可能性を限定せずに挑み続ける田中希実 photo by New Balance

田中希実インタビュー 後編

 陸上中長距離界において、世界標準の進化を遂げ続けている田中希実(New Balance)。東京五輪では日本人初の女子1500m8位入賞、昨シーズンは3大会連続出場となった世界陸上で5000m8位入賞&日本新記録樹立と複数種目で世界での実績を積み重ねてきた。

 2024年はパリ五輪での複数種目同時入賞を当面の目標として視野に入れつつ、さらなる可能性も模索している。

 好成績の要因は何か? 好成績を出しても満足しないのはなぜか? 今シーズン、そして今後のアプローチについては? ここでは田中本人に加えて、父である田中健智コーチにも答えてもらった。

【人種ごとの特徴を取り入れたフォームに】

――2023年の好成績の一因に、フォーム修正がはまってきたことを挙げていました。あくまで相対的な話として、黒人選手のフォームの良さ、白人選手の良さ、さらには日本選手の良さもミックスしたと。

田中「黒人選手は天性の走り、という印象ですね。骨格自体、骨盤が前傾していたり、腱が長かったり、肩甲骨回りも柔らかく使えてダイナミックな腕振りができたりする。それで脚が勝手に前に出るのだと思います。持久力さえ練習でつけていけば、いつまでもスピードを出して走れるんだろうな、という印象です。骨格は天性のものなので真似できませんが、骨盤をちょっと前傾させたり、腱をできるだけ軟らかくしてしなやかに走ったり、腕振りをダイナミックにしたり、といったところは真似したいですね。黒人選手もそのフォームを生かすための地道なトレーニングをしています。それをケニアで見てきたので、自分も基本の、そういった日々の練習を頑張ろう、という意識になっています」

――白人選手の動きに学べるところは?

田中「白人選手は皆さん、筋肉質なのかな。すごく背が高いイメージもあるんですが、間近で接すると私と身長が変わらない選手でもすごく速い選手もいます。背が低くてもガチッとしている選手が多く、黒人選手のように腱で(バネで)走るのでなく、筋でパワーを生み出して走っている印象です。体全体をゴムマリみたいに弾ませて進んでいく。そのためのパワーはあるかな、と思うんですが、日本でいうすごい筋トレをしてつけた筋ではない感じがしています。そこも人種という部分はあるのかもしれませんが、筋をうまく使ってレースの最後で脚が止まる状況でもパワーで粘り抜く。白人選手たちのラスト50mの粘りは私もお手本にしたい部分です。筋肉を筋トレでつけるより、最後の力強さを学びたいのですが、今はまだ見つけられていません。そこがわからないから、型から入って、もがきながらも脚を前に出す方法を探っています」

――そこに日本人らしさがどう加えられると、全部をミックスさせたような走りができるのでしょうか?

田中「私は技術というより型から入っていて、悪く言えば模倣、真似事になってしまいますが、日本人はこれがいいと思ったら、自分のものにするまで繰り返しやり続けます。最初はすごく不自然な動きだったりしますが、自分の動画を見てもだんだんと、不自然ではなくなってきている。黒人選手や白人選手の良さが、走りの中ででき始めています。私は小学校の頃から、フォームにギクシャクしたところがあって、もともとあった悪さも一緒に直すことができています。一番は、多くの日本人選手は骨盤が前傾していないので、いかに骨盤を乗せるかが最重要だと思っています。そこさえできたら、あとは黒人選手や白人選手の腕振りとそのリズムを、を意識しさえすればいいかな、と思っています」

【この冬の予定と10000m参戦の可能性】

――1月にはケニアに行き、ケニア人選手からいろいろなことを吸収されるかと思います。この冬のトレーニングとレースプランは?

田中コーチ「全国都道府県対抗女子駅伝(1月14日)のあとにケニアで2週間くらい練習して、そのままアメリカに移動します。ボストンとニューヨークシティで室内レースを走って帰国して、国内で合宿です。選考要項では、日本選手権クロスカントリー(2月25日)は出場さえすれば、世界陸上の入賞者は代表に選ばれます」

田中「世界クロスカントリー選手権はリレー種目を希望しています。リレーを組めたらすごく楽しいかな、と」

田中コーチ「3月上旬の世界室内選手権と3月末の世界クロカン選手権。4月は国内のグランプリを走って、5月はまたアメリカを転戦しながらダイヤモンドリーグも出場機会があれば参戦します」

――10000mに出場するプランもあるのでしょうか。

田中「私はそれほど走りたいとは思っていませんが、父(田中コーチ)が走るのもいいんじゃないか、と」

田中コーチ「意識はしています。どのレース、いつのタイミングになるかはわかりませんが、パリ五輪の参加標準記録(30分40秒00)を切るぐらいの走りに挑戦する気持ちが固まれば、走ってみてもいいのではと話しています。自分たちの目指すべきところの取り組みである1500mと5000mに10000mが加われば、より理想に近づけることができると思っています。どの種目に対しても臆することなく臨める覚悟を確固たるものにしたいと感じています」

田中「日本では春先にしか10000mのレースがないのですけど、私は春先には1500mを重点的にやりたいので、そこの両立が可能なのか、という部分も考えていかないといけません」

田中コーチ「絶対に出る、ではなく、走る可能性がある、くらいですね。10000mをやることが5000mに生きる、ということは言えると思っています。ケニアにも行きますし、トレーニングの状態を見ながら決めていくことになるでしょう」

【パリ五輪2種目入賞のために】

――パリ五輪の目標は同一大会での1500m&5000m入賞。そのために取り組んでいくことは?

田中「2023年の取り組みをより膨らませるようなことをしたいと思っています。まだどちらの種目も代表に内定していませんが、1500mと5000mの2種目で入賞以内を目指したい。スピードが主になってくるとは思うのですけど、スピードと実践力を、とにかく上げていきたいです。だから合宿だけでなく、アメリカの1500mのレースで揉まれるようなことをもっとしたい。そういったレースで(パリ五輪へ)持っていくことを今は考えています」

――2種目入賞は1964年東京五輪の円谷幸吉選手の例もありますが(10000m6位、マラソン銅メダル)、近年の日本選手では考えられないことです。どのようなトレーニングを行なっていくつもりですか。

田中「ケニアに行ったら本当に普段の練習がハイレベルなので、その練習さえできるようになったら1500mから10000m、もしかしたらマラソンまで対応できるんじゃないか、と思えます。そういう練習をどの選手もやっているので、やっぱり普段の練習の質を上げていくことが大事かな、と。持久力に振るとか、スピードに振るというより、レースは実践力だけ意識して出るとして、普段の練習ではスピードと持久力の両方が鍛えられるような練習をしていきます。質をできるだけ高くできたら、強くなるんじゃないかなって思っています。昨年は転がり込んできたようなレースも多くありました。今年は海外のレースをもっと計画的に組んで、着実に競争する力、他の選手と勝負する力を高めていきたいなと思っています。ケニア合宿も昨年2回目として行ってみて、より効果を感じられました。そこももっと効果的に組み込んでいけるようにしたい。欧米のレースと、ケニアのちょっと泥くさいような合宿というサイクルを、もっとうまく回していけたらいいなと思います」

――常に世界トップレベルを見ているから、われわれがすごいと思う結果を出しても、そこで満足しないで努力を続けられる?

田中「どうでしょう......明確に世界記録や金メダルを狙っているわけでもないのですが。普段の練習から負けず嫌いで、地道にコツコツやり続けて、1回1回の練習でも自分に向き合って全力でやっていて、喜んだり悔しがったりしています。そういった日々を形にしたい、頑張った日々の可能性を自分で狭めたくない、という気持ちが大きくなってきました。その答えは自ずと出るものであって、潜在意識で限界を決めるものではないと思っています。だから何が起きても驚かない。それがあるのかな」

――やはり目標は高く設定していますか? パリ五輪も、今言葉に出ましたが、将来取り組むかもしれないマラソンでも。

田中「世界陸上もオリンピックも、行けるところまで行く、という考えです。2種目入賞という目標設定はしていますが、どちらかの種目でメダルを取りたい、とも考えています」

田中コーチ「マラソンを走るとしたら2時間15分をイメージして取り組まないとダメでしょう。どのタイミングで出場するかはわかりませんが、2時間20分を切るところに目標を置いて練習したら、いつまで経っても世界との差は埋まりません」

田中「自分の可能性を決めたくない、という思いがありますが、人間の可能性も決めたくない。だから世界記録が更新されたと聞いても、あまりビックリしないんです。出ると思っていたけど、やっぱり出たか、と思ったりもしました。世界トップ選手たちも憧れというより、人間ってここまで走れるよね、という感じで見ています。私の場合は日本国内の人たちに対して、(世界で戦える)可能を示せたらいいな、と思います」

前編〉〉〉驚異のマルチランナー・田中希実にどんな変化があったのか

【Profile】田中希実(たなか・のぞみ)/1999年9月4日、兵庫県生まれ。小野南中→西脇工高(兵庫)→ND28AC→豊田自動織機TC→New Balance。同志社大卒。中学時代から全国大会で活躍し、高校卒業後はクラブチームを拠点に活動。2019年からは父・健智さんのコーチングを受け、今日に至る。国際大会には高校時代から出場し、U20世界陸上3000mで2016年8位、2018年優勝。世界陸上は5000mで2019年ドーハ大会から3大会連続出場、2022年オレゴン大会では日本人女子初の800m、1500m、5000mの3種目に出場、2023年ブダペスト大会では5000m8位入賞を果たした。東京五輪には1500m、5000mの2種目で代表となり、日本人女子として五輪初出場となった1500mでは予選、準決勝で日本新をマーク、決勝で8位入賞を果たした。自己ベストは1500m3分59秒19(2021年)、3000m8分40秒84、5000m14分29秒18(2023年)はすべて日本記録。