U-23日本代表・独占インタビュー
斉藤光毅(スパルタ・ロッテルダム/FW)後編

◆斉藤光毅・前編>>代名詞「1対1の仕掛け」はオランダで進化

 シーズン開幕早々に負ったケガを乗り越え、復帰後はエース級の活躍でスタメンに定着した斉藤光毅。スパルタ・ロッテルダムでの2シーズン目を終えた今、次はどんなキャリアを見据えているのか。

「趣味はサッカー」と言い、休みの日もクラブハウスを訪れてトレーニングをするほど、今でもサッカーにのめり込んでいる。この夏はステップアップ移籍やパリオリンピックと、大きな転換期を迎えそうな予感だ。

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斉藤光毅に次の移籍先について語ってもらった photo by Watanabe Koji

── ヨーロッパにやってきて、すでに3年半。言葉や食事など、生活面はもう問題ないですか?

「いや、問題ありありですね(笑)。オランダ語もしゃべれないですし。英語は日常生活では話せますけど、インタビューでは全然です」

── 地元のテレビ局が斉藤選手と三戸舜介選手、ふたりの密着ドキュメンタリーを作ったそうですね。

「そうなんです。密着なんて初めてのことでしたし、時間をオーバーして予定外の撮影をしたり、もう大変でしたね(笑)。でも、注目してもらえるのはうれしいことなので、貴重な体験ができてよかったです」

── その密着ドキュメンタリーでは、斉藤選手がワッフルを作る場面もありました。ふだんの食事はどうしていますか?

「日本人の方がやっているお弁当屋さんがあって、そちらの方にお願いして作ってもらっています。自炊も一時期はやっていましたが、大変でした。自分で作るとなると、いつも同じものになっちゃうし栄養も偏ってしまうので、お願いしたほうがいいかなと」

── クラブの食事は栄養面もしっかりと?

「たまにタンパク質が足らなかったり、野菜がなかったりもありますけど、もう慣れましたね。試合後にビールが普通に出てくることもあるくらい、おおらかなクラブなので(笑)。チームメイトには『飲め飲め』って言われますけど、せっかく飲むなら試合後じゃないほうがいいので、あんまり飲まないですね」

【テレビで見たU-23「自分だったらこう仕掛ける」】

── 今年の夏は、斉藤選手の世代が臨むパリオリンピックがあります。4月のU-23アジアカップでは大岩ジャパンが優勝し、五輪切符も手にしました。試合をテレビで見ていた感想は?

「自分が出られないので、それこそ、かなりもどかしかったです。もし負けたら、オリンピックに出場できないじゃないですか。それをほかの選手たちに委ねるのはすごくもどかしいし、出られないのは悔しいし、活躍しているのを見ると危機感を感じるし。

 ただ、自分には与えられた環境があったので、週末の試合に集中して、そこで結果を残さなきゃいけないっていう感じになりました。気持ちの整理は難しかったですけど、自分のことにフォーカスしました」


圧倒的な存在感で「チームの顔」となった photo by Watanabe Koji

── 大会に行かなかったのはクラブの意向?

「そうですね。でも、スパルタも大事な時期だったし、プレーオフに行くか行かないかが決まる大事な時期だったので、残ることになりました」

── 斉藤選手が残ったから、プレーオフに進出できたのかもしれません。

「そう思ってもらえたらうれしいですけど。正直どちらも大事だし、どちらかを選べって言われても選べないし、選べる立場でもないので難しかったです」

── オリンピック予選を突破して、代表のチームメイトに連絡をとったりしました?

「いや、連絡できる立場じゃないので。クラブチームに残って試合に出ている僕から『なんで、おめでとう?』って思われるかもしれないじゃないですか.........いや、そんなことないと思いますけど。でも、代表のスタッフからは突破したよって連絡はもらっていたので、それには『おめでとうございます!僕もがんばります!』って返しました」

── どのような思いで試合を見ていたのですか。左サイドに自分が入っていたらどうするか、とか?

「自分だったらこう仕掛けるな、とかはありましたけど、その時の状況や戦術もあるだろうし。自分の考えとは違う状況がいろんな角度で求められているだろうなと思ったし、実際はどういう感じなんだろう、というもどかしさも感じました。危機感もあって本当に難しかったです」

【五輪後は一日でも早くA代表に行きたい】

── ぜひともオリンピックは行きたいですよね?

「選ばれたいですね。ただ、6月のアメリカ遠征に選ばれても、そこで活躍しなければパリには行けない。がんばります」

── 過去のオリンピックは見たことはありますか?

「東京オリンピックは見ていました。東京大会のあとに海外に出た人もたくさんいたので、自分のキャリアにとって大きい大会にしたいなと思う。活躍すれば180度、自分の価値が変わる大会になる──そういう大会だと思うんです」

── 記憶で最初に残っているオリンピックはいつですか?

「記憶にあるのは、4位になったロンドンですかね。たしか当時10歳か11歳で、普通に楽しんで、見ていたのを覚えています」

── ヨーロッパにいると、オリンピックの価値が日本に住んでいた時と少し違う感じはしませんか?

「でも、オリンピックは注目されるし、クラブやスカウトにとっても大事な大会だと思うんです。世界大会なので、やっぱり出たいですよ。どこのポジションでもがんばります」

── オリンピックの先にはA代表も視野に入れていると言っていましたね。

「一日でも早く、A代表に行きたいですね。五輪代表にもA代表にも選ばれたいです」

── 一方、今後のクラブに関しては、常に「ステップアップ」という言葉を発しています。

「そうですね。ずっとステップアップしたいっていう気持ちはあります。上に行けるのであれば、いつでも行きたいです」

── 移籍は今年の夏という可能性もありますか?

「まだ正直わからないですけど、いろいろな話を詰めていって、それがステップアップという形になればいいなと思っています」

── 行きたいリーグやチームは?

「いや、実はないんですよ。ふだんはサッカーも全然見ないですし。テレビで見ていると、サッカーをしに行きたくなっちゃうんですよね(笑)」

── では、ケガの期間は地獄のような日々でしたね。

「本当に地獄でした。スパルタの試合も見てはいたのですが、プレーをしたくなっちゃうし、もどかしい気持ちになるし、危機感も湧くし......。そういう思いが出てくるので、あまりテレビで試合は見ないですね」

【目標はチャンピオンズリーグ決勝でゴール】

── ステップアップできれば、特定したクラブはないと?

「強いて言うなら、チャンピオンズリーグで優勝できるようなチームですね。チャンピオンズリーグの決勝で点を取りたいと思っているので、どこかでその目標を達成したいです」

── 日本でも多くのファンが斉藤選手を応援しています。

「仕掛けの部分とか、得点に関わるプレーを見てもらって、自分のプレーを好きになってもらえたらうれしいです。見てもらって、好きになってもらって、応援してほしいっていうのは正直な気持ちです。そのため、本当にがんばりたいなと思います」

<了>


【profile】
斉藤光毅(さいとう・こうき)
2001年8月10日生まれ、神奈川県出身。横浜FCの下部組織で育ち、高校2年の2018年7月にクラブ史上最年少でJリーグデビューを果たす。2021年にベルギーのロンメルSKに完全移籍し、2022年よりレンタル移籍でオランダのスパルタ・ロッテルダムに所属している。代表歴はU-16から各アンダーカテゴリーで活躍し、U-17ワールドカップやU-20ワールドカップのメンバーにも選ばれている。ポジション=FW。身長170cm、体重61kg。