マイアミ・オープン開幕前日──。

「メディアデー」と銘打たれたこの日、地元メディアや日本報道陣の取材に応じる錦織圭の表情は、明るく、柔らかく、同時に精悍にも見えた。13歳の時から過ごすフロリダ州ブラデントンからクルマで4〜5時間の距離という"ホーム感"も、表情に光刺す要因だろうか。

 最高位・世界4位。日本テニス界のみならず、世界のテニスシーンにもその名を刻む錦織圭が、約8カ月ぶりにコートに戻ってきた。

 ようやく再スタートラインに立つ彼の、今の心境や、未来への希望とは?

 いつもの朴訥な口調で、でもどこか達観した風情もまといながら、単独インタビューにて胸の内を明かしてくれた。

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錦織圭が単独インタビューで語った思いとは? photo by Sato Hiroshi

「マイアミの出場を狙っていたのは1カ月くらい前からで。でも本当に決めたのは、1週間前くらい。ギリギリでした」と、錦織はふわりと笑った。

 最後に公式戦に出たのは、昨年7月。ATP250の「アトランタオープン」だった。この大会中にひざの痛みを覚えた錦織は、3回戦敗戦後に予定していた翌週の大会出場を見送る。以降、大会にエントリーはするも、直前で取りやめることが続いた。

 今の錦織は、復帰の指標をどのように設定しているのだろうか?

「本当は全部治して、もう100パーセントにして出たいと思っています。やっぱり試合になると、自然と無理しちゃうので。

 60〜70パーセントの状態で試合に出ると、確実にまた再発する。それだけは、もうやめようっていうのは、コーチ陣たちとも話しています。(今は)十分に試合ができるまでには戻ってきたと思うので、今大会には出ようと思いました」

 そのような方針の背景には、昨年夏の悔いがあるのだろうか?

「まあ、あれは......復帰戦で優勝したATPチャレンジャーの時は、本当にほぼ痛みなくてできていたんです。ただ、たぶんそこでの疲れやダメージが溜まっていて、アトランタではちょくちょく痛みが出てきた。

 痛いながらも(試合が)できていたのでやっちゃったから、これだけ時間がかかってしまったので......本当にこれからは、スケジュールも考えないといけない。

 連戦にポンポンと出続けて、またトップ10に戻るっていうのが、あの時の目標ではあったんです、夏に戻ってきた時は。でも今は、いきなりそこまで行けないというか、そこをまず目指すのは違うかなというのは、ちょっと変わったところですね。まずは、身体優先でスケジュールも組まないといけないな、というところにはなってきていますね」

 いきなりトップ10を目指すのは、今は違うかな──と錦織は言った。ただそれは、あくまで連戦が求められるランキングシステムの構造上の問題。身体さえ万全なら上位勢とも戦えるはずという、希望と表裏一体の言葉でもあるだろう。

 そんな自身の「現在地」を測る意味合いもあっただろうか。大会開幕の2日前、錦織は世界8位のキャスパー・ルード(ノルウェー)と試合形式の練習を行なった。その時の手応えを尋ねると、彼は「いや、なんか......」と、困ったような笑みをこぼしながら、こう続けた。

「勝っちゃったんですよね、6-4とかで。昨日は、これまでの練習でも一番よくて。ここのコートが速くて自分に向いているというのもありますが、昨日は一番よかったですね。

 そういう点では、これが試合で出せればいいですけど......、そこですね、あとは。けっこう、いろんなことが急にバチッとハマってきて。トップの選手とやったのでリズムがよかったのかもしれないですけど、感覚もよかったし、狙ったところに入るし、ミスもそんなになかったし。試合前の練習としては、本当にベストでした」

 自分への期待値を上げすぎず、平常心で挑もうという心構えと、期せずして訪れた心技体すべてが噛み合い、思いどおりにボールが飛んでいく懐かしい快感。そのせめぎ合いが、あの困惑気味の笑みの正体だったのだろう。

 テニス面で言えば、錦織は今年に入り新コーチとして、2002年全豪オープン優勝者のトーマス・ヨハンソンをチームに迎えた。「僕のいいところを伸ばしてくれる」という新コーチとはこのひと月ほど、サーブの改革に取り組んでいるとも言う。

「直すところは、いくつかある。すぐにできるとは思わないので、長い目で見てやっています」というのが、錦織の心境だ。

 長い目......それはすなわち、まだまだ続くキャリアを思い描いているということだろうか?

「そうですね、やる気が続くかぎりは。まったく見えないですけども......急に、もう今年までって言うかもしれないし、2〜3年先かもしれないし。まだ、あんまり先は見てないですが、なるべく長くやる方向で、自分では考えています」

 新しいコーチを迎え、新しい声を耳にすることで、自分のなかに改善の余地や、成長の喜びを見つけることはあるだろうか?

「ああ、たしかにありますね。いまだに、いっぱいやることがあるので。もちろん自分のテニスの形はあるし、たぶん、いまさらプレースタイルを変えるってことはないと思います。

 基本的には、攻めていくっていうプレースタイルは変わらないけど、ちょいちょい直すところがまだあったりするのは、コーチと話しながら判明していく。新しいことが見つかるので、コーチを変えたりするのも、結果としてはよかったなって思っています」

 錦織が追及する「攻めるプレースタイル」は、現在の男子テニス界の趨勢(すうせい)であり、その新世代の急先鋒がカルロス・アルカラス(スペイン)とヤニック・シナー(イタリア)である。

 以前に、このふたりの名を「対戦してみたい選手」として挙げていた錦織は、彼らの試合を見ながら「自分ならこう戦うかな?」と思うことがあるだろうか?

「ちょっと考えますね。でもあんまり、解決策が見当たらないですけど。特にあのふたりに関しては(笑)。でもなんか、『こうやってプレーしたらどうかな』とかは、なんか考えたりはしますね。

 まだ、自分がそこに追いつけるレベルまで達してないと思うので、まずは自分の調子を取り戻すことが最初ですけど。自信がついてきたら、またこういうトップの選手と戦えるようになったらうれしいです」

 いずれも10歳以上年少のアルカラス(20歳)やシナー(22歳)とは、錦織は未対戦。それ以前に今大会の選手ラウンジを訪れても、名前と顔が一致しない選手も少なくない。そんなラウンジの光景を見ながら、やはり時間の流れを感じずにはいられなかったと言う。

「本当に若い選手が増えてきて、知らない選手がまあまあいるんですよ。それが本当、こう......年を取ったなって、自分が。2〜3年、ほぼツアーにいなかったので、ちょっと浦島太郎感もあるし。

 そこはすごい感じましたね。なんか自分が年を取ったんだなっていう。男子もそうなんすけど、特に女性の選手には、トップ20〜30位でも知らない選手がいたりするので、ギャップっていうのはけっこう感じます」

 悲しいですけど......そうポツリとつけ足して、彼はまた困ったように笑う。

 34歳を迎えた今、自分がベテランと呼ばれる立場になったことを、感じないわけにはいかない。ただ同時に、20代なかば頃の彼は、「30歳を超えてプレーする自分が想像できない」とも言っていた。

 あの当時に漠然と予感していた30代の自分と、現実の今の自分にギャップを覚えはするだろうか?

「あー、ありますね。やっぱり30(歳)って、以前はひとつの区切りだったと思うんです。特にあの頃はまだ、ラケットとかトレーニングとか......特に回復のための治療や技術とかも、そこまでたぶん発達してなかった。なので、なんとなく全員30歳をすぎたら、辞めることを1回考えるみたいな風潮なのかなって、20代前半の頃は思ってました。

 でも、自分がなってみると、30歳はまだ全然だし、『まだ30か』っていうくらいの感じなので。さすがに今の34歳はちょっと上に感じていますけど、そこはけっこうギャップはあると思います。

 モチベーションがもつのかなっていうのも、前は思っていました。30歳くらいになり、プロも10年やったら、バーンアウトじゃないですけど、もうお腹いっぱいになるんじゃないかなと思ってきたので。

 それがいまだに、そんなにない。このケガの期間も長いので、プロ生活が15年あったとして、15年間フルでやってはいないので......なんかその、やっぱ失っていた期間がモチベーションになってたり。そこまで疲れていないというか、逆にフレッシュなのかなと思います、34歳のわりには」

 まだうまくなれる。まだやりきっていない。また強い選手と対戦したい──。彼の言葉のはしばしには、そして表情には、そんな無垢な想いがにじむようだった。

 34歳を迎えた"永遠のテニス少年"は、種々の想いに胸を膨らませ、トッププレーヤーたちの集うコートへと向かっていく。