。それぞれの特長を挙げるとすれば、秋山は捕球がうまくて、ケンちゃん(平野氏の愛称)は捕ってから投げるまでの動作が早くて捕殺が多い、ということですね。
それと、ライトの守備力が注目されるようになったのは、ケンちゃんからだったんじゃないかと思います。それまでも、ライトの守備が軽視されていたわけではありませんが、ケンちゃんは「刺されるかもしれない」というプレッシャーを相手に感じさせて、一塁走者を三塁に行かせない、二塁走者を本塁に還らせない選手だった。進塁を抑止してライト守備の重要性を知らしめたことも、大きな功績のひとつだと思います。
―― 一般的に、外野手は数歩ステップしてから投げる選手が多い印象がありますが、平野さんは少ないステップで素早く投げていましたね。
石毛 2、3歩ぐらいのステップで投げていましたね。外野手は強いボールを投げるために、勢いよく大きく踏み込んでいくものですが、それとは一線を画していました。とにかく、なるべく小さく、早く投げる。ピッチャーがクイックで投げる感覚に近いかもしれません。元巨人の高橋由伸もそういう感じだったと思います。
捕球する時の足の位置にも特長がありました。右投げの場合は、捕球する際に左足を前にして捕球するものですが、ケンちゃんは右投げにもかかわらず右足を前にして捕球していました。右足を前にすると、ボールを体の正面で捕りやすくなって後逸するリスクを減らせますし、投げるまでのステップが少なくて済むというメリットもありますね。
【守備技術の高さから生まれた「ライトゴロ」】――センターの秋山さんの守備はどう見ていましたか?
石毛 足が速くて前後左右の守備範囲が広く、身体能力が高いので球際に強かったです。ただ、捕ってから投げるまでの動作は早いわけではないですし、送球が高くなりがちでした。肩もそれほど強くはなかったですね。送球の正確性や投げるときのバランスなどは、ケンちゃんのほうがよかったと思います。
――平野さんと秋山さんのコンビネーションはいかがでしたか?
石毛 「阿吽の呼吸」というか、意思の疎通ができていました。お見合いして落球するといったシーンは記憶にないですし、西武のピッチャーたちは右中間にボールが飛んだら安心していたと思いますよ。秋山の守備範囲が広すぎて、ボールを捕るわけではないのにケンちゃんの前をものすごいスピードで通過し、ケンちゃんが驚いた顔をしていたこともありましたね(笑)。
――平野さんといえば、打者をライトゴロでアウトにするシーンも何度か見られました。特に、日本ハムの広瀬哲朗さんをライトゴロに仕留めたシーンは、広瀬さんの悔しがり方も相まって印象的でした。
石毛 確か、郭泰源が投げていた時だったと思います。広瀬がライト前にライナー性のヒットを打ったんですが、その時にケンちゃんは、あらかじめ定位置よりもかなり前を守っていた。それで、ボールを捕ってからすぐに一塁に投げたんです。タイミングが微妙だったので広瀬はヘッドスライディングをしていましたが、見事にアウトにしたんです。
広瀬の打球の傾向などをインプットした上でイメージしていたプレーだと思いますし、捕ってから投げるまでの早さが生きましたよね。一塁ベースで広瀬がめちゃくちゃ悔しがっていたのを覚えています。
――引退後はロッテや日本ハム、中日、さらに社会人野球や独立リーグのチームでコーチを務められました。現在は社会人野球のクラブチーム・山岸ロジスターズで監督を務めていますね。
石毛 ケンちゃんもそうですし、工藤公康、秋山、伊東勤、辻発彦など、当時の西武のメンバーの多くがNPBの球団の監督やコーチをやっていますね。強い西武の野球観や技術、ノウハウを吸収したいという考えが各球団にあったんじゃないでしょうか。それはV9時代の巨人のメンバーがそうだったように、強いチームのいい部分を取り入れたいと思うことは必然的ですよね。
自分は内野手で、ケンちゃんは外野手という違いこそあれど、守備の身のこなしに対する考え方で共通する部分はあります。話していて勉強になることもありますね。
――当時の西武の選手のなかでは、決して目立つ存在ではなかったかもしれませんが、黄金時代を支えた功労者ですね。
石毛 それは間違いないです。打線では秋山や清原和博、デストラーデへの「つなぎ役」に徹してくれたケンちゃんは必要不可欠でしたし、守備での貢献度も非常に高かった。西武の強さをより盤石なものにしてくれた存在だと思います。
【プロフィール】
石毛宏典(いしげ・ひろみち)
1956年 9月22日生まれ、千葉県出身。駒澤大学、プリンスホテルを経て1980年ドラフト1位で西武に入団。黄金時代のチームリーダーとして活躍する。1994年にFA権を行使してダイエーに移籍。1996年限りで引退し、ダイエーの2軍監督、オリックスの監督を歴任する。2004年には独立リーグの四国アイランドリーグを創設。同リーグコミッショナーを経て、2008年より四国・九州アイランド リーグの「愛媛マンダリンパイレーツ」のシニア・チームアドバイザーを務めた。そのほか、指導者やプロ野球解説者など幅広く活躍している。
◆石毛宏典さん公式YouTubeチャンネル