北朝鮮を相手に、田中碧が挙げた開始2分の先制点が唯一のゴールとなった森保ジャパン。世の中には1−0の勝利でも、喜べるものもあれば喜べないものもあるが、これは完全に後者の部類に入る。この試合後、北朝鮮の平壌で予定されていたアウェー戦の開催地が変更になると発表があったが、日本にとっては歓迎すべき決定に思えた。もし平壌で行なわれていれば、危なかったのではないかと思われるほどの試合内容だったからだ。

 大本命に挙げられながら、まさかのベスト8に沈んだアジアカップ後、初の一戦である。代表監督の解任劇に発展していてもおかしくない苦境のなかで迎えた一戦とあれば、試合の前日会見ではその反省、検証、さらには今後に向けた修正点を明らかにするのが監督の務めだろう。メディアが正常に機能している国なら、より具体的な説明が求められたに違いない。ところが記者会見での森保一監督の表情は落ち着き払ったものだった。口をついて出てきたのは従来路線の肯定で、慎ましい口調の裏に垣間見える強気な姿勢に、不安を覚えずにはいられなかった。

 違和感は翌日、ホーム戦を1−0で終えた後の会見でも変わらなかった。「次戦に向けて自信になる勝利をつかみ取ることができた」と言うのだった。


北朝鮮に1−0で勝利の収めた日本代表の選手たち photo by Sano Miki

 そもそも北朝鮮の選手の力はJ1レベルに届いていない。日本代表でプレーできそうな選手は誰ひとりいない、まさに格下のチームである。2月28日に、なでしこジャパンが同じ国立競技場で対戦した北朝鮮の女子チームのほうが、日本との関係でいえばレベルははるかに高かった。拮抗した関係にあった。実際、なでしこジャパンに加えたい選手が何人か目に留まったほどだ。

 ベトナム、イラク、インドネシア、バーレーン、イラン相手に3勝2敗に終わると、協会関係者やメディアからは「アジアのレベルは上がった」と、日本の不振を嘆く前に相手の健闘を讃える声があがった。この北朝鮮戦も構造は同じだ。相手のレベルはどれほどなのか。会見で森保監督は北朝鮮に賛辞を送っていたが、社交辞令に留めておきたいレベルであることを忘れてはならない。

【満員ではなかった客席】

 春と呼ぶにはほど遠い極寒のスタンドで試合を観戦していると、時計は遅々として進まなかった。時間がアッという間に経過するハイレベルな好試合とはまさしく対極の関係にある試合だった。

 試合内容が悪すぎる。サッカーが面白くないのだ。森保監督は、試合に勝てば「勝利を届けることができてうれしい」と言う。この試合も例外ではなかった。「多くの観客が集まった国立競技場で勝つことができて......」と、開口一番述べている。だが、多くのファンはJ2レベルのチームに1−0で勝利しても喜ばない。高いチケット代に見合うエンターテインメントであったか、無意識のうちに内容を吟味しているだろう。

 サッカー協会は、試合開始の数時間前に観戦チケットが売り切れたと伝えた。完売まで時間を要したことになる。ゴール裏に陣取るサポーターも減少した。森保ジャパンへの期待値が低下していることは認めざるを得ない確かな事実なのだ。この時代、テレビの視聴率より信用すべきはスタンドの満杯率。欧州組を大量に帰国させ、メンバーを編成しても超満員にはならなかった。

 終盤、日本が5バックに転じ、前田大然、浅野拓磨らの俊足に頼るアバウトなカウンターサッカーに転じると、タイムアップの笛を待つことなく帰路を急ぐ観客が目についた。

 森保監督は前日会見でこう述べていた。

「状況に応じて、いろんな戦い方ができるチームは強いと思っています。ひとつのことをやり抜く。これも大切ですが、我々は現実的に起きるいろんな状況に対応できるチームとしてこれまでも経験を積んできていますし、また明日の試合でも、状況によって戦い方をしっかりと選択できればなと思っています」

【J2レベルの相手に守りを固めて...】

「いろんな戦い方ができるチームは強い」とは、5バックを正当化させる言い回しにほかならない。「賢く、したたかに」という表現も森保監督は頻繁にする。だが、J2レベルのチームに対し5バックで守りを固める作戦に出るとなると、「状況に応じて」ではなくなる。危ないと見るや後ろを固める。これはお約束、心の拠りどころになっていると言ってもいい。サンフレッチェ広島監督時代、5バックになりやすい3バックで成功を収めてきた監督の本質が垣間見える。

 なぜこの手のサッカーが世界的に見て少数派なのか。これまで欧州の評論家、解説者、監督は、口々にこう説明したものだ。

「失敗したときのリスクが大きすぎる」「選手の信頼を一気に失う」「同じ1敗でも3、4敗分に相当する」「プレッシングを貫いて敗れたほうが次につながる」「選手のモチベーションが違う」「そもそも面白くない」「観客が喜ばない」......。

 サッカー競技の進歩、発展の歴史を見れば、ハッキリとしている。トータルフットボール、プレッシングサッカーというサッカーの概念を変える2大発明なしに、それを語ることができない。後ろで守る古い概念に基づくサッカーに手を染めることは、歴史的に見た時、格好いい姿には見えない。時代をリードしているのはどちらのサッカーか。ジョゼップ・グアルディオラなのかジョゼ・モウリーニョなのか。少し長い目で見れば一目瞭然となる。

 そして繰り返しになるが、面白くない。欧州でチャンピオンズリーグが発展した理由は、攻撃的サッカー陣営の興隆と密接な関係にある。

 同じ3バックでも、5バックになりにくい攻撃的な布陣もある。だが、その領域には踏み込もうとしない。踏み込む術を知らないという印象もある。使い分けているのではなく、単に守備的サッカー好きと考えるのが自然である。4−2−3−1や4−3−3で戦うことは、森保監督にとって仮の姿なのだろう。攻撃的サッカーがまるで機能しない理由である。

「そのあたりはコーチに任せてある」と森保監督はよく口にする。だがヘッド格の名波浩コーチが、ジュビロ磐田監督、松本山雅監督時代に展開したサッカーは非プレッシングサッカーだった。果たしてそのサッカーで結果を出しただろうか。

 ない物ねだりを承知で森保ジャパンに求めたいのは、攻撃的サッカーをきちんと追求する姿勢だ。いい攻撃がいい守備につながることを森保監督は理解すべきである。「守りながら攻める」ことも大切だが、「攻めながら守る」ことも重要なのだ。このコンセプトが浸透しないと、攻撃のマックス値は上がらない。もはや慢性的な病になりつつある攻撃力不足から脱却しない限り、W杯ベスト8以上など夢のまた夢。追加点を追求せず、1−0をオッケーとするサッカーでは次につながらない。チームは勢いづかないのである。