全豪オープン大会2日目、センターコートの最後に組まれたナイトマッチ──。

 カクテル光線に照らされたコートに、「Please welcome! Naomi Osaka」のコールが響く。

 その声を合図に、沸き起こる拍手と歓声に包まれて、大坂なおみが2年ぶりにロッドレーバーアリーナに姿を現した。

 スタンドは種々の光に彩られ、コートを囲むLEDパネルに彼女の映像が映し出される。それら目に映る光景を懐かしむように、彼女は顔を上げ、埋め尽くされた観客席をゆっくり見渡す。

 このコートで2度トロフィーを掲げたかつての女王が、出産を経て1年4カ月ぶりにグランドスラムのコートに戻ってきた。


大坂なおみの全豪OPは初戦で幕を下ろした photo by AFLO

「会場に来た時、ノスタルジーを感じたの」

 大会開幕前の記者会見で、大坂はそう笑っていた。

 懐かしい記憶をさかのぼった18歳の日──。大坂は予選を突破し、全豪オープンでグランドスラム本戦デビューを果たす。本戦でもふたつの白星を連ねて勝ち上がった3回戦では、センターコートでビクトリア・アザレンカ(ベラルーシ)と対戦。元世界1位、当時の16位に完敗を喫するも、「すごくいい経験」を持ち返った。

 そのグランドスラムデビューの3カ月前、大坂はシンガポールで開催されたエキシビションマッチ「ライジングスター」に出場していた。この大会は世界各地から将来有望な4選手を招待する、いわばWTAの若手プロモートイベント。エキシビションとはいえ、大坂にとってはプロキャリア初のタイトルを手にした、思い出の大会だった。

 それから、8年──。

 全豪オープン開幕前の練習時、大坂は空を見上げながら、「シンガポールから長い道を歩んできたな」と感慨深く思ったという。そして奇しくもというべきか......今回の全豪オープン初戦の相手は、あの時のライジングスターで優勝を競ったカロリーヌ・ガルシア(フランス)だった。

【ナブラチロワが大坂なおみに下した評価は?】

 26歳に、母として立つ最初のグランドスラムの、センターコート。

 満席のスタンドを満たす熱気と注視を集めてボールを叩く大坂の姿は、ノスタルジアを喚起させた。コンパクトなテイクバックから、全力で右腕を振り抜き、フラットにボールを打ちぬく。破裂音を轟かせラケットから弾かれる驚異のスピードショットは、見る者の感嘆の声を誘った。

 ただ、ネットすれすれを超える超強打は、コーナーに刺さればウイナーとなるが、ミスと表裏一体のリスキーな賭けだ。そして、荒々しくも瑞々しいそのプレーは、テニスシーンに超新星のごとく現れた頃の彼女と重なった。

 かつて強打一辺倒だった才能の原石は、その後、経験豊かな指導者たちにより磨かれていく。フィジカルを鍛え、フットワークを学び、フォアハンドにはスピンをかけ、プレースタイルは洗練されていった。

 その大坂が、今回のガルシア戦では強打頼りになったのは、ラリーを組み立てる余裕がなかったからだろうか。

 試合前に「コートに立ちたくない」と思うほどの重圧を感じたガルシアは、その恐怖心をコーチたちに吐き出し、涙を流すことで、「リラックスできた」と言う。凛とした佇まいのガルシアもまた、17歳の頃から「次代の世界1位」との期待を集めてきた選手だ。

 その才覚を存分に放つガルシアのクリーンショットの前に、復帰から日の浅い大坂は、常に後手にまわっていた。観客を沸かせる強打の真相は、一発必中のショットに頼らざるをえない、焦りだったかもしれない。

 試合を通じ大坂は20本のウイナーを決めたが、アンフォーストエラーは25本を数える。見せ場は作るも、最終スコアは4-6、6-7。試合開始から1時間26分後......ファンの大声援に手を振り返しながら、大坂はロッドレーバーアリーナをあとにした。

 アメリカのテニス専門番組『テニスチャンネル』で解説を務める元世界1位のマルチナ・ナブラチロワは、ガルシア戦の大坂に対し「テニスの面だけ見ればB+。ただ、全体的にはC」と辛めの評価を与えた。

「ボールに追いつけていない。力まかせに打っていたのは、フィットしていないから。フィジカルが十分ではなく、態勢を崩しながら打つことが多かった」

 それが、"レジェンド"の見た大坂の現在地だ。

【新たなキャリアを再びスタート地点から歩み始める】

 大坂自身もおそらくは、周囲の目にもまして自分に厳しい評価を下している。

「ロッドレーバーアリーナに戻ってきて、ファンの思いを感じながらプレーするのは、とても楽しかった」

 試合後の会見の冒頭ではそう口にするも、言葉とは裏腹に、表情には落胆の陰が落ちる。

 今の率直な気持ちは──?

 会見終盤のその問いに、大坂は「今もまだ、がっかりしている」と正直に打ち明けた。

「それが自分への落胆なのか、どうなのか。もっといいプレーができたはずだと感じている。緊張もしていたし......」

 そこまで言うと、ネガティブな感情を振り払うように「でも、前を向かなきゃ」と自分に言い聞かせた。

 それでもまだ、あふれる思いは唇からこぼれる。

「試合を重ねれば、よくなっていくと思う。今は正直、すごくハッピーというわけにはいかないけれど、この経験から学んでいくしかないし......」

 視線を落とし、言葉を紡ぎながらも「やめやめ! もう黙りましょ」と笑みを作った。

 完璧主義者ゆえに自分に厳しく、同時に、敗戦からもプラス要因を持ち返るべく自分を鼓舞する。そのどこか不器用で正直な姿にも、ノスタルジーが漂った。

 産休による救済措置はあるものの、現在の大坂のランキングは831位。プロ転向から10年以上の年月を経て、今の彼女は再び、新たなキャリアをスタート地点から歩み始めているかのようだ。

 その先に彼女が辿り着くのは、どこなのか?

 大坂のコーチ、ウィム・フィセッテは言う。

「彼女のキャリアベストは、この先にある。結果的にどうなるかはわからない。ただ間違いなく、以前よりもいい選手になれる道を歩んでいる」......と。