ユーロ2024決勝トーナメント1回戦、イタリアはスイスの前にいいところなく敗れ去った。かつてW杯を4回制した"カルチョの国"に何が起きているのか。長らく代表チームを取材してきたイタリアのベテランジャーナリストがレポートする――。

 アッズーリ(イタリア代表)がラウンド16でスイスに敗れ、ユーロ2024から脱落したことは、イタリア全土に怒りと失望の渦を巻き起こした。

 ご存知のように、我々イタリア人にとってサッカーは国技である。今回のように物事がうまくいかなかった場合には、まずは戦犯探しが行なわれる。なぜこのような事態に陥ってしまったのか、それを探るためサッカー協会のトップから、コーチ、選手に至るまでが責任を追及される。


スイスに完敗し、ショックを隠せないイタリア代表の選手たち Mutsu Kawamori/MUTSUFOTOGRAFIA

 かつてイタリアサッカーは黄金時代を謳歌していた。だが残念なことに、それはとうの昔に、おそらく20年近く前の2006年W杯での勝利で終わってしまった。「じゃあ2021年の前回ユーロでの優勝はなんだったんだ?」と皆さんは尋ねるかもしれない。しかし、あれは灰色の海のなかで起きた「すばらしき例外」にすぎなかったと、私は思う。

 ロベルト・マンチーニが勝利に導いた2021年のアッズーリは、ベテランのジョルジョ・キエッリーニとレオナルド・ボヌッチ、そして唯一の真のスターだったGKジャンルイジ・ドンナルンマを除けば、すでにハイクラスなチームである要素を欠いていた。そのチームを恥ずかしげもなく運が助けたというのが、あの優勝だった。この勝利をイタリア人は「ノッティ・マジケ(魔法の夜)」と呼んだが、まさにそのとおりだ。

 大会後すぐに、まるで12時をすぎた後のシンデレラのように魔法は解け、イタリアは再び危機に陥った。

 その後のアッズーリの歩みを思い出せばそれは明白だろう。ブルガリア、そしてスイスとホーム、アウェーともにドロー、北アイルランド戦で再度のドロー。そしてプレーオフではホームで北マケドニアに敗れ、イタリアは2大会連続でW杯行きのチケットを逃した。今回、ベルリンで敗退したアッズーリも、この一連の延長に過ぎない。

 そして「ダメなアッズーリ」というタイトルの絵は、2023年8月、オイルダラーに目がくらんだマンチーニ(現サウジアラビア監督)の突然の辞任で完成した。だからイタリアの黄金時代を語るなら、2021年のウェンブリーでの幻の勝利は無視していい。比べるべきは、遠い20年近く前の2006年のイタリアだ。

【優れた選手を輩出できないでいる理由】

 当時のイタリアと今のイタリアのどこが違うのか。その答えは単純明快だ。今のアッズーリの選手たちは技術的にお粗末で、強いパーソナリティもない。一方、2006年のチームは、才能も気概も高いレベルの選手たちが揃っていた。フランチェスコ・トッティ、アレッサンドロ・デル・ピエロ、アンドレア・ピルロ、ジェンナーロ・ガットゥーゾ、ファビオ・カンナヴァーロ......。

 現在の代表選手たちとはインパクトが違う。テクニックにしろ、戦術にしろ、彼らはかつてのアッズーリたちの靴磨きにさえ値しないだろう。そのことは今回のユーロで誰の目にも明らかになった。

 長い間、イタリアに才能ある選手が生まれていない。スターではなく、普通に優れた選手さえ輩出していないのだ。6月初旬に行なわれたU−17ヨーロッパ選手権でイタリアは優勝し、いくつかの名前は浮かび上がった。だが、17歳では優秀だったとしても、A代表にたどり着くまでにはあと6年は必要だ。今のイタリアではA代表に入る平均的年齢は23歳。それはイタリアのクラブチームが若手を信頼していないことを意味する。彼らは、下積みの必要がない、すでに経験のある選手を好む。

 典型的な例をふたつ挙げよう。このユーロ2024で、イタリアにとって唯一ポジティブな存在となったリッカルド・カラフィオーリ(ボローニャ)とインテルでスクデットを手に入れたばかりのフェデリコ・ディマルコ。彼らはすでに19歳の時にはその才能を認められていたのに、イタリアに彼らの場所はなく、スイスでプレーをしなければならなかった(そのスイスに敗れたのは皮肉だが......)。

 追い打ちをかけるのが、イタリアのクラブの昔からの悪しき習慣だ。優秀な選手、チームのスターを、国外に求めるのだ。それも特にストライカーを。おかげで指揮官ルチアーノ・スパレッティはゴミ箱の底まであさって、トップの選手を探さなければならなかった。そうやってアッズーリのトップを任されたのが、苦肉の策としてイタリアに帰化させたアルゼンチン人、マテオ・レテギ(ジェノア)や、アタランタで一瞬の輝きを見せたジャンルカ・スカマッカだ。

【イタリアに不足している勇気】

 ビッグクラブのトップは? インテルはラウタロ・マルティネス(アルゼンチン)にマルクス・テュラム(フランス)、ユベントスはドゥシャン・ヴラホヴィッチ(セルビア)にアルカディウシュ・ミリク(ポーランド)、ローマはロメル・ルカク(ベルギー)とパウロ・ディバラ(アルゼンチン)、ミランはオリビエ・ジルー(フランス)とラファエル・レオン(ポルトガル)......どこにもイタリア人の姿はない。

 スパレッティに与えられた選択肢は非常に少なく、それは結果にも如実に表れていた。

 一方、守備陣はまだましだった。カラフィオーリ、アレッサンドロ・バストーニ(インテル)、それから中盤ではニコロ・バレッラ(インテル)もまあいい仕事をしたが、その他の選手は代表でプレーするに値しなかった。今後はそんな彼らを強制的に排除する必要がある。特にトップは、完全に一新しなければならない。
 
 なぜイタリアサッカーはどん底にまで落ち込んでしまったのか。何千もの無意味な言葉と時間が費やされてきた。サッカースクールをもっと作る必要がある。子供たちが郊外の原っぱや道端で膝小僧をすりむきながら自由にサッカーができなくなったのが原因だ。サッカーにロマンスが無くなったからだ......。

 しかし、真実はイタリアサッカー界に勇気がなかったからだ。若い選手を信頼し、重要な役割を任せることをしてこなかった。スペインは16歳のラミン・ヤマル(バルセロナ)を前線に据え、トルコは19歳のケナン・ユルディズ(ユベントス)とアルダ・ギュレル(レアル・マドリード)をレギュラーとして使っている(ユベントスではユルディズはベンチが多い)。イタリアでは起こり得ないことだ。

 たとえばミランに所属の2008年生まれのフランチェスコ・カマルダは、稀有なゴールセンスを持つ優秀なストライカーだ。しかしミランは彼をトップチームデビューさせ、数分間使ったのみで満足し、またユースチームに戻してしまった。なぜならトップチームには父親と言ってもいい年齢のジルーがいたからだ。

 最初にW杯行きの切符を手に入れそこなった時に、なんですぐに手を打てなかったのかと、多くの人々はサッカー協会を非難する。確かに彼らは何もしてこなかった。だが正確に言うなら「しなかった」というより「できなかった」のほうが正しいと私は感じる。いい素材がなければ、いいチームは作れないからだ。

【ブッフォンが語った危機感】

 2006年にW杯で優勝した選手たちのことを、私は個人的にも知っている。ジャンルイジ・ブッフォン、フィリッポ・インザーギ、デル・ピエロ、カンナヴァーロもよく知っている。彼らは皆、際立ったパーソナリティを持っていて、サッカーの話だけでなく、その他のおしゃべりをするのも楽しかった。しかし今の、タトゥーだらけで甘やかされた若い選手たちとともにコーヒーを飲むのは難しいし、あまり乗り気にもならない。もちろん、いつの時代にも例外はいるが......。

 現在はコーディネーター(スポーツディレクター)として、イタリア代表の顔となっているブッフォンに、今回の敗退について直接、尋ねてみた。その公式な立場ゆえに、いつもの彼に比べると歯切れは少し悪かったが、それでもいつものように正直だった。

「ここ10年のイタリアサッカーはちょっと上を向いたり、下を向いたりを繰り返しているだけ。安定を得られるような飛躍的な進歩を遂げることはできなかった。今、我々の目の前にはW杯予選がある。再び失望を味わうなどとは想像したくない。W杯出場はイタリアにとって最低限の目標だが、それに到達するには、まず断固とした正しい一歩を踏み出さないといけない」

 ジジ(ブッフォンの愛称)は基本的には楽観主義で、あまりネガティブなことを言わない人間だが、今回ばかりはそうはいかないようだ。目の前にある現実を直視すれば、それも頷ける。彼は「もし今のままを続けるなら、W杯は常に夢のままで終わってしまう」と言いたかったのだ。

 そうした事態を避けるために、サッカー協会はブッフォンの権力を拡大しようとしている。チームのお飾りであるスポーツディレクターだけでなく、決定権も持つテクニカルディレクターになる予定だ。

 一方、かつてアッズーリを率いたチェーザレ・プランデッリは、イタリア再生についてこんな意見を持っていた。

「16歳以下の子どもたちに戦術を教えるのを禁止し、自由にプレーさせ、彼らのインスピレーションやファンタジーを伸ばしてやることが大事だ。スペインもそうだし、他の多くの国もそうしている」

 ところで、2026年のW杯出場を決めるという難しい任務には、誰が就くのか。このままスパレッティが続投するのか。スイス戦敗退のショックがまだ残るなか、彼は「私は監督を辞める気はない」と言った。サッカー協会会長のガブリエレ・グラヴィーナもこれを認めた。

 スパレッティが今回の失敗を挽回したいというのであれば、それは不可能ではないだろう。ただ、そのためには理解しなければならないことがある。クラブチームの監督と代表監督の仕事はまったく別だということだ。

 もし代表で結果を出したいのであれば、今後、彼が学ぶべきことは多い。たとえば「ユーロをプレーしたなかで最低」とまで言われたナポリ時代の愛弟子ジョヴァンニ・ディ・ロレンツォを「息子のような存在だから」と言って使い続けるなどという過ちは、もう二度と犯してはならないだろう。