大阪桐蔭「藤浪世代」主将の今 会社員を辞め野球の塾長と経営者の二足のわらじ「高校の時は輝いていたのに...と思われるのは絶対に嫌」
大阪桐蔭初の春夏連覇「藤浪世代」のそれから〜水本弦(後編)
前編:「藤浪世代」の主将・水本弦が振り返る春夏連覇の快挙はこちら>>
名古屋での居酒屋の夜から1年余りが経った昨年夏、再び水本弦に会った。
大阪桐蔭がコールド勝ちを収めた大阪大会3回戦を観戦したあと、向かったのは平日午後のコメダ珈琲。スマートフォンで戦況を確認していたという水本は、グリーンのTシャツにハーフパンツ、口元にはヒゲが蓄えられていた。その身なりから、大きな変化が起きていることはすぐにわかった。
昨年10月、新たに会社を立ち上げた元大阪桐蔭首相の水本弦 写真は本人提供
2021年秋の現役引退後は社業に専念していたが、2022年の7月から高校、大学の1年先輩で、野球の技術指導YouTuberとして人気の「ミノルマン」こと廣畑実が展開する野球塾『(株)Amazing』の名古屋校で指導を始めていたのだ。
会社が副業禁止のため、当時は了承を得てのボランティアだったが、ここで野球に関わる楽しさを再認識。会社への恩を感じながらも、昨年6月末に東邦ガスを退社すると、名古屋校の塾長として子どもたちに野球を教えることが仕事になった。
名古屋駅近くの倉庫を改装したスペースで週に5日、時間を分けて小学5年から中学3年までをスタッフともに教える。この時点で塾生はすでに100人を超え、東海地区屈指の規模だという。ミノルマン人気に、子どもたちの親世代からすれば「春夏連覇のあの水本」、そしてなにより大阪桐蔭のブランド力。「今日の夜も野球教室です」と言った水本の表情は、1年前より晴れやかに見えた。
「めちゃスッキリしています。野球を辞めてからの1年半は毎日会社に行きながら、この先、何を目標にしていけばいいのかというところがなかなか見つけられなくて......正直しんどかったです」
会社に残れば安定した暮らしは想像できたが、まだ20代。でっかい目標に向かってがむしゃらに走りたくなり、まずはゼロイチのイチ、新たな一歩を踏み出した。
【藤浪晋太郎の制球難は高校時代から】分厚いハンバーガーにかぶりつきながら、話は一旦近況を離れ、メジャー1年目、同じく新天地で勝負を続ける大阪桐蔭のチームメイト、藤浪晋太郎へと移った。苦しいシーズン序盤戦から盛り返し、ア・リーグ東地区で首位を走っていたオリオールズへの移籍が決まった直後の頃だった。
「メジャー挑戦を聞いた時は、絶対にそっちのほうが合っていると思いました。活躍するかどうかはわからないけど、野球より前に性格的なところでアメリカのほうが合うと思ったんです。いろんな意味でアバウトなところもそうですけど、たとえば建前的なことが嫌いで、周りの目を気にしない。日本的なものの考え方より、完全に海外向きだと思っていました。だから、余計に期待するんです」
シーズン序盤の藤浪の苦戦を振り返ったあと、高校時代の思い出話になった。
「3年の頃は、寮で森島(貴文)と藤浪の3人部屋だったんです。その頃の印象がずっと残っていて、今も藤浪と言えば、まず部屋が散らかっている、次に朝がめちゃくちゃ弱い、そして3番目にボールが速い(笑)。イメージはこの3つです」
阪神時代後半から苦しんでいた制球難についても、同級生ならではの見解で笑い飛ばした。
「コントロールが悪くなったというより、もともとなんです。同級生はみんな、コントロールがどうこうって騒がれ始めた時から思っていたはずですよ。『高校時代からや!』って。3年春のセンバツ前の紅白戦で、小池(裕也)の顔面に当てたのを覚えています? 小池の顔がパンパンに腫れて、即病院行き。『絶対に骨折してるな』って言ってたら、何事もなかったように帰ってきて、『おかしいやろ!』ってみんなから突っ込まれたという"事件"ですけど、藤浪が当てること自体は驚きがなかった。
だから、本人もビビってないんじゃないですか。もともとコントロールがよかったヤツが急に悪くなったわけじゃなくて、もとからアバウトだったんで。甲子園で荒れることがなかったから、見ている人はその印象がないでしょうが、自分たちは荒れる藤浪を知っていますから」
たっぷりいじった最後には、海の向こうで奮闘する我らがエースへ、もう一度期待を込めた。
「自分たちの世代は、最初は"藤浪世代"って言われていたのが、いつからか"大谷世代"に代わった。これがまた"藤浪世代"って言われるくらいの活躍をしてほしいですね。速いボールを投げる能力なら今でも大谷よりも上だと思いますし、あいつが力を出し切ったらピッチャーとしての大谷にも負けないレベルまでいく可能性はあるはず。そう言いながら、全然そのレベルまでいかずに終わる可能性があるのが藤浪ですけど(笑)。ここからまた勝負っすよね。あいつが活躍してくれたら、自分たちもまた頑張れますから」
【いきなり代表取締役です(笑)】かけがえのない同級生の絆を感じていたら、「そうそう」といきなり水本が話し始めた。
「自分も10月から会社を立ち上げるんです。いきなり代表取締役です(笑)。企業と人材をつなぐ採用コンサル系です。それも体育会系、なかでも野球経験者に絞ってその人たちの就職、転職のサポート。野球一筋できた人たちと企業をつなぐ仕事です。今、事業申請中で10月1日に優良職業紹介事業者資格をとれたらスタートです。野球塾との2本柱でいきます」
社会人時代の勤務経験が、新会社設立の動機になったという。飛び込みセールスや事務作業をするなかで、常に「自分の力を存分に発揮できる場所はここなのか?」と自問自答していたという。
「野球ありきで高校も大学も会社も決まって、大学時代までほとんどパソコンにさわったことがなかった。そもそも世の中にどんな仕事があるのかもわかっていない状態で会社に入って、ガス会社なら工業系の高校出身の人が多くて、その人たちは作業技術も知識も持っている。それに勉強できる大学を出ている人は、システム系に強い。
そういうのがわかってくると『ここは自分が戦う場所じゃないな。これまでやってきたことをもっと生かしていかないと埋もれてしまう』と、そんなことを思うようになったんです。その頃の自分と同じ思いを抱えている野球経験者は多いと思うので、そういう人たちに出会いを提供したいと。大阪桐蔭OBにも大学や社会人まで野球を続けて、その後、仕事に就いたけど辞めて、転職する人も結構いるみたいで」
廣畑の会社のスタッフにも協力を仰ぎ、日々ビジネスに関するレクチャーを受けながら、着々と起業への準備を進めた。それにしても、なぜ対象を野球経験者に絞ったのか。
「自分の経験上、野球をやってきた人はバイタリティや探究心、観察力、修正能力、協調性......さらにデータ班で頑張ってきた人は分析能力に長けているとか。野球をやってきたからこそ身につけた能力があると思う。その持ち味を見極めて、企業が求めるニーズに合わせてアテンドしていきたいと思ったんです」
【プロに進んだ同世代より稼ぎたい】そもそも組織運営に興味があったのか。これには「優秀なメンバーを集めて、マネジメントをするのとかは好きですね」と言う水本に、思わず「西谷(浩一)さんや」と笑って返すと、「大阪桐蔭野球部みたいな会社をつくりたいんです」と言った。
「西谷先生はいつも『最後は人や』と言うてましたが、やっぱり人。魅力ある人材と出会って、大事に育てて、ここが組織づくりの基本。決して人材を集めるだけじゃない。大阪桐蔭にはいい選手が来ますけど、すごいのは人材を生かすこと。光るものを持った人材をしっかり育てて、そういう人材を束ねて、一丸で目指すべきものに向かっていく。自分たちが新チームになって秋、春、夏と成長していったように、高校時代に学んだことを生かして、まさに大阪桐蔭のような会社をつくっていければと思います。イメージはめちゃくちゃできているんです」
その先に目指すところは何かと尋ねると、水本は即答した。
「それはもう上場です。高校野球をやるなら日本一、会社経営で勝負するなら上場。今は上場のハードルすらわかってないですけど、口にしたら実現するとも言われているので、どんどん口に出して目指していきます。それとあとは......個人的にはプロ野球の世界に進んだ同世代より稼ぎたいです」
同世代には大谷翔平というすごいプロ野球選手がいるが、水本は「さすがにそこは特別枠です」と笑って、こう続けた。
「プロ野球選手って、現役でやれるのは長くても40歳くらいまでで、引退すると収入はガタッと落ちるじゃないですか。だったらこっちは65歳まで右肩上がりで稼いでいけば、生涯賃金のところでは勝てる。野球では及ばなかったけど、人生の後半戦では同世代に負けたくない。そこはめちゃくちゃありますね」
この負けん気の強さ、貪欲さは、大阪桐蔭で磨かれたのだろう。まさにバイタリティの源だ。
昨年末、久しぶりに連絡をとると「無事にスタートしました」と明るい声が返ってきた。あの夏を人生のピークにするのではなく、さらなるピークを求めて踏み出した一歩。もちろん、紆余曲折、山あり谷ありの道が待っているだろうが、臆することはない。
「さすがにずっと順調にいくとは思ってないです。でも落ちたところから上がっていくのも嫌いじゃないし、大阪桐蔭ってビハインドとかアウェー感が強い状況って結構好きなんです。自分たちの時も、センバツの浦和学院戦ではあとひとりでゲームセットから逆転したり、夏の大阪大会の履正社戦ではめちゃくちゃ追い上げられて球場が完全に向こうの空気になっているのをギリギリでしのいだり。追い込まれた時は、また燃える。
だから、どん底に落ちても必ずはい上がってみせます。自分たちを知っている人から、『あいつら高校の時は輝いていたのに、今は......』って思われるのは絶対に嫌なんで。ここからが自分たちの見せ場。春夏連覇の世代もまだ生きてたんか、藤浪だけじゃないな、というところを見せていきます」
よっしゃ、春夏連覇や! あの時もミーティングでのひと言から始まった。大阪桐蔭初の春夏連覇から干支もひと回りし、30歳になるこのタイミングで目指す場所が定まり、スイッチが入った。ここからまた遥か遠くの頂を目指し、キャプテン水本の新たな挑戦が始まった。