吉田麻也はなぜ、新天地にアメリカを選んだのか? 「ヨーロッパの都でやれることは、ほぼなくなってきた」
MLSロサンゼルス・ギャラクシー
吉田麻也インタビュー(前編)
2023年夏、吉田麻也はヨーロッパを離れてアメリカに渡った。それまで所属していたドイツ1部シャルケ04の2部リーグ降格に伴い退団。いくつもの選択肢があったなかで、あえて欧州を離れて新天地に選んだのが、MLSのロサンゼルス(LA)ギャラクシーだった。
35歳になった吉田は今、何を思い、この先をどう見据えているのか。現地ロサンゼルスに行って話を聞いた。
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ロサンゼルスに拠点を移した吉田麻也を訪ねた photo by Ryokai Yoshiko
── まずはシャルケ退団後、LAギャラクシーに加入された理由から聞きたいです。
「ここ(LAギャラクシー)が一番、気持ちが揺らいだからですね。揺らいだ......気持ちがときめいたから」
── もう少し説明していただきたいのですが......。
「当時の選択肢としては、ヨーロッパでどこかのオファーを待ちつつ、それ以外のチャレンジをするのも考えていて。具体的には、中東か、日本か、はたまた違うどこか、ということになりますけど。
ただ、欧州のクラブからすれば、僕の年齢だとやっぱりプライオリティは高くないので、必然的にオファーが来るのは市場後半の8月までずれ込む。けれど、新チームでのプレシーズンのことを考えると、それは避けたくて。その前の年も、シャルケに決まるまで数日ソワソワしましたし、それももう嫌だなと。
あとは、今からサウサンプトンより上のレベルに行く可能性がないこともないけれど、それは相当厳しいだろう。そもそもある程度、オランダ、イングランド、イタリア、ドイツと、ヨーロッパで見るべきものは見た、やるべきことはやったんじゃないかと。
そう考えた時に、ベテランが中東に行くトレンドに乗るのも悪くないかな、とも考えた。だけどそうすると、今度は家族が大変だろうなと思ったりして。まぁこの年なると、僕のキャリアも大事なんだけど、家族の生活はもっと大事になってくるんですよね。そんなことを考えていた矢先、ここのオファーが来たので『これだ!』と思いました」
【日本に帰る選択肢も閉ざしてなかったけど...】── たしかにLAギャラクシーからのオファーは魅力的に聞こえます。
「誰に聞いてもアメリカの悪い情報がまったくなかったんですよ。ロサンゼルスの生活についてもいろんな人に聞いたんですけど、ダメって言う人はひとりもいなかった。来てわかったけど、まぁダメなわけがないなと」
── 基本的には天気がよく、開放感があり、日本人も多くて住みやすい街ですよね。
「デュッセルドルフやロンドンより住みやすい街があるとは思ってなかったんですけど、本当に正直、住みやすいです。それで、生活のことはクリアしたので、あとは自分のサッカーのことですよね。
自分がオランダにいた時やイギリスにいた時って、まだあまり日本人が開拓していないところに行って『自分がパイオニア』と言うと大げさな表現になるけど、そうやってきたつもりでいたんです。
なので、じゃあ次はアメリカを切り開こう、みたいな。もちろん久保裕也君(FCシンシナティ)とか高丘陽平君(バンクーバー・ホワイトキャップス)とかもいるけれど、代表クラスでバリバリの日本人選手がアメリカにはいなかったので、自分が切り開いていきたいなと」
アメリカでの生活が快適だと語る吉田麻也 photo by Ryokai Yoshiko
── 開拓者的なモチベーションがあったのですね。
「僕、人と同じことやっていてもつまんないなって思うんです。あのタイミングでJリーグに帰ってやるのもすごくいいことだけど、僕じゃなくてもいいかなと。
今、日本プロサッカー選手会の会長をしていますけど、それも僕じゃないと絶対にできないと思っていたんですよ。やっぱりモチベーション高くいられることがすごく大事。僕がこの仕事をやらなくてもって思っちゃうと、気持ちが乗ってこないんですよね」
── 日本に帰る可能性もあったのですか?
「自分としては選択肢にはいつもあって、全然閉ざしていたわけじゃないんだけど、オファーは来なかったですね。まぁ無理だろうって思われていたと思います。時間が経ってしまって、今さらこんなおっさんは......っていう年齢になってしまいましたね(笑)」
【かつての僕は『イギリス至上主義』だった】── チチャリートがセビージャからLAギャラクシーに移籍が決定した時、家族に電話をかけている動画を見たことがあります。その動画でチチャリートは「欧州でのチャレンジは終わった。キャリアのフェイズが変わるんだ」って号泣していて。吉田さんには、そういう寂しさや複雑さはなかったですか?
「ありましたよ。もちろんそれは、ヨーロッパからこんな遠くに来るというのはものすごい決断です。選手からしたら、欧州の市場から外れるっていうのは都落ちですし。でもさっき言ったように、その『都』でやれることは、ほぼなくなってきた」
── かといって、たとえばマンチェスター・シティのようなトップクラブからのオファーは可能性が低い。
「現実的にはないですよね。僕は割とプレーも、気持ちに左右されるタイプじゃないですか?」
── わかりやすいタイプなんですよね。
「身体以上に気持ちが乗らないと、続ける理由が見つからないんですよ。サウサンプトンから出る前までの僕は『イギリス至上主義』だった。イギリスこそがもう絶対だって思っていた。でも、イタリアに行っていい意味で自分の固定概念が壊されて、国を変えることの抵抗感がそこでなくなったんですよ。
同時に、どこに行ってもやっぱり外国人だから、ネイティブにはどこまでいっても勝てない。だから、ネイティブに勝つためには違う武器を持たないといけない。で、自分の武器は何かと考えた時に、移籍することで経験値を蓄えることが自分の武器になるかなって思ったんです。あとはシンプルに、イタリアに行って戦術的な部分を本当にものすごく学んだんですよ」
── イングランドのキックアンドラッシュ以外のサッカーがあるんだと(笑)。
「あと、ハイプレス以外のサッカー(笑)。だから今、すごいそれが生きているんです。今のグレッグ(・ヴァニー/LAギャラクシー監督)は、ものすごく止めてつなぐ。プレスが2枚で来たら3枚にする、3枚なら4枚にする、みたいなことをタクティカルにやる。国を変えると、そんなサッカーでの違いにも気づくことがあるんだと」
【お金よりも人生がリッチになることが大事】── なるほど。
「違いで言うと、たとえばイタリア人とイギリス人って全然違う概念で生きているんですよ。これ、よく話すんですけど、イギリス人は全部がオーガナイズされてないとイヤなんです。対して、イタリア人はオーガナイズという概念がないというか、練習は10時開始って言っているのに10時2分にきても全然平気。
僕も(サンプドリア時代に)15分くらい遅れて練習に行ったことがありますけど、何も言われなかった。イギリスとかドイツなら罰金ですよ。でもね、イタリア人はエスプレッソマシンが壊れていたら、ものすごく怒る」
── まるで小噺(こばなし)ですね(笑)。
「っていうね(笑)。まぁサッカー選手って、選手でいられるのは長くても20年くらいですよね。すごい大事な時期なんだけど、人生100年時代って言われている今、その5倍くらいはあると考えると、やっぱり人生が豊かになることがいいなと。お金がリッチになる・ならないよりも、人生がリッチになることが大事かなって。
だから、アメリカに来ることの抵抗も僕は少なかった。アメリカに行ったら、また新しいことも学べるんじゃないか。なんだかんだ世界経済をまわしているのはヨーロッパじゃなくてアメリカだよなとか、なんでアメリカなんだろうとか、とにかく見てみたいと思ったんです。
人間として新しいことを学べるし、ロサンゼルスは住み心地もいいらしいし、MLSもすごく成長しているし。その成長の機運に自分が乗ったら面白いんじゃないかって思ったんですよね」
(後編につづく)
◆吉田麻也・後編>>岡崎慎司や長谷部誠の引退「心を削られる部分はすごくある」
【profile】
吉田麻也(よしだ・まや)
1988年8月24日生まれ、長崎県長崎市出身。2007年に名古屋グランパスの下部組織からトップチームに昇格。早々にレギュラーの座を掴み、2008年には北京五輪代表にも選ばれる。2010年1月〜VVVフェンロー、2012年8月〜サウサンプトン、2020年1月〜サンプドリア、2022年7月〜シャルケ04でプレーしたのち、2023年8月にMLSロサンゼルス・ギャラクシーへ移籍。日本代表としてワールドカップに3度(2014年・2018年・2022年)出場し、通算126試合12得点。ポジション=DF。身長189cm、体重87kg。