勝利の瞬間、ラケットがふわりと宙を舞い、誕生したばかりの若き王者は、両手を天に突き上げ咆哮を挙げた。

「Star on a rise!(急上昇のスター!)」

 呼び上げの声に乗りトロフィーを手渡されると、再び叫び、トロフィーを幾度も振りかざす。弾ける笑みと、その姿が、このタイトルがいかに彼にとって大きいのか、どれほどに望んでいたかを物語る。

 それは17歳の小田凱人(ときと)にとって、通算3度目のグランドスラム優勝にして、初めての全豪オープンでの戴冠だった。


全豪オープンを制して喜びを爆発させる小田凱人 photo by AFLO

 昨年6月の全仏オープンを17歳1カ月で制し、史上最年少優勝とともに世界1位にまで上り詰めた小田にしてみれば、グランドスラムのタイトルも、どこか「取って当然」の思いがあるかのようにも思われた。

 決勝に勝ち上がるプレーやスコアも、はやくも王者の威厳をまとう。ボールを打ちぬくインパクト音と球威が抜きん出ていることは、誰の目や耳にも明白だ。

 決勝進出を決めた時も、「負ける気がしない」と明言した。実際に決勝戦のスコアも6-2、6-4の完勝。

 ただ、勝利時の歓喜の表出を見たあとで思うのは、一連の強気の発言も落ち着き払った佇(たたず)まいも、タイトルへの並々ならぬ渇望の表れだったかもしれない。

 溢れる喜びの内訳を、彼は優勝後の会見で、丁寧に解き明かした。

「優勝の達成感もあるし、やりたいプレーをして勝てたっていうのもある。スコアもそうだし、ボレーでポイントを決めたり、目指してきたテニスが徐々に形になってきた。

 そのタイミングで、アルフィー選手にああいう形で勝てた。彼だからこそうれしかったのもあるし、この場だったからというのもあるし、また1位になったといううれしさもあって......。全仏オープンで初めて1位がかかった試合と同じようなフィーリングでした」

 彼があらためてその存在の大きさに言及したのは、「彼だったから」と言った決勝戦の対戦相手──アルフィー・ヒューエット。26歳の英国ナンバー1は小田にとって、国枝慎吾氏に次ぐかつての英雄的存在だった。

【13歳の初対面「俺、ヒューエットと打って来たぜ」】

「あなたを初めて見たのは、僕がまだ13歳の時だった」

 全豪オープンの優勝セレモニーで、トロフィーを抱えた小田は、ヒューエットに顔を向けて続けた。

「あなたはすでに世界のトップ。僕が練習していたその横で、あなたはボールを打っていた。英語ができなかった僕の代わりに、日本の選手が声をかけてくれて、一緒に練習もさせてもらった。あなたのようなバックハンドが打ちたいと思い、僕は練習してきた」

 小田がヒューエットと初めて出会ったその大会とは、福岡県飯塚市で開催されている飯塚国際車いすテニス大会(JAPAN OPEN)。40年近くの歴史を誇り、「天皇・皇后杯」の名も冠する男女共催の国際大会だ。

 そのジュニア部門に参加した時、小田は世界中のスターたちを間近に見た。国枝慎吾、ステファン・ウデ(フランス)、20歳で世界1位に上り詰めたヒューエットも、それら綺羅星のひとり。

「初めて会った時の興奮だったりワクワク感は、今でも思い出すとうれしかったりする」

 コート上の王者の面差しとはまた異なる、無邪気な少年らしい笑みを浮かべて彼が言った。

 練習コートのとなりでボールを打つヒューエットのインパクト音を耳にし、ウズウズしていた小田の心身の高ぶりを、おそらくは一緒に練習していた三木拓也は察したのだろう。その三木の声がけにより、小田はヒューエットとボールを打つ。

「もう、それが本当にうれしくて。会場に来ていた友人に『俺、ちょっとヒューエットと打って来たぜ』と言ったり、そんな感じで」

 恥ずかしさとうれしさが混じる笑みを顔中に広げて、小田はその日の出来事を回想した。

 何かに駆り立てられるように、世界の舞台を、そしてトップを目指す小田に「なぜ、そこまで急ぐのか?」と尋ねたことがある。その時の彼は、きっぱりと明言した。

「僕が車いすテニスを見た時のトップ選手たちと、同じ舞台に早く立って戦いたいと思っていた。年長者の選手も多かったなかで、早く強くならなければ、間に合わないかもと思っているから」

【1年前の決勝で敗れた悔しさを晴らす勝利】

 その渇望の中心に、おそらくはこの時の飯塚での興奮がある。そしてあの日の飯塚を思い出す時、当時の若きスターの姿も小田は思い浮かべていたのだろう。特に「最年少世界1位」の目標を目指すうえで、ヒューエットの存在は大きかった。

 小田がプロ転向する前の15歳の時点で、彼はサポートスタッフたちとともに、未来のタイムラインを描いている。そこには「19歳で世界1位になり、20歳1カ月のヒューエットの記録を更新する」と明記されていた。

 飯塚での邂逅(かいこう)から、約5年──。全豪オープン決勝での小田は、成長した自分の姿を見せるように、左腕を振り抜き、ボールを打った。

 バックハンドの強打は、世界最高と謳われたヒューエットのそれを上回るほど。左右に打ち分け、押し込み、ネットに出てボレーも決める超攻撃的テニスで、掴み取ったタイトル。それは1年前の全豪オープン決勝で敗れた、悔しさを晴らす勝利でもあった。

 あまりの強さと成熟した言動の数々に忘れてしまいそうになるが、彼はまだ17歳でもある。少年の日の瑞々しい興奮と憧れをほとばしらせて手にしたタイトル──それは小田のキャリアにとって、忘れ得ぬ日でもあったはずだ。