2024年春、ロシアの首都モスクワでは、フードデリバリーの電動車が市内を走り回っていた(写真・新井洋史)

2024年春、ロシアを訪れた。コロナ禍前以来なので、4年ぶりの訪問となる。

ある程度予想はしていたが、街の様子はあまり変わっていなかった。モスクワで一番印象的だったのは、フードデリバリーの電動アシスト自転車が走り回っていたことで、歩道を歩いていて危険を感じるような場面もあった(写真)。

これは、もちろんコロナ禍の影響である。2022年2月のウクライナへの侵攻とそれに対する西側諸国などの制裁の影響は、街中ではほとんど感じられなかった。

注意深く観察すれば経済制裁の影響がないわけではないのだが、「街行く市民に困窮の色が見える」といった状況からはほど遠い、穏やかな空気であった。

さほど悪くない経済状況

対ロシア制裁が、多くの西側諸国の人々がウクライナ侵攻が始まった2年前に期待していたほど大きな成果を上げていないことは誰の目にも明らかになってきている。ここでは、そのことをさまざまな経済指標を用いて、あらためて裏付けていく。

以下、経済概況、対外貿易状況、財政状況、消費・家計といった順で概観し、制裁や戦争による影響を飲み込むロシア経済の懐の深さを描いていきたい。

まずは、経済が全般としてさほど悪くないということを確認しておこう。

2022年、ロシアは1.2%のマイナス成長を記録した。対ロ制裁が効果を上げたようにも見えるが、ロシア中央銀行が2022年4月に公表した経済見通しでは8〜10%のマイナス成長を見込んでいたので、それに比べれば傷はずっと浅かった。

続く2023年は3.6%のプラス成長に転じた。もともとロシア経済は資源輸出に大きく依存しており、国際原油価格の下落は経済成長率の低下に直結していた。

ところが、2023年は史上初めて、原油価格が低下する中で経済成長率が改善するという異例の事態が起こった。後述するように、その背景には内需の拡大がある。

対ロシア制裁の内容をみると、ロシアを世界経済から切り離すことが1つの主眼となっているように思われる。

西側諸国による化石燃料などの輸入停止や輸入削減、第三国向け原油に対する上限価格(1バレル60ドル)の設定、軍用品を中心とした幅広い品目の対ロシア輸出規制、国際的な銀行間決済システムSWIFTからのロシア銀行の排除など、さまざま措置が取られている。

また、西側の多国籍企業の撤退も相次いだ。われわれが持つVISAやMasterといったクレジットカードもロシア国内では使えない。逆にロシア国内で発行されたこれらのクレジットカードは、ロシア国内では使えるが国外では使えない。

多くの人は、「これだけのことをしたのだから、さぞかし貿易が減るだろう」と思うはずだ。ところが、ここでも予想は覆された。

世界経済とつながったまま

2022年の貿易総額は8478億ドルで過去最高を記録した。輸出額、貿易黒字額も過去最高で、制裁下で外貨獲得が進むといった逆説的な状況が出現した。


ウラジオストク港の夜景(写真・新井洋史)

これは、国際エネルギー市場の混乱から原油価格が上昇したことが大きな要因である。それに比べると2023年は貿易額が減少したが、2010年代以降の平均的な水準に戻ったにすぎない。

要は、ロシアは今でも世界経済とつながったままなのである。よく言われるように、中国やトルコ、インドなど、制裁に加わっていない国々との貿易額が増えた。

中国は、もともとロシアにとって最大の貿易相手国であったが、2022年の両国間の貿易額が対前年比3割増の1885億ドルに達した結果、ロシア貿易全体の23%を占めるに至った。

同様に、トルコとの貿易額は倍増してロシアにとって第2位の貿易相手国に、インドは3倍以上に増えて第5位の貿易額となった。2022年は原油価格が高かったこともあり、制裁に参加しているベルギー、イタリア、フランスなどですら対ロシア貿易額が増加した。

そもそも対ロシア制裁は、すべての品目の輸出入を禁じているわけではない。2017年に導入された北朝鮮に対する国連決議に基づく制裁と比べれば、参加国や対象品目などの面で、今の対ロシア制裁は相当に緩い制裁である。

アメリカですら当面はロシア産ウランの輸入を継続せざるをえないなど、ロシア経済はさまざまな面で世界経済と深く結びついている。制裁強化の動きは続いているものの、その延長線上でロシア経済を孤立させようとしても、その道のりは見通せないほど長い。

軍事支出は確かに増えているが…

さて、内需の動向に目を転じてみよう。前述の通り、ロシア経済の成長率は、2022年はマイナスで2023年がプラスとなった。

ただし、支出項目別のGDP(国内総生産)成長寄与度をみると、両年とも内需(家計消費、政府消費、総固定資本形成、在庫品増加の合計)はプラスであった。これら内需を支えるのは政府と家計の支出なので、それぞれの状況をみていこう。

ロシア政府は比較的健全な財政運営を続けてきた。コロナ禍への対応で支出が増加した2020年の連邦財政は対GDP比3.8%という、ロシアとしては比較的大きな赤字を計上したが、翌2021年には同0.4%の黒字に戻した。

その後に開始したウクライナ侵攻は、もちろん財政への負担となっている。2022年、2023年と2年連続で連邦財政は赤字(それぞれ対GDP比2.1%、1.9%)となった。2022年の歳出額は対前年比26%もの大幅増であった。

ロシア政府が歳出内訳の公表を取りやめたこともあり、実際に軍事支出がどれだけ増加したのか明確にはわからない。ただし、2024年予算で国防費が対前年比7割増となっていることなどから考えても、軍事支出が大きく増えていることは確実である。

軍需が経済を押し上げている状況は、生産活動にかかる統計データからも推察される。その傾向は2023年にとくに顕著となった。

産業部門別付加価値額の統計において、2022年と比べて最大の伸び率を示したのは「コンピューター、電子・光学機器製造」で31%増であった。

続いて、「金属製品製造(機械・設備を除く)」(対前年比26%増)、「その他輸送用機器製造(注:鉄道車両や航空機などを含む)」(同23%増)、「自動車・二輪車販売・修理」(同21%増)となっている。いずれも軍用品の生産等に大きく関わる産業とみなすことができる。

軍需に支えられた経済成長は今後も続くのだろうか。ロシア政府は以前から毎年3カ年予算を策定してきており、2023年末に2024〜2026年の連邦予算を成立させている。

国内債務残高も通常レベル

それによれば、この3年間も赤字財政が継続することとなっている。ただし、赤字幅は圧縮され、それぞれ対GDP比0.9%、0.4%、0.8%である。

ロシアには「国民福祉基金」という名称の基金があり、これが事実上の財政調整基金となっているが、これにはできるだけ頼らず国債発行によって赤字補填を図る計画となっている。


モスクワ市内のショッピングセンター(写真・新井洋史)

ロシア政府の国内債務残高は2022年以降急増したものの、依然として対GDP比12%程度でしかなく、この数字だけを見れば政府債務の増加を心配するような状況ではまったくない。

対ロシア制裁により外国投資家によるロシア国債の購入は大きく制約を受けるが、国内だけでも十分に消化できるものと考えらえる。究極的には数多くある国営企業等に強制的に国債を引き受けさせることも可能である。

また、状況や目的はまったく異なるものの、日本銀行が多額の国債を保有しているという実態を考えれば、ロシア中銀が一定の役割を果たすスキームも考えうる。

財政赤字規模が現状の見通しよりも拡大したとしても、これらの形でのつじつま合わせも念頭におけば、近い将来に財政破綻が起こる可能性は低そうだ。これまで財政規律を重視してきたことの賜物である。

家計の状況を見ると、ロシア経済の懐の深さがより明確になってくる。

ロシアは人口1億4600万人(世界9位)であり、大きな消費市場を持っている。そして、この消費市場は戦時下、制裁下にあっても相当に底堅い。

小売売上高は、2022年こそ対前年比6.5%減少したが、2023年には同8.0%増加した。個人向けサービス売上高に至っては、2年続けて増加(それぞれ対前年比5.0%、4.4%)している。

再び前述の部門別付加価値額統計を見てみると、「旅行業および関連サービス業」が2年続けて増加(同4.3%、19.2%)している。2022年には、「スポーツ・休養・娯楽」(同7.7%)や「ホテル・飲食業」(同4.3%)も大きな伸びを記録していた。

国内旅行を楽しむロシア国民

2024年4月に訪れたウラジオストク空港の国内線出発ロビーは、4年前と比べて売店やカフェの数が増えていた。


2024年4月のロシア極東・ウラジオストク空港の国内線出発ロビー(写真・新井洋史)

国外旅行の代わりに極東方面への観光旅行に出かける動きはコロナ禍の時期からあったが、対ロシア制裁によって国際航空路線が大幅に減少したことからその勢いが増したとのことだ。

日本製品専門店や韓国製品専門店もあり、モスクワなどから来た観光客が帰路に空港でこうしたお土産を買っていくのだろう。

堅調な消費を支えているのは、家計収入の伸びである。月次の実質賃金動向を見ると、2022年10月以降、対前年同月比でプラスとなる月が続いている。

とくに、2023年4月からの3カ月は連続して対前年同月比10%以上の大幅な増加となった。名目賃金は、2年続けて対前年比14.1%もの増加を記録した。その背景には労働市場の逼迫がある。

失業率は、2022年2月のウクライナ侵攻開始時点ですでにコロナ禍前を下回る水準となっていたが、その後も低下傾向が続き、2024年3月時点で2.7%にまで低下した。この間に雇用者数は120万人増加した。

ウラジオストクやハバロフスクでは、若者が高給を求めてモスクワなどに出ていってしまうという恨み節も聞いた。労働者の流動性の高さが賃金上昇を加速しているという面もありそうだ。

こうした中で注目したいのは、インフレ動向である。消費者物価上昇率は2022年に11.9%を記録した後、2023年には7.4%に低下し、ロシアにとっての「普通のインフレ」水準に落ち着いている。


ウラジオストク市内を観光する中国人観光客(写真・新井洋史)

しかしながら、ロシア国民には根強い「インフレ懸念(インフレ期待)」がある。経験則として、ルーブル安がインフレに直結するという記憶が染みついているため、少しでもその気配があると国民が自衛策に走り、インフレが自己実現する素地がある。

2022年春の、外貨収入の強制両替などの奇策を用いた通貨安定策は、政権側のインフレ阻止の強い意志の表れでもあった。古今東西、ハイパーインフレは政権を脅かす最大の要因の1つである。果たしてロシア当局はインフレをコントロールできるだろうか。

戦時経済という言葉から、「欲しがりません、勝つまでは」という標語を唱えて窮乏生活に耐える国民を思い浮かべるのは、筆者だけではないだろう。しかしながら、ロシアの現実はそれとはまったく異なる。

ロシアを追い詰める制裁はあるのか

スーパーのワイン売り場には、ボルドー産やカリフォルニア産のワインが隙間なく並んでいる。対ロシア制裁はあまり効果がなさそうだ。

少し視野を広げてみれば、より長期間より厳しい制裁下にある北朝鮮経済が崩壊には至っていないという現実がある。はるかに大きな経済力を持つロシアを追い詰めるような経済制裁はそもそも不可能だと考えるのが妥当ではないか。

他方で、経済制裁や戦争の継続自体がロシア経済に負の影響を与え続けることも確かである。ロシア経済の近代化には西側先進国の技術や資金が不可欠だった。中国やグローバルサウスとの関係強化は、それらの一部を代替するかもしれないが、西側諸国と良好な関係を続けていれば得られたであろう果実よりは小さい。

戦闘で消耗するためだけの軍需品の生産を増やすことは、資源(天然資源、人的資源など)の浪費以外の何物でもない。戦場で命を落とす兵士に至っては言わずもがなである。

現在、ロシア経済の懐の深さのおかげで、ロシア国民は普通の生活を送ることができているのだが、そのことは果たして幸せなことなのか。悩ましい問題である。

(新井 洋史 : 新潟県立大学北東アジア研究所教授)