第二次世界大戦の頃から1980年代の終わりまでに、イギリスはさまざまな核警報システムを導入して国民を保護しようとしてきました。具体的にどのようなシステムを導入していたのかについて、民営化前の郵便局で働き、1978年から1981年にかけて早期警戒装置を保守していたというスティーブ・スキャンロン氏が解説しています。

British Cold War Nuclear Warning System

http://www.ringbell.co.uk/ukwmo/Page211.htm

Communications

http://www.roc-heritage.co.uk/communications.html

第二次世界大戦が始まったことにより、イギリスでは空襲警報が警察の管理下に置かれるという原則が確立しました。警察による集中管理が始まったものの、全国的な警報システムというものはなく、地元警察を通じて各都市に情報が行き渡り、警察がサイレンを鳴らすという形態が取られていました。ここでは、サイレンの操作パネル付近に人員を配置する必要性を避けるため、英国郵政公社(GPO)が設計・保守する制御装置を取り付けた専用線が引かれ、警察署から遠隔制御できるようになっていました。

サイレンは目的ごとに操作ボタンが色分けされていて、導入初期は赤と白の2種類、核兵器が登場後は灰色と黒が追加されて4種類になりました。

「赤色攻撃警報」は名前の通り、攻撃があることを警告するもので、4秒続く上昇音の後に4秒の下降音が流れます。

「灰色警報」は、放射性降下物の接近を1時間前から知らせるために設定されたもので、通常の警報音にフラップでノイズを加えた音が流される予定でした。

「黒色放射性降下物警報」は、対象地区への放射性降下物の到達を知らせるもので、サイレンではなく花火3発か銅鑼3回、あるいは警察官が3回大きく笛を鳴らすことになっていました。

「白色攻撃情報」は、空襲の阻止成功、あるいは核爆発時には放射性降下物の放射能が安全なレベルまで下がったときに鳴るもので、サイレンが60秒間鳴り続けます。このお知らせが聞こえたら、シェルターから出てきても大丈夫だと判断できます。

第二次世界大戦が終わり、冷戦が始まると、それまでとは違った警戒システムの導入が求められるようになりました。主な懸念点は大陸間弾道ミサイル(ICBM)の使用であり、敵国が射出したミサイルをいち早く検知して知らせるための仕組みが必要でした。

イギリスは独自のICBMレーダーを開発せず、アメリカ側と交渉してアメリカのシステムを使うことにしました。データはフィリングデール空軍基地で処理されました。

冷戦時代に建てられたレーダーが以下。



3つのレドームはそれぞれ約3000マイル(約4800km)の検知範囲を持つ回転レーダーヘッドが入っていて、水平線から2.5°の角度でスキャンするヘッドと、水平線から5°の角度でスキャンするヘッドが備わっていました。ミサイルが発射されて2.5°と5°のビームを順に横切ると、多くの物体を同時に追跡できる第3のレーダーがミサイルを追跡し、その軌道を計算します。計算された軌道やその他の特徴からミサイルと判断された場合、状況表示コンソールが差し迫った攻撃を警告しました。



警告は、まず国防省またはイギリス警戒監視機関(UKWMO)に接続されることが想定されていました。攻撃が海岸近くの潜水艦から行われていない限り、差し迫った攻撃に対して4分間の猶予があると国民に警告することができたと考えられていますが、一部の論者は3分間しかなかっただろうと指摘しているそうです。

こうした大規模な監視システムとは別に、GPOとUKWMOにより全国的な早期警報システムを開発するための作業が進められていたそうです。1950年〜51年には特別な放送情報サービスを提供するためのシステムが開発され、少数のコントロールセンターから多数の受信ポイントへ同時に一方向通信を提供する手段が模索されていました。この初期の開発では、1950年代の家庭用ラジオ受信機と同じような回路を使ったデバイス「WB200」が生み出されました。



計画は遅々として進みませんでしたが、1959年1月にはようやく開発が進展。2700の交換機、150の管制センター、1万4000の加入者用受信機からなる第1段階の計画が始まり、1963年末までに5500の交換機、254の管制センター、2万1500の受信地点の機器の発注が実施されました。この攻撃警報システム、通称HANDEL(ヘンデル)は1965年までに導入が完了し、「WB400」という音声放送システムと、「WB600」というサイレン制御システムが要所に配置されました。

攻撃が実施されると、アメリカのコロラド州にあるノーザンレーダーシステムがイギリスへ警告を発します。これら警告は直ちにUKWMO等に伝えられ、要所にある音声放送システム等が国民に警告します。

地下監視ポスト内には以下の画像のようなスピーカーが設置され、「ピッピッピッ」と一定の音を出していて、攻撃の可能性が確認されたときは「赤色攻撃警報」を伝える手はずになっていたようです。こうしたHANDELシステムは冷戦の終わりまで使用されました。



なお、ヘンデルというコードネームは作曲家のゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルの「Judas Maccabaeus(Pt.2, No.45)」に由来しています。この楽章のタイトルは「Sound an alarm!」です。

Handel: Judas Maccabaeus HWV 63 / Part 2 - 45. Aria: "Sound an alarm!" 46. Chorus: "We hear, we... - YouTube