日本刀に見立て、抜刀するように振りかざすラケットは、単複合計で9度、メルボルンの空を指した──。

 その最後の"勝利のパフォーマンス"は、大会14日目、センターコート「ロッドレーバーアリーナ」で誇らしげに披露される。

 17歳の坂本怜が、男子ジュニア部門シングルスで全豪オープンジュニアの頂点に立った。


全豪オープンジュニアを制した17歳の坂本怜 photo by AFLO

 盛田正明テニスファンドのサポートを得て、190cm越えの"大器"が希望を胸に海を渡ったのは、わずか15歳の時。先行きの不透明なコロナ禍のなか、トライアウトの数カ月後に猛スピードで決まった渡米だった。

 ただ、慌ただしさはありながらも、本人に迷いはない。

「行けたら最高だと思っていた。錦織(圭)選手、西岡(良仁)選手ら、いろんな人がIMGアカデミーから出ている。僕もその環境に行けたら最高だなって、12、13歳くらいの時から思っていました」

 穏やかな語り口にも熱を灯し、坂本がそう言ったのは、渡米から半年後の夏。ラケットを初めて手にした6歳の日に「ラケットが自分に語りかけてきた」と言うほど、テニスと運命の出会いを果たした少年は、真っすぐに世界の頂点を目指した。

 17歳になった現在195cmに至った身長は、同世代のなかで「常にずっと大きかった」という。ただ、テニスの戦績ということでは、決して子どもの頃から抜きん出ていたわけではない。

 初の全国タイトルを手にしたのは、中学3年時の中学生テニス選手権。なお、この時の決勝で対戦したのは、同じ地元・名古屋の「チェリーテニスクラブ」に籍を置く同期の富田悠太だった。この最も身近で華やかなプレースタイルのライバルに、坂本はやや隠れた存在だったかもしれない。地元の関係者たちも「富田のほうが目立っていた」と当時を回想する。

 それでも坂本は、大きな夢を追い続けた。

【錦織圭が「嫌だな」と認めた高身長からの攻め】

 その原点にあるのは、子どもの頃にテレビで見た、錦織圭や大坂なおみの衝撃だったという。

「僕は小さい頃、錦織選手をテレビで見て『すっげー』と感動して夢をもらって、希望をもらった。そのことは今でも覚えている」

 その衝撃こそが、長身の少年をアメリカに向かわせた原動力だった。

 果たしてIMGアカデミーに渡った坂本は、錦織と出会い、言葉を交わし、ボールを打ちかわす機会も得る。実際に接する憧れの人は、坂本を「れいちゃん」と呼ぶほどに気さくで優しく、身近な存在となった。ただ、ボールを打ち合えば、そこはやはり、世界4位に達しトップ10に居続けた偉大な選手だ。

「もっと攻められるボールがあったほうがいいと思う。これくらいの背の選手が相手なら、攻めてこられたら、僕は嫌だな」

 錦織に言われたその言葉は、深く心に刻まれた。

 ただ同時に、粘り強さや、ドロップショットなどの技が使えることも、自分の持ち味との自負もある。

「僕のプレースタイルは、サーブがあって、でも意外とシコい。シコさが、坂本怜のいやらしいところで」

 自身をそう評したのも1年半ほど前のこと。「シコい」とは俗語的なテニス用語で「ミスが少なく、粘り強い」のような意。攻めるべきだという理想像と、今まで築き上げてきたテニスとのせめぎ合いが、坂本の成長のプロセスだったのかもしれない。

 その相剋(そうこく)が噛み合い、プレースタイルが革新的に変わったのは、昨年の秋。兵庫、横浜、そして四日市と3週連続で開催されたATPチャレンジャー(ATPツアーの下部大会)に主催者推薦枠を得て出場した時だった。

 大会を重ねるたびに、長身の若者のしなやかな体と心に経験が注ぎ込まれ、器が急速に満たされていく。その事実は戦績を見ても明らかで、1大会目は予選の初戦敗退ながら、3大会目では世界111位の選手に勝利。本人が「刺激をもらった。自信もついた」と語り、IMGのコーチも「あそこから意識が急激に変わった」と目する、大きなターニングポイントだった。

【錦織選手にもらった刺激を僕も伝えたい】

 今回の全豪オープンジュニアで、坂本は体得した新たなプレースタイルを、グランドスラムのコートに雄大に描いていく。

 サーブは、時速211キロを記録。フォアハンドを振り抜くと、ボールは破裂音を轟かせ、コートに刺さる。その攻撃力に従来の「シコさ」も加え、攻守表裏のラリーも披露。たとえセットを落としても、今の彼には「自分のプレーをすれば勝てるという自信」がある。

 決勝戦の逆転劇は、そんな今の彼の集大成だ。第2セット以降は相手にブレークを許さず、相手に重圧をかけ続ける。心身ともに相手を組み伏せるかのような、力強い勝利を掴み取った。

 優勝後にも披露した『侍ポーズ』は、「半年ほど前から始めた」と本人は取材等で答えている。ただ、それ以前からも『スーパーヒーローポーズ』など、勝利のパフォーマンスは恒例だった。

 目立ちたがり屋で、冗談好き──。「写真を撮らせて」とお願いすれば「はい!」と爽やかに応じつつ、シャッターを押す直前に"変顔"をするなど、いたずらもお手のものだ。

 ただ、それらひょうきんな振る舞いも、人から見られること、支えられていることを、強く自覚しているがゆえのファンサービス。真面目で繊細な内面の、裏返しでもあるだろう。

 だからこそ全豪オープン優勝後、複数のテレビカメラが向けられるウイナーズスピーチで、坂本は日本語で真っすぐにこう言った。

「2024年のお正月に、日本で大きな地震がありました。今も苦しい思いをされている方もいると思います。僕がスポーツ選手としてできることは、少しでも明るい話題を届けること。なので今日、勝つことができて、とてもよかったです」

 以前に「錦織に憧れた」という自身の原点について話してくれた時、彼はこうも言っていた。

「錦織選手にもらった刺激を、僕も日本のジュニアや、いろんな人に伝えたい。自分がもらったように、夢や希望を発信できる選手になりたいです」

 全豪オープンジュニアの優勝は、そんな理想像のひとつの体現でもあるだろう。ただ彼は、グランドスラムジュニアの優勝は「夢ではない」と明言した。

 夢はもっと、大きく、遠く──。

 メルボルンのセンターコートで掲げたラケットは、その目指す先を真っすぐに指す。