俳優・柿澤勇人、強豪校でサッカー漬けだった学生時代…“課外授業”が人生の転機に。劇団四季入団当初は「一番下手くそだった」
これまで数多くの舞台に出演してきた柿澤勇人さん。
舞台だと『スリル・ミー』(演出・栗山民也)、『海辺のカフカ』(演出・蜷川幸雄)、『愛と哀しみのシャーロック・ホームズ』(演出・三谷幸喜)などに出演。映像作品でも連続テレビ小説『エール』(NHK)、『真犯人フラグ』(日本テレビ系)、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK)、映画『鳩の撃退法』(タカハタ秀太監督)など多数。
2024年5月7日(火)から26日(日)まで彩の国さいたま芸術劇場大ホールで上演される彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd Vol.1『ハムレット』(演出・吉田鋼太郎)に主演する柿澤勇人さんにインタビュー。
◆プロサッカー選手を目指し強豪校へ
神奈川県で生まれた柿澤さんは、曾祖父が浄瑠璃の語り手・清元志壽太夫さん、祖父は三味線奏者の清元榮三郎さん、ともに人間国宝という家に生まれ育ったが、芸事にはあまり興味がなかったという。
「歌舞伎座、新橋演舞場、金沢、京都などによく芝居は見に行っていましたが、正直よくわからなかったですし、僕も父も次男なので、継ぐ宿命にはないという感じがありました。
あと、少し怖かったんですよね。みんな敬語だったし、祖父でありながら甘えられないというか。だから、そっちの世界に進みたいとは思わなかったんです。
小さい頃から活発で、サッカーをやったり、鬼ごっこをしたり…“ザ・男の子”みたいな感じだったと思います(笑)」
――合唱部にも入ってらしたとか。
「はい。合唱もやってたし、ピアノもちょっとやって、サッカーもやって、プールにも…とにかくいろいろなことをやらせてもらっていました」
――サッカーの名門都立駒場高校に進まれたのは?
「もともとは幼稚園から大学までエスカレーター式で行ける私立の学校に入れてもらっていたのですが、プロサッカー選手を目指したいと思ったので、そのエスカレーター式の高校をやめて、サッカーの強い強豪校に行こうと一念発起して受験をしました。
無事に合格したのですが、高校に入ってすぐに自分には才能がない、プロサッカー選手にはなれないと気付いてしまいました。でも高校は楽しかったですよ! 高校生活が一番楽しかったかもしれないですね。ひたすらサッカーだけやっていました(笑)」
――ミュージカルとの出会いは高校1年のときですか?
「はい。たまたま課外授業で劇団四季の『ライオンキング』を見に行って衝撃を受けて、『これやってみたい!』と思ったことが、この世界を目指すきっかけになりました。
でも、高校の3年間はサッカーに専念していましたね。大学に入ってからの半年間で劇団のオーディションを受けるため、養成所に通いました。
午前中の1、2限目は大学の授業を受けて、午後からは池袋の養成所に行って踊りの基礎や発声、自主練で歌の練習などをして半年後、劇団四季のオーディションを受けて、研究生になりました」
――劇団四季は倍率がかなり高くて合格者は100人にひとりだと言われていますね。
「僕が入って1年間で人数は半分以下になったし、1年で先輩たちも、今日はこの人、明日はこの人という感じで、どんどん減っていきました。そういう厳しい環境ではありましたね」
※柿澤勇人プロフィル
1987年10月12日生まれ。神奈川県出身。2007年、劇団四季の研究所に入所。同年、『ジーザス・クライスト=スーパースター』でデビュー。2009年、劇団四季を退団。退団後は、舞台『デスノート THE MUSICAL』、『メリー・ポピンズ』、『ジキル&ハイド』、『スクールオブロック』など多数出演。また、ドラマでも『真犯人フラグ』(日本テレビ系)、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(NHK)、『不適切にもほどがある!』(TBS系)などの話題作に出演。2024年には第31回読売演劇大賞優秀男優賞を受賞。2024年5月7日(火)からタイトルロールを務める舞台『ハムレット』(彩の国さいたま芸術劇場大ホール)が上演される。
◆劇団四季の研究生になり舞台デビュー
柿澤さんは、劇団四季のオーディションに合格したその年に『ジーザス・クライスト=スーパースター』でデビュー。2008年には『人間になりたがった猫』で初主演することに。
「劇団四季の演出家の浅利慶太先生は、急に『明日出ろ!』とか、『今からオーディションだ』とか言うんですよ(笑)。それで、どんどん抜てきして経験させて、伸ばしていくというような方でした。
『ジーザス〜』のときは、研究生の僕らの期から2枠だけあるのでオーディションに出ないかと言われて、2人のうちのひとりに入りました。
おもしろかったし、楽しかったし、うれしかった。そこから本当にトントン拍子にメインの役をもらったり、主役をやらせてもらったりと、結構無敵状態でしたね(笑)」
――立て続けに主演を務められてエリートですよね。
「エリートではないです(笑)。僕は入団したときは、本当に一番下手くそだったんです。だって、歌もやったことがない、ダンスもやったことがない、芝居もしたことがない…何もやっていなかった素人ですからね。周りにいる同期は、みんな音大卒だったり、バレエコンクール入賞!とか、子役をやっていたという人ばかりだったんです。
そんななかで半年後には舞台に立っていて、1年後には主役もやっちゃって…。一番勘違いをしていたときかもしれません。『あれ?もしかして俺には才能があるんじゃないの?』みたいに思っちゃって(笑)」
――念願だった『ライオンキング』のシンバ役もやられたのですね。
「はい。1日だけ出ました。『やってみろ!』と言われて出たら、『やめろ。ダメだ!』って言われておろされて、ショックでしたね。でも、その後『春のめざめ』という作品への出演が決まったんです。
ブロードウェイのカンパニーの方が演出家としていらしたのですが、これまでの作品づくりとは全然違っていて、それが劇団を退団する大きなきっかけにもなりました。『こんな役づくりの方法もあるんだ。向こう(海外)はこういう風にやっているんだ、劇団の外にはもっと違う世界があるのかもしれない』と思って退団することにしました」
――入ってすぐに主役にも抜てきされて、これからというときでしたが、不安はなかったですか。
「辞めるときはなかったんですよね。四季を辞めた後、休学していた大学に戻って、卒業するために必要な単位を全部取って、夏休みとか冬休みはニューヨークに行ったり、中国に行ったり、芝居の勉強にあてたりしていました」
大学在学中の2011年、映画『カイジ2 人生奪回ゲーム』(佐藤東弥監督)に出演。柿澤さんは、主人公(藤原竜也)と対立する組織が運営する裏カジノの支配人(伊勢谷友介)の部下・村上保役を演じた。
――初めての映画の撮影はいかがでした?
「映画のセットも初めて見ましたし、緊張でよく覚えていないんです(笑)。周りはすごい俳優の方ばかりで、何かずっとモジモジして終わった気がします」
――もっと映像の仕事をやろうという思いは?
「そのときは、全然思いませんでした。ただ、舞台とはまったく違うものなのだとわかりましたね。舞台しかやってこなかったから、とにかくセリフは明瞭にしゃべらなきゃいけないと思っていたのですが、めちゃくちゃ浮いていましたね(笑)。
でもそれは、誰も教えてくれないので、自分で見て勉強しなきゃいけない。もちろん『もっとこうだ、こうするほうが良いんだ』って教えてくれる監督さんもいますが、基本的には撮って、『はい、OK』という感じも多いんです。
ドラマの撮影は時間との勝負でもあるから、良かったらそれでOKなので、ある意味怖い、恐ろしいと思いました。自分でちゃんと見て、学んで、映画もいっぱい見て、何が自分にフィットするのかということを常に勉強しなきゃダメなんだなって思いました」
◆蜷川幸雄さんの舞台の稽古場は…
2012年、柿澤さんは蜷川幸雄さん演出の舞台『海辺のカフカ』に出演することに。
「蜷川幸雄さんとの出会いの作品。毎日『ダメだ、ダメだ!』と否定の繰り返し。それまではずっと、正確できれいな歌と踊りを届けて、物語をはっきりとした言葉で伝えることが第一だったのですが、蜷川さんに『世の中には汚いもの、イヤなものもある。それを鏡のように映すのが役者だ』と言われて…。とにかく毎日必死でしたね』
――蜷川さんの舞台では、稽古場で役が変わることもあったとか。
「そういうこともよくありました。だから、みんな自分が出ていないシーンも、『自分だったらこうする』って考えながら、真剣に見てるんですよ。
それで、蜷川さんが『ほかに誰かいないのか?』って言うと『自分にやらせてください!!』と言って、役が変わることもあるんです。稽古場はそれくらい勝負の場でした」
コンスタントに舞台や映画に出演されていた柿澤さんだったが、2016年6月、ミュージカル『ラディアント・ベイビー〜キース・へリングの生涯〜』でアキレス腱を断裂、入院することに。
「東京公演の千穐楽の前日に断裂。東京公演は“ケンケン”しながら何とかやり終えたのですが、地方公演は上演できませんでした。手術やリハビリは本当に大変だったので、以降それまで以上にからだのケアをするようになりました」
柿澤さんは、その後も『フランケンシュタイン』、『メリー・ポピンズ』、『愛と哀しみのシャーロック・ホームズ』など次々と話題作に出演。次回は三谷幸喜さんとの出会いも紹介。(津島令子)
ヘアメイク:大和田一美
スタイリスト:ゴウダアツコ