インドネシアは予想どおり強くなかった。ベトナムと同等かそれ以下だった。3−1という結果を無邪気に喜ぶことはできない。ヨルダンあるいは韓国との対戦が予想されるアジアカップ決勝トーナメント1回戦以降に向け、視界が明るく開けたわけではまったくない。

 土壺(どつぼ)から抜け出せずにいると言うべきだろうか。ロスタイムに浴びた失点はロングスローからの、いわゆるセットプレーからの被弾だ。ベトナム戦でもセットプレーから2ゴールを許したことを考えると、もはやアンラッキーのひと言で片づけることはできない。学習効果が発揮されないその背景に、チームを蝕むよくない"気"の存在を思わずにいられない。イラク戦の敗戦にあらためて必然性を覚える、このインドネシア戦だった。

「敗因は攻めあぐみにあり」と、筆者はイラク戦後に述べた。前の4人の組み合わせとポジション設定が悪すぎると指摘した。中でも南野拓実を左ウイングで先発させた森保采配に疑問を覚えたが、この日は南野に代わり中村敬斗が左ウイングとして先発に復帰。後半7分、右ウイングから瞬間、左に回った堂安律が蹴り込んだマイナスの折り返しを中村はお膳立てした。上田綺世が決めた2点目の、ふたつ前のプレーに関わっていた。

 前半の日本は、開始早々PKで挙げた1点のみ。過去2戦同様、攻めあぐんでいた。この得点はそうした意味で重かった。日本の勝利は2点目の上田のこのゴールで確定した。中村の起用が奏功したシーンでもある。日本はウイングらしいウイングの活躍に救われた。


上田綺世が2点目を決めた時点で日本の勝利はほぼ確定したが... photo by Kyodo news

 ポジションに適した選手を配置する重要性を再認識したシーンと言い換えることもできる。

 後半43分に挙げた3点目も、右ウイングに堂安と交代で入った伊東純也のウイングプレーに起因した。その折り返しを上田がトラップ&シュート。それが相手の足に当たりゴールに飛び込んだ。

 左右のウイングプレーに日本は救われたわけだ。

 日本の布陣は4−2−3−1と4−3−3の中間型。旗手怜央を守備的MFと捉えるか、左のインサイドハーフと捉えるかによって変わる。それよりやや高い位置で構えた久保建英は、つまり4−2−3−1なら1トップ下、4−3−3なら右のインサイドハーフになる。

【確かに久保は中心選手だが...】

 久保は例によって左にも右にも流れた。自軍深くにまで下がりボールを受けた。ポジションにこだわらない流動的な動きとはこのことである。久保にはつまり、誰よりも自由が与えられていた。

 だが、この日の久保を10点満点で採点するならば、平均値である6程度に留まる。活躍したとは言えない。イラク戦もそんな感じだった。4−2−3−1の1トップ下として、あっちこっちに顔を出したが6点に届くか届かないかの、どちらかと言えば苦戦の元となるような精彩に欠けるプレーだった。

 レアル・マドリードの関係者が見たらさぞ落胆するに違いない。買い戻したくなる気持ちは失せるだろう。

 ここに来て、巷では「アジアのレベルは甘くない」などとする論調が目立つ。相手を持ち上げることで心を鎮め、自らの気持ちを整理しようとする人が増加中だ。しかしベトナム、イラク、インドネシアは、チャンピオンズリーグあるいはスペインリーグで戦う相手に比べれば明らかに劣る。

 これは厳然たる事実である。アジアカップでまさに格下を相手に四苦八苦する久保について、どう説明すればいいのか。その言及の甘さ、対処策、改善策が見えないところに日本の不調の原因を見て取ることができる。

 久保は確かに日本の中心選手である。三笘薫と二枚看板を張るスター選手だ。しかしそのことと、ポジション的に見た場合の「中心」とは別次元の話になる。

 三笘と比較すれば明らかだ。三笘は左ウイングでしかプレーしない。ブライトンのロベルト・デ・ゼルビ監督は1度、右で試したことがあったが、それっきりだ。左ウイングのスペシャリストとして三笘を使っている。その一方で、三笘をパスカル・グロス(ドイツ代表)らとともに外せないチームの中心選手だと述べている。

 真ん中でプレーしていないのに中心選手。この三笘に対する概念が、日本代表の久保には働いていない。

 レアル・ソシエダで久保はもっぱら右ウイングを務める。これまでトップ下、左ウイングもこなしたが、右に定着すると、停滞気味だった力はめきめきと向上。レアル・ソシエダの「中心」選手になった。

【中央の高い位置でボールが収まらない】

 だが森保ジャパンでは、まさにピッチの中心で自由奔放に、少年サッカーチームのエースのようにプレーする。だが採点すればせいぜい6。中心でプレーしながら中心選手に相応しい活躍ができずにいる。看板倒れに終わっている。

 三笘がピッチの中心でプレーすれば同様な問題が発生する。それは森保一監督にも見えているだろう。だが、久保はそうではないと見ているようだ。何でもできる選手として扱っている。

 左利きながら、左、右、真ん中とポジションを苦にせずプレーできる選手、適性エリアが広いオールラウンダーと言えば、アントワーヌ・グリーズマンを想起する。アトレティコ・マドリード及びフランス代表で、文字どおり中心選手としてプレーしているが、久保には少なくとも今のところ、グリーズマン的な要素は備わっていない。

 久保のポジション的な最適解である右ウイングには1番手として伊東、2番手として堂安が控えている。人材豊富で溢れた状態にある。それが、久保が1トップ下に回る理由なのかもしれない。だが、イラク戦に左ウイングで先発した南野がそうであるように、適性外の場所でプレーするデメリットは大きい。サッカーでは、ハマっていない選手を放置することこそが苦戦の源となる。久保の魅力が発揮されないばかりか、周囲にもいい影響を与えない。

 前の4人の組み合わせの悪さが改善されない限り、日本代表のサッカーにいい風は吹かないのである。

 そのうまくいかないサッカーの中心に久保はいる。三笘同様、サイドで使ったほうが中心選手らしさは発揮できることは明々白々であるにもかかわらず。久保を右ウイングで使えば、1トップ下の候補は南野、旗手ぐらいに限られる。苦戦の原因はつまり、森保監督が鎌田大地の代役を選ばなかったことに尽きる。その重要性を感じなかったのだろう。

 センタープレーヤー候補は数えるほど。さらに言えば、1トップもポストプレーを得意にしない選手ばかりを選んでいる。

 中央の高い位置にボールがコンスタントに収まらないと、その他の選手はボールを追いかけるばかりになる。安定したパスワークは望めない。左、右、真ん中のバランスも取れない。

 苦戦の原因は思いのほかハッキリしている。自らを省みず「アジアは甘くない」と言って納得しようとする限り、優勝は望めないだろう。