1990年代前半のWRC(世界ラリー選手権)で圧倒的な存在感を見せたデルタHFインテグラーレ(写真:Stellantis)

人はどのようにクルマが欲しくなるのか。それをブランディングというなら、昔から今にいたるまで有効な手段は、モータースポーツだ。

1990年代を代表する一台が、イタリア・ランチアの「デルタHFインテグラーレ」。実にすてきなクルマだった。

日本だと短く「インテグラーレ」(ホンダのインテグラじゃないですよ)とファンが呼ぶことも多いこのクルマ、ラリーでの大活躍もあり、一部の自動車好きの間では、今も人気が高い。

20〜30年以上経った今でも語り継がれるクルマが、続々と自動車メーカーから投入された1990年代。その頃の熱気をつくったクルマたちがそれぞれ生まれた歴史や今に何を残したかの意味を「東洋経済オンライン自動車最前線」の書き手たちが連ねていく。

古くはホンダS500、今ならGRヤリス

レースやラリーでの好成績をクルマの評価(と販売)に結びつけるのは、自動車界の定石だ。

最近の日本でいうと「GRヤリス」。ハイブリッドのラリーマシン「Rally1」は、2023年のWRCにおいて、マニュファクチャラーとドライバー、2つの選手権をトヨタ・ガズーレーシング・ワールドラリーチームにもたらした。


ヤリスをベースにターボ+4WDで武装したGRヤリス(写真:トヨタ自動車)

1960年代から2020年代にいたるまで、人気が衰えないクルマを見ると、モータースポーツとの結びつきが強いものが多い。日本車だと古いところでは、ホンダ「S500」(1963年)、同「S600」「S800」、日産「スカイラインGT」(1964年)とのちの「GT-R」(1969年)、トヨタ「カローラレビン」と「スピリンタートレノ」(1983年)。

三菱「パジェロ」(1982年)やスバル「インプレッサ」(1992年)の人気も、ラリーでのすぐれた成績と関係している。

海外だと(戦前はおいといて)、ドイツではポルシェ「356」(1948年)を筆頭に、メルセデス・ベンツ「SL300」(1954年)、ポルシェ「911」(1964年)、BMW「2002」(1966年)、フォルクスワーゲン「ゴルフGTI」(1975年)、アウディ「クワトロ」(1980年)など、多くのモデルが思いつく。


アウディ クワトロはラリーシーンに4WDという概念を持ち込み圧倒的な速さを見せた(写真:AUDI)

BMW「3シリーズ」など、1980年代に始まったドイツツーリングカー選手権で好成績を残したモデルの人気も衰えていない。

英国では、「MGA」(1955年)と「MGB」(1962年)、「ミニ・クーパー」(1961年)、それに英国フォードの「コーティナ・ロータス」(1963年)などがあるうえ、ジャガーやアストンマーティン、ロータスは、ルマン24時間レースやF1グランプリなどの活躍ぶりで高い、ブランドイメージを獲得した。

ラリーで活躍したフランスのルノー「アルピーヌA110」(1963年)やルノー「8ゴルディーニ」(1964年)も根強い人気を誇る。今ではデザインアイコンのようになっているシトロエン「DS」(1955年)だって、1959年のモンテカルロラリー優勝という経歴を持つ。

プジョー「205GTI」(1983年)が高い人気を集めたのも、WRCやパリ・ダカールラリーでの活躍が影響している。


日本でもラテン系ホットハッチとして人気を獲得したプジョー205GTI(写真:Stellantis)

イタリアではフェラーリ、フィアット、フィアット・アバルト、ランチア、アルファロメオを筆頭に、多くのキラ星のごときブランドが、レースやラリーで活躍したモデルを手がけてきた。

イタリアには、一般の人もこうしたクルマを買って、クラブレースなどを楽しむ文化もある。

ランチアも数々の名車を生み出してきた

今回の主題であるランチアといえば、まず思いつくのが「アウレリアB20GT」(1950年)。


アウレリアB20GTは世界初のV型6気筒エンジン搭載車としても知られる(写真:Stellantis)

1950年代にミッレミリア、タルガフローリオ、カレラ・パナメリカーナ・メヒコといった数々の公道レースでポルシェやメルセデス・ベンツを向こうに回し、すばらしい結果を残したモデルだ。今でもクラシックカーとしての人気は、ものすごく高い。

そんなランチアのブランドイメージをうまく生かしたのが「デルタHF」であり、「デルタHFインテグラーレ」だ。


2.0リッターターボに4WDを組み合わせた、デルタHFインテグラーレ(写真:Stellantis)

親会社のフィアットは、先だって1971年にフィアット・アバルト「124ラリー」、1976年に「131アバルトラリー」といったラリーカーを開発したが、124は2座スポーツカーだし、131はモータースポーツイメージとかけ離れたセダンだった。成長する(当時の)若者市場にアピールするならハッチバック、と考えても不思議ではない。

そこで焦点が当てられたのが、フォルクスワーゲン「ゴルフ」の対抗馬として開発され、1979年に発売されたハッチバック、ランチア「デルタ」。


オーバーフェンダーなどがつかない素のデルタ(写真:Stellantis)

全長3885mmの4ドアハッチバックボディを、2475mmのホイールベースをもつシャシーに載せたコンパクトモデルだ。私は1.6リッターエンジンの標準モデルに乗ったことがあるが、すばらしいコーナリング性能を発揮してくれるクルマだったことを鮮明に覚えている。

ゴルフGTIにならって高性能化

ホットハッチなどと呼ばれる高性能ハッチバックの人気はヨーロッパではずっと高く、ランチアでもゴルフGTIが開拓した市場に向けて、デルタを高性能化した「HF」や「HFターボ」を追加。さらに、「デルタHF 4WD」を開発してWRCを走らせた。


ラリー仕様のデルタHFインテグラーレ、フルビア、ストラトス、ラリー037とともに(写真:Stellantis)

ランチアは1960年代からラリー活動に熱心で、「フルビアクーペHF」(1965年)をはじめ、「ストラトスHF」(1973年)や「ラリー037」(1982年)で好成績をおさめてきた。

車名に出てくる「HF」は、オーディオファンならおなじみ「ハイフィデリティ(ハイファイ)」の意。オーディオの世界では高忠実度などと言われるが、ランチアではドライバーの意のままに忠実に走る(高レスポンス)マシンとして、モータースポーツでも使える高性能車を意味している。

インテグラーレHFの登場は、1987年。開発の目的は、ずばりWRCでの優勝を狙うこと。1986年に実戦投入され、1987年にマニュファクチャラーとドライバー、2つの選手権を獲得したデルタHF 4WDをさらに高性能化したモデルだった。


WRCでのデルタHFインテグラーレはマルティ二カラーも特徴的だった(写真:Stellantis)

はたして、デルタHF 4WDと、1988年からのデルタHFインテグラーレは、世界ラリー選手権(WRC)において、1987年から1989年まで3回のドライバー選手権、1987年から1992年まで連続して6回のマニュファクチャラー選手権とドライバー選手権を獲得したのである。

進化を重ね「エボルツィオーネ2」へ

1987年に一般向けに発売されたデルタHFインテグラーレ。1986年には「デルタHFインテグラーレ16V」、1991年には「デルタHFインテグラーレ16Vエボルツィオーネ」、1993年には「デルタHFインテグラーレ16Vエボルツィオーネ2」へと“進化”していった。


エボルツィオーネ世代になるとオーバーフェンダーはさらに拡幅され迫力が増す(写真:Stellantis)

いずれも、中古市場での人気は今も非常に高い。深いエアダム、ブリスターフェンダー、リアスポイラー、大径ホイール、それにラリーテイストむんむんのインテリア……と、パーパスビルトな雰囲気は、ほかに代えがたいものがあるからだろう。

「このクルマはホモロゲーション(ラリー出走資格)モデルなので、3万キロもてばよい」。かつてランチアの技術者は、HFインテグラーレのビルトクオリティについて、そう語っていた。


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「3万キロ」を超えても高い人気を維持し続けるデルタHFインテグラーレ。ランチアというブランドはこのところ風前の灯火だったが、スポーティなBEV(バッテリー駆動EV)ブランドとしてのリバイバルが画策されている模様で、さきごろ新型「イプシロン」が発表された。

モータースポーツでの勝利を目指しての投資は、当時かなり高くついたんじゃないかと思うけれど、このように見返りもまた大きかったというべきだろう。ここが、自動車メーカーがモータースポーツ活動に熱心な理由なのだ。

(小川 フミオ : モータージャーナリスト)