それとは逆に、臭いものに蓋をしようと処理すればするほど外に広がります。現に国会にまで取り上げられてしまいました。本来、この程度のことは学校内で処理できるはずだし、しなくてはならない。

 多感な年頃の中学生に対して、あくまでも他人事の事務処理として終わらせようとした学校サイドが、初手から大きなミスを犯してしまったのです。

◆感情論に訴えた生徒・保護者サイドの問題

 次に、生徒、保護者サイドの問題です。“ヒップホップを禁じられて泣く子もいた”といった感情論に訴えたことは悪手でした。なぜならば、こうした激しい情動に対して、世論は冷淡な客観性でバランスを取ろうとするものだからです。

 いままで許されていたものが突然ダメになるなんておかしい、子供がかわいそうだ。その心情は理解できても、むしろ理解できるほどに、そうは言っても世の中にはやむを得ないこともあるよね、という合意形成がなされる。すると、校長先生の言う「ヒップホップ部活でなくてもいいと思う」を、過大に評価する土壌が出来上がってしまうのですね。

 筆者もヒップホップ部活でなければいけないとは思いませんが、だからといって校長先生の説明が十分だとも思わない。

 そこで部活にクローズアップすると学校制度の話で逃げられてしまうので、ここは「ヒップホップを踊ることに対し、さまざま意見があった」という“意見”とはどのようなものがあったのか、またそれに対する校長の見解を冷静に問いただしていくほうが効果的だったのではないかと思います。ヒップホップが目の敵にされた理由の言質を取るということですね。

 校長の不勉強や考えの浅さが具体的に知れ渡れば、生徒や保護者を支持する人たちはもっと増えていたでしょう。

◆ある意味「社会の断絶」を示すニュースでもある

 けれども、残念ながらこちらも教育委員会に訴えたことで親の手から離れてしまいました。学校と生徒、保護者の双方がディスコミュニケーションのまま、騒動だけが大きくなっている。

 だからといって、これが切実な問題であるかと言われると答えに困ってしまう。にもかかわらず、各方面に飛び火している状況は滑稽に映ります。

 麹町中のヒップホップ禁止令は、本来朝日新聞が取材する必要も、国会で質問される必要も、そしてSNSのおもちゃにされる必要もなかった些細な話です。

 しかしながら、この程度のことすら当事者間で解決できなくなってしまった、巨大で底の深い社会の断絶を示すニュースでもあるのでしょう。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4