ヤクルト奥川恭伸が絶望の日々を乗り越え2年ぶり一軍マウンドへ「やめようと思ったことも」
ヤクルトの奥川恭伸が2年ぶりに一軍のマウンドへ帰ってくる。奥川は2022年のシーズン、初登板で右ヒジ痛を発症。昨年は一軍復帰も見えた7月に左足首を骨折。今年2月は一軍キャンプ参加も、完走目前の2月下旬に腰痛で離脱。
一軍に合流し、笑顔を見せるヤクルト・奥川恭伸 photo by Sankei Visual
奥川はこの2年の、自身の気持ちの移り変わりについてこう話した。
「ヒジが悪くて先が見えないときは、ネガティブになったりしました。ヒジがよくなったあとも足や腰のケガがあって、ずっと"いい気持ち"じゃなかったですね。だけど、こうやって投げられるようになってきて、そこでやっと......。(手術など)いろいろな選択肢があったんですけど、自分が決めたことが間違っていなかったと思えるようになってきました」
そして「挫折って今までなかったので、いい経験になったかな」と言ってこう続けた。
「それも天と地なんで(苦笑)。落差が激しかった分、落ち込みもすごかったですけど、やっぱり日本一を経験させてもらって......上を知っているからこそ、もう一度、あそこへ戻りたいという気持ちで頑張れたと思えます」
奥川は浦添キャンプから帰京後、ヤクルト二軍の戸田の施設でリハビリを開始。3月8日、球場に姿を見せ、外野のポール間をウォーキング。翌日にはキャッチボール、同27日にはブルペンで捕手を座らせて35球を投げた。
黙々と調整を続ける奥川に変化があったのは、4月17日に42球を投げたブルペンでのピッチングだった。明らかに表情に"喜び"があり、コーチやスタッフもそれを感じていたようだ。
松岡健一投手コーチからは「いい顔してんじゃん!」と声をかけられ、陸上競技場でジャンプ系のメニューをこなしていると、スタッフから「飛び跳ねている姿も楽しそうだな」と冷やかされる。この日から、奥川らしい笑顔が格段に増えていくのだった。
4月19日でのキャッチボールではこんなこともあった。前出の松岡コーチは、投手陣たちのキャッチボールを眺めながらこう言った。
「今日みたいなものすごい風のときでも、コントロールできるのがいいピッチャーなんですよ。奥川を見ていると、ほとんど相手の胸元に投げていますよね」
たしかにそのとおりで、さらに奥川は風を利用して漫画のような曲がりをする球や浮き上がる真っすぐを投げている。横でキャッチボールしていた田口麗斗も、その姿を見て大きな曲がりのカーブを投げていた。
「野球って楽しい!」と奥川が笑うと、田口も「楽しいよな!」とつづいた。
【ファームでの6試合】奥川はここまでファームで6試合に登板。投げるごとに球数、イニング数を増やし、ピッチャーとしての感覚を取り戻していった。ここまでの登板を振り返ってみたい。
4月20日 ロッテ戦(戸田)/1回(7球)、1安打、無失点
最速152キロをマーク。予定の1イニングを、奥川らしく少ない球数で無失点に抑えた。
「緊張しましたけど、試合で投げるのはやっぱり楽しいですね。7球で終わってしまったので、今回は終わってからちゃんとブルペンで投げました(笑)」
これまでは「自分が投げられないのに、見るのはつらいことですから」と遠ざけていた一軍の試合も、「今は調子がいいので見ます。毎日見ています(笑)」と、ようやくチェックできるようになった。
「ただ、一軍への準備とかの目線ではないですね。ふつうに勝ったかな、負けたかなと......。12球団のホームランも毎日チェックしています。見ると気持ちいいじゃないですか。ヤクルト以外の試合も、全試合ではないですが見ます。あとはすごいピッチャー、たとえば巨人の菅野(智之)さんの試合は全部見ています。どんなピッチングをしているのかなと。ふつうにストライクゾーンに投げて抑えて、真似できないですよね。菅野さんは自分がプロに入る前から好きだったこともあって、見ているのはファンとしてですね(笑)」
4月27日 日本ハム戦(戸田)/2回(50球)、3安打、3奪三振、2四球、3失点
コントロールに苦しんだように見えたが、そのことを確認するとこんな答えが返ってきた。
「コントロールがよくなかったというよりも、いつもだったら振らせられるところに投げても振ってもらえないような形にしてしまいました。ボールの使い方や見せ方の部分で、なかなか真っすぐでいけなかったり......結果、投げる球がなくなる配球をしてしまった。そこに尽きます。一番よくない打たれ方だったので、次にしっかり生かしたいですね」
5月6日 巨人戦(戸田)/7回(68球)、2安打、3奪三振、1死球、1失点
「前回はコースを狙ってやっていたのですが、今日は開き直ってアバウトに投げられました。7イニングを投げて、これだけ腕を振っても大丈夫だった。そこはうれしいですね。やっぱり球数というより、イニングを跨いでいくことのほうがしんどいので」
1イニングあたり10球以下という奥川らしいピッチングで、イメージどおりに打たせているように見えた。
「投げ始めた頃は、どうしても三振、三振と思っていたのですが、今日はゴロアウトやフライアウトが取れた。今までやってきた抑え方というか、『あっ、こうやってアウトを取っていたんだ』と。アウトの取り方をちょっと思い出したというか、今日はそういう感じです」
5月17日 日本ハム戦(鎌ケ谷)/5回(93球)、8安打(3本塁打)、2三振、1四球、7失点
「球数の心配は完全になくなったので、一軍に上がるため内容にこだわって投げたのですが、修正のしようのないくらいどうしようもなかったですね。途中、真っすぐをなんとか修正しようと投げたのですが......これだけコントロールできなかったのは初めてです。今まで、ストレートの四球とかないので」
マウンドでは明らかに平常心を失い、試合後も「まだ冷静になれないですね」と話した。こうような奥川の姿を目にするのは初めてのことだった。
「イライラして、集中力がちょっと切れてしまいました。野球はチームスポーツなので、そこは反省するところです。今日は配球とか関係ないですし、これでは一軍では投げられないですね。今日までイライラして落ち込んで、あとで今日の投球をしっかり見返して、なぜあんなピッチングになってしまったのか。どこが悪かったのかを修正して、明日からまた元気に戸田の球場に行かないと」
この試合に帯同した松岡コーチは、試合後「奥川は今日の失敗を長く引きずらず、次の登板に絶対生かしてきますよ。そこが彼のすごいところです」とコメントした。
5月26日 西武戦(戸田)/7回(100球)、5安打、4奪三振、2四球、2死球、2失点
「まだ気持ちの入り方の部分でブランクを感じています。どうしても『立ち上がりを抑えないといけない』『まとめないといけない』と思ってしまうところがあります」
序盤は常にランナーを背負う投球だったが、要所は締めた。
「前回のイライラはちゃんとその日だけにして、翌日には頭を冷静にしてダメだったところの修正に取りかかりました。バッターから見やすいというか、打ちやすいフォームになっていたので、そこは修正してきました」
この日の最速は151キロ。終盤になっても衰えることはなかった。
「球数もピッタリ100球で、7回を投げきることができた。一軍は行きたいですけど、そこは上の方の判断ですので。今日は要所要所でいい球がいきましたけど、その確率をもっと高めていきたい。その感覚を忘れないというよりも、常に求めるような感じで投げたいなと思います。そういう意味で、今後ファームでは自分が納得できるボールというか、一軍で勝負できる球やフォームを求めていきたいですね」
6月6日 オイシックス新潟戦(戸田)/3回2/3(48球)、3安打、2三振、1四球、2失点
6試合を投げたところで、ピッチャーとしての感覚がどれくらい戻ってきたかと聞くと、こう答えた。
「真っすぐでとった三振は、結果オーライではなく、狙ってとれました。ここで真っすぐを通せば絶対に三振になるとわかっての三振だったので、だいぶ(感覚は)戻ってきていると思います。あとは変化球のコントロールですね。ストライクをポーンと取りたいところでボールになると『次に何を投げようか』となっちゃう(笑)。あと闘争心はもっとほしいですね。まだ打たれる怖さとか不安が少し強いので。それも一軍のマウンドに立てば、(腹の底から)湧いてくるんじゃないと思うんですけど」
そしてイニング途中、48球で降板したことについては、「今日は、球数は抑えめになるとは聞いていたのですが、50球がメドとは知らなかったので、僕も驚きました」と笑った。
「でもみなさんは、何かあったと思うじゃないですか、僕なので......(笑)。体は超元気です。球数制限なく何球でも、というメンタルでゲームに臨めているのがうれしいし、『痛いな、痛いな』と言いながらやっていたときのことを考えると、ほんと楽しいですね。じゃあ、気をつけて帰ります(笑)」
【もう野球はやめられない】6月9日、奥川はチームのビジター試合には帯同せず、戸田球場で練習を行なった。一軍復帰への機運が高まっていることもあり、練習後の取材では戸田で過ごした長い時間についての話が多くなった。
「自分ひとりだったら、心が折れていたと思います。そのなかでチームの方や、チーム外でも治療の先生など、僕を助けてくれた方がたくさんいて、そういう人たちに出会えたのも大きかった。なにより(原)樹理さんや近藤(弘樹)さんなど、一緒にリハビリしたメンバーにはすごく助けられました。最初は『なんで自分だけが......』と思っていたのですが、僕よりもリハビリがしんどい選手がいるし、苦しんでいるのは自分だけじゃないと。そういうことをいろんな人に教えてもらいましたし、自分の目で見て感じました」
苦しい時間を乗り越えることで、「自分のなかでの成長を感じることができた」と、奥川は言う。
「野球のこともそうですし、自分のことについても知ることができました。ケガに関しても、いろいろなアプローチの仕方など、多くのことを学びました。そういう意味で、決してマイナスではなかったです。逆に変わらなかったことは、うーん、あまり思い浮かばないです。変わっちゃったかな、いろいろと(笑)。これまでずっといいときばかりだったので、悪い時期も経験して、いろいろ思うこともありましたけど、それがあったから強くなった気がします」
奥川は「なんで野球をやっているんだろう」と思った時期もあったという。
「野球が嫌いになったというか、こんなにしんどいなら自分からやめようと思ったこともありました。でも、ネガティブになっている時に、自分はまだまだできるんだと光を与えてくれる人たちがいたんです。今はその人たちのためにも野球を長く続けないといけないし、もう野球はやめられないなと(笑)」
今年でプロ5年目となる奥川だが、年齢で考えればまだ大卒1年目。チームには今年、西舘昂汰、石原勇輝という大卒1年目の同級生投手が入団した。
「そうですね。今年は大学を出て1年目だと思えば、僕にとって新しいスタートというか、そういう気持ちでこれから頑張っていきたいですね」
すでに登板日は告げられているのだろう。「一軍の登板はまだ先なのに、よく眠れないんですよ」と笑った。
「寝る前にいい時のイメージを頑張ってしているんですけど、ストライクが入らなかったらどうしようとか、一軍で強く腕を振ったときにスタミナが持つのかなとか。もうそこは流れに身を任せるだけです」
そうして奥川が言った何気ないひと言が深く胸に響いたのだった。
「僕はまだまだ野球大好きな"野球小僧"です」
2年ぶりとなる晴れ舞台への復帰。想像を絶する苦しみを乗り越えた先には、純粋に投げられることの楽しさと喜びが待っているのだった。