谷口彰悟が受けた衝撃の事実「ボールの受け方、タイミング、質...全然、できていないよ」筑波大で風間八宏監督に教わったこと
【連載】
谷口彰悟「30歳を過ぎた僕が今、伝えたいこと」<第15回>
◆【連載・谷口彰悟】第1回から読む>>
◆第14回>>プロの誘いを断り、筑波大に進学した理由
川崎フロンターレからのオファーを断った谷口彰悟は、2010年の春に熊本・大津高を卒業したあと、大学サッカーの名門・筑波大へと進学した。そこで、運命の出会いを果たす。
風間八宏──。のちに川崎フロンターレや名古屋グランパスで手腕を発揮する知将は、その当時はまだ大学サッカー界で独自のサッカースタイルを追求していた。
筑波大でサッカーの基礎をイチから鍛え直したことが、谷口のプロ生活にどんな影響を及ぼしたのか。風間監督から学んだことを振り返ってもらった。
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筑波大時代の若き谷口彰悟 photo by 筑波大学
衝撃だった。
今まで、自分が当たり前のようにできていると思っていたことが、まったくできていなかったことに──。
サッカー選手としての自分に自信をつけようと、筑波大学に進学した2010年。サッカー部の監督を務めていたのが、風間八宏(現・南葛SC監督)さんだった。
風間さんからは、大学時代の約2年間だけでなく、川崎フロンターレに加入した2014年からも3年間、監督として指導を受けた。先輩である中村憲剛さんも風間さんに出会って、さらに技術が向上したと語っているように、僕自身も大学に入り、すぐに自覚させられたのが、技術の未熟さだった。
風間さんにはまず、ボール(パス)を受ける際の受け方、ボール(パス)を出す際のタイミング、そしてボール(パス)の質について指摘された。
「できていると思っているかもしれないけど、全然、できていないよ」
サッカーをやってきた人間ならば、当たり前のようにできると思っていたプレーが、できていない現実を突きつけられた。
大学1年生だった当時、特に細かく言われたのは、チームメイトからパスを受けるタイミングと、さらに相手のマークを外すタイミング、味方と相手の動きを見逃さないことだった。
フロンターレの監督時代も、「目をそろえる」「目を合わせる」といった表現をよく用いていたが、大学生を相手にも指導の基準は変わらなかった。
「この状況では、チームメイトはマークにつかれているわけではない」
「この場面では、味方はフリーの状態だから、パスを出せる」
パスの出し手である自分が周囲を見渡し、チームメイトにマークがついていると判断してボールを下げようとしても、風間さんからして見たら、その選手はフリーという認識になるため、前にパスを出せる状況にあると教わった。
また、自分がパスの受け手となる場合は、相手のマークを外す瞬間についても細かく指導を受けた。いつマークを外すのか、いつパスを受けるのかといった"タイミング"については事あるごとに説明を受け、練習を繰り返した。
それまで、フリーの状況や場面、タイミングについては、当たり前にできていると思っていただけで、実際、細かく教わる機会もなければ、概念について深く考える機会もなかった。それを大学1年生になり、あらためて知り、学び、考える機会は、自分自身のサッカー観に大きな影響を及ぼした。
すでに風間さんの指導を受けている2〜4年生はイメージが共有されているため、1年生である自分たちは、同じ感覚でプレーできるようになるまで練習した。
1年生にして、関東大学1部リーグの開幕戦から先発に起用してもらったが、風間さんが「優勝を目指せ」や「タイトルを獲ろう」といった目標をはっきりと口にすることはなかった。
練習試合の多くがJリーグのチームとの対戦ばかりで、風間さん自身が僕らに提示するのも「バイエルンにどうやって勝つか」「バルセロナをどうやって倒すか」といった海外のクラブを意識させるものばかりだった。リーグ優勝する、しないではなく、いかに自分たちの武器を身につけるか、個性を伸ばすかに着目してくれていたように思う。
当然その過程には、次のリーグ戦にどうやって勝利するかという戦い方も含まれていたが、目線は常に僕らの卒業したあとや、さらに先の未来を見据えていた。
あらためて基礎的な練習をイチから行なうことに、大学生にもなれば反発しそうに思うかもしれない。しかし実際は、微塵も抵抗はなかった。
なぜなら、その基礎的なものが、まったく自分はできていなかったことに気づかされたからだ。できているのであれば、反発や抵抗もあっただろう。だが、指摘されて意識してみると、まったくボールは止まっていないし、パスを出す機会を見逃しているし、さらにパスを受けるタイミングもずれていた。
できないことを実感するため、反発するどころか認めざるを得ず、素直にやらなければいけないという思いや意欲が湧いた。
大学生になり、ボールを止めて蹴るといった基礎に再び取り組んだことで、自分自身がうまくなったのかどうかは定かではない。しかし、明らかにプレー中の引き出しや選択肢が増えていった感覚はあった。
自分の右足と、相手の体がこの距離ならば、パスは受けられる。このタイミングで味方が降りてくれば、相手との距離はこのくらい広がるからパスを通せる。今までは無意識だったものを意識化することによって、できることが増えたのだ。
だから、対戦相手からしたらパスを通されないと思っていても、僕らにとってはパスを通せる距離のため、試合中も平然と狙っていった。まさにフリーの定義の概念が、自分たちと相手ではまったく違うことを感じる瞬間だった。
川崎フロンターレや現在所属するアル・ラーヤンSC、そして日本代表でも、センターバックとしてプレーする自分の武器のひとつになっているパスやビルドアップの技術や考え方、それに伴う自信は、風間さんの指導のおかげだと思っている。間違いなく基礎技術は、できないよりはできたほうがいいし、低いよりは高いほうがいいだろう。
一方で、30歳前後になってからあらためて感じていたのは、うまくなることにフォーカスしすぎていた自分がいた、という事実だった。
たとえば、自分の内から湧き出てくるようなプレーへのイマジネーションやアイデア、チャレンジ精神など、失っていったというと語弊があるかもしれないが、自分自身が見落としてしまっていたものがあることに気がついた。
誤解を恐れずに言うのであれば、高校生の時は純粋にサッカーを楽しんでいた。もちろん、大学生の時も、フロンターレに加入したばかりの頃も、サッカーを楽しんでいたが、意識は常に正確性、すなわち技術ばかりにフォーカスしてしまっていた自分がいた。
今ではその正確性が自分の特徴のひとつにまで昇華しているが、高校生までの自分を思い出すと、もっと別の個性を持ち合わせていたし、それを持ち続けることも大事だったのではないかと思う。
また、そのことに気づいたから、賢くプレーするだけでなく、時には激しく、時には熱くといった、戦う姿勢に目を向け、再び自分自身の壁を打ち破ることができたとも思っている。
サッカーはうまければ勝てるスポーツではないし、うまいほうが勝つスポーツでもない。試合に勝利するためには、技術、体力、気力......さまざまな力が必要になる。
2017年にフロンターレで初めてJ1リーグのタイトルを獲り、2020年と2021年にキャプテンとしてもリーグ連覇を達成して、技術だけにとどまらない個性や力の大切さを再認識した。
◆第16回につづく>>
【profile】
谷口彰悟(たにぐち・しょうご)
1991年7月15日生まれ、熊本県熊本市出身。大津高→筑波大を経て2014年に川崎フロンターレに正式入団。高い守備能力でスタメンを奪取し、4度のリーグ優勝に貢献する。Jリーグベストイレブンにも4度選出。2015年6月のイラク戦で日本代表デビュー。カタールW杯スペイン戦では日本代表選手・最年長31歳139日でW杯初出場を果たす。2022年末、カタールのアル・ラーヤンSCに完全移籍。ポジション=DF。身長183cm、体重75kg。