アジアカップが開幕してすぐ、世界はこれまでになくアジアカップに注目しているという記事を書いた(『「三笘薫の足首が心配でたまらない」 開幕アジアカップに世界がかつてない熱視線』)。

 レアル・ソシエダの久保建英やトッテナムのソン・フンミンなど、自分のチームのスター選手が出場(奪われる、という意味も大きかったが)するということもあるが、なによりもアジアカップに対する純粋な期待感があった。1年前のカタールW杯で、日本や韓国、サウジアラビアが見せた活躍は世界に強烈なインパクトを与え、アジアサッカーへの興味をかきたてた。サッカーの新たな宝の山がそこにあると人々は感じ、どんなチームが出るのか、どんな選手がいるのかと、ヨーロッパや南米など非アジア国でも、大会前はいろいろな話題で盛り上がっていた。

 しかし、グループリーグが終わった現在、大会への興味は急速に失われつつある。


決勝トーナメントを前に調整中の日本代表選手たち photo by Kyodo news

 その理由は単純明快。とにかく「つまらない」のだ。サッカー好きを「わお!」と言わせる試合はほとんどない。グループリーグの全36試合のなかで、見るに値する試合はどれほどあっただろうか。

 楽しみにしていたカタールW杯活躍組も、いいパフォーマンスは見られない。韓国はもう少しでグループ3位になるところだったし、日本もイラクのようなチームに敗れてトップ通過を逃し、サウジアラビアの試合も見ごたえのあるものではなかった。また、これまで目にしたことのないタジキスタンやインド、レバノンといった新興国のサッカー、未知なるチームを見ることができるのにもワクワクしていたのだが、それも期待するほどのものではなかった。初めてアジアカップを放送することにした各国のテレビ局やストリーミング配信も視聴率をとれず、大いに落胆している。

 また、試合だけでなく、その雰囲気に魅力が感じられない。スタンドはいつも空席が目立ち、情熱は感じられない。テレビカメラは一部に固まったサポーターたちを抜くが、試合を見ていればスタジアムがガラガラなのは一目瞭然だ。新興アジアの熱さを期待していた人々はこれにも肩透かしをくらった。

【報道の量がどんどん減っている】

 開幕戦こそ8万2000人の観客が入ったものの、その後は、開催国カタールの試合でさえその半数以下に。巨大なスタジアムがより、もの悲しさを醸し出す。中国対タジキスタンの試合などは4000人しか入らなかった。そこにサッカーの祭典という空気はない。

 もうひとつ、アジアカップへの興味減退に拍車をかけているのが、同時期に開催されているアフリカネーションズカップの存在だ。ヨーロッパでプレーするのはアジア人選手よりもアフリカ人選手のほうがはるかに多いし、すでに世界でこの大会が周知されて何年も経っていることもあるが、なによりアジアカップよりも試合が格段に面白いのだ。強く、アグレッシブで有名選手も多い。新しいもの見たさでアジアカップを観戦していた人々も、数試合見た後はアフリカネーションズカップに戻ってきている印象だ。観客の数はアジアカップと大して変わらないかもしれないが、小さな会場(ほとんどが2万人収容程度)でやっているので、その少なさは感じられない。

 大会前はアジアカップへの興味のほうが、アフリカネーションズカップのそれを凌駕していたが、今は完全に逆転されている。

 これは開催を同じ時期に持ってきたオーガナイザーの過ちでもあると思う。この時期に開催するのは開催地の気候への配慮であるとは思うが、バッティングしないよう多少でもずらせなかったのか。それに気候を気にするなら、なぜ午後2時半(現地時間)から気温36度のなかで試合をするのか。疑問が残る。

 世界で報じられるアジアカップ関連のニュースもどんどん減っている。ここ5日間ほどのヨーロッパと南米の主なスポーツ紙やサイトをチェックしたが、アジアカップの記事があったのは、イタリアのサイトにサウジアラビア代表監督を務めているロベルト・マンチーニの話題が載っていたぐらいだろうか。あとはほぼ結果のみ。それもロイターやAPなど通信社が流すものがほとんどだから、"終わっている"。

 ベスト16にタジキスタン、ヨルダン、インドネシア、パレスチナが入ったのは驚きだが、それだけだ。バルサの危機、スペインで起きた人種差別、ユルゲン・クロップ(リバプール)の退陣など、欧州のサッカー界で次々と起こる事件や移籍関連のニュースにかき消されてしまった。今、アジアカップを思い出すのは、自分のチームのエースが大会に出場しているサポーターだけだろう。「早く帰ってこないかな」と。

 アジアカップの雰囲気は、決勝トーナメントに入れば変わるかもしれない。これからは手に汗を握る試合が続くかもしれない。熱いアジアのサッカーが味わえるかもしれない。だが、世界の人々はすでに背を向けてしまった。その関心を取り戻すのは、大会前に関心を持たせるのよりもずっと難しい。

 世界にアジアのサッカーを知らしめる歴史的な大会になったかもしれないのに、残念なことである。