「これはまずい」「観客のヤジが的確」「非常にやりやすかった」Jリーグの元審判・村上伸次が今でも忘れられない3試合
2021年シーズンを最後に、サッカーのプロレフェリーを引退した村上伸次さんに、ピッチ上の「審判目線」から強烈だった試合を語ってもらう。ここでは担当試合のなかで忘れられないゲームを3つ教えてもらった。
【決勝なのに非常にやりやすかった試合】2016年1月1日/天皇杯決勝
浦和レッズ 1−2 ガンバ大阪
2016年の元日に行なわれた天皇杯決勝、浦和レッズ対ガンバ大阪。国立競技場が改修途中で、味の素スタジアムでの開催でした。
元プロフェレリーの村上伸次さんが忘れられない担当試合とは? photo by Getty Images
これほどいい流れで試合を終えられたのは、なかなかない経験でした。
天皇杯の決勝で笛を吹くというのは、レフェリーにとっては目標になる試合だと思います。私は選手時代も天皇杯に出場したことはありましたが、ほとんどが1、2回戦で敗退でした。選手としてもレフェリーとしてもこの決勝という舞台は特別なものがありました。
そんななかで、この2016年は私が選手を引退して約20年。長い年月がかかりましたが、ようやくその目標となる試合で笛を吹かせてもらえて、すごく感慨深いものがありました。
試合は味の素スタジアムが浦和の赤と黒、G大阪の青と黒に染まって、拮抗したチーム同士の非常に緊張感のあるゲームでした。入場する際のコレオグラフィーは壮観で、見惚れてしまいましたね。
そして、選手のみなさんが「村上伸次がどんなレフェリーなのか」を理解した上で戦ってくれたので、非常にやりかすかったです。
展開としても両チームともに経験ある選手が揃っていて、悪さをしないで90分通して"サッカー"に徹していました。遅延行為と異議などでイエローカードを出しましたが、それは試合の印象を悪くするようなものではありませんでしたね。
印象深いシーンで覚えているのが、前半初めにイレギュラーがあって浦和の西川周作選手がスライディングしたスパイクが槙野智章選手の手のひらに刺さって流血がすごかったんです。ちょっと続行は難しいかもしれないと思ったんですけど、治療で一旦下がってからテーピングで止血してすぐに戻ってきたんです。槙野選手のプロ根性を感じたシーンでしたね。
また、よく覚えているのが、いろんな選手が試合中に私に話しかけてきたことです。それはもちろん、いい意味ですよ。例えば「これファールでしたよね?」とある選手が話しかけてきてので、「ファールはわかっていたけど、アドバンテージで流しておいたから」というと、「そうですか。ありがとうございます」といった感じで。
決勝という特別なシチュエーションでも選手とレフェリーとして普通の会話ができたのは、すごく印象に残っていますね。
選手たちは下手に熱くならず、そうした会話のなかで判定の基準を探りながら駆け引きをしていて、試合巧者な両チームらしいコミュニケーションでした。そんないいチームによるすばらしいゲームで、試合が終わったあとは清々しい気持ちになった試合でした。
【初めての無観客試合は声が丸聞こえ】2020年7月4日/J1第2節
清水エスパルス 1−2 名古屋グランパス
2020年の第2節、清水エスパルス対名古屋グランパスは、コロナ禍による中断明け最初の試合です。私自身、無観客試合というのが初めてでした。
レフェリーとして駆け出しの頃に担当した県リーグや地域リーグの試合の時でも、観客は必ずいたわけです。それが運営スタッフの方だけのがらんとした観客席というのは異様な雰囲気でしたね。選手たちはもちろんですけど、レフェリーの私も観客がいない寂しさをすごく感じました。
試合自体はすごく淡々と進んだ記憶があります。観客がいないことで、選手たちもいつものようなテンションには上がらない印象でした。第2節ですけど、時期はもう7月で、給水は今までのようにボトルを共有できないし、これまでとは様々な面で違っていて、サッカーになかなか集中できない環境だったと思います。
そんななかで試合が始まってすぐにびっくりしたのが、選手の声がよく聞こえることですね。普段であれば私の耳には届いていなかったような、文句を言っている声までも聞こえすぎていました。
それですぐに「これはまずいな」と思いました。そう思って抗議してきた選手に集音マイクを指差してこう言ったんです。「全部聞こえているよ、みんなに」と。選手や監督、スタッフの声とか、あと私たちレフェリーのコミュニケーションシステムでの会話などが、中継に全部拾われていて筒抜け状態でしたよね。
それがピッチにいる私にもわかるレベルだったので「もう少し言い方には気をつけたほうがいいよ」と言ったんです。それから選手たちもちょっと丁寧な口調になりましたよね。「おい! どこ見て......いるんですか」みたいなちょっと語尾が面白い感じになっていました(笑)。
結果は名古屋が2−1で勝ったんですけど、清水が先制して、名古屋は前半32分に相馬勇紀選手のゴールで同点、それからオウンゴールで逆転して、相馬選手は点を取ってから気持ちも昂ってノリノリだったんですよ。
それで後半アディショナルタイム6分です。名古屋が攻めていてファールを受けたんですけど、私はプレーが続いていたのでアドバンテージをかけて続行させたんです。そのボールが相馬選手のところへ渡ったけど、清水の選手に取られたんですよね。そこで相馬選手のファールを取ったんです。
そうしたら間髪入れずに彼が異議をしめしてきてイエローカード。その声も集音マイクに拾われちゃっていました。それが2枚目のイエローだったので退場になったんです。
その翌週にも名古屋の試合を担当して、その時に相馬選手が「この前は言いすぎました。すみません」と言いに来てくれて、私も「仕事でやっているから勘弁してね」と。そんな裏のエピソードも印象に残る試合でしたね。
【観客が印象深い静岡ダービー】2019年4月14日/J1第7節
ジュビロ磐田 1−2 清水エスパルス
最後はどの試合というより、清水エスパルスとジュビロ磐田による"静岡ダービー"を思い出深いものとしてあげさせてください。Jリーグのなかでも元祖ダービーという特別なものがありますよね。
たとえ優勝に絡んでいなくても、お互いの選手やサポーター全体から「ここだけは絶対に負けたくない」といったパワーを感じるのが、この伝統的なダービーだと思います。
私がまだ2級審判員の時代によく静岡の試合に行くこともあって、週末になるとオレンジとサックスブルーのユニフォームを着た人たちが、スタジアムの外でもサッカーの話で盛り上がっている姿を目にしてきました。前日にはテレビでダービーの特集番組が組まれていたり、本当にサッカーの街だなというのを感じました。
個人的にも大学卒業後は岐阜に住んでいて東海地方の人間なので、この試合の笛を吹けるという嬉しさがありました。
個人的に印象深いのは "観客"です。とくに清水がホームの日本平で試合をする時は、観客席とピッチが近いのでよく声が聞こえるわけです。その時のヤジが的確なんですよ。
たとえばバックスタンドのお客さんたちが、オフサイドラインをよく見ているんです。そうして副審に「ポジションずれてるぞ」とか。
選手にも「そこは右じゃなくて左にパスだろう!」「そこはパスじゃなくてドリブルだろう」とか、そんな具体的な声が聞こえてきて面白いんですよね。
これまで2009年第23節(清水5−1磐田)、2011年第25節(磐田2−1清水)、2012年第6節(清水3−2磐田)、2017年第5節(磐田3−1清水)、2019年第7節(磐田1−2清水)と多くの静岡ダービーの笛を吹かせてもらってきました。
そのなかで印象に残っている試合を強いて一つ挙げるとしたら2019年のダービーでしょうか。エコパスタジアムでの開催なので最寄りの愛野駅から歩いていくんですけど、駅を降りるとサックスブルーとオレンジのユニフォーム姿の人々が入り乱れて、ダービーという雰囲気が漂っているんですよね。
この試合では、清水の鄭大世選手の試合にかける思いの強さが際立っていました。前半36分に彼が先制点を挙げるんですが、試合を通して彼の一挙手一投足に目が離せなくて、彼がこのシーズンのチームを引っ張っているんだというのがよくわかりました。
私が担当してきたダービーではいつもホーム側が勝っていたんですけど、この試合に関してはアウェーの清水が2−1で勝ちました。この時の両チームは、長くチームを支えてきたベテランが多く抜けて、それまでの黄金期とは少し違うダービー感がありましたね。
お互いにチームの新たなビジョンを模索していた時期だったと思うんですけど、この試合は選手たちがチームのやりたいことを表現していた好ゲームだったと思います。2023年はJ2で切磋琢磨をして、最後に清水がJ1昇格を逃してしまったのが残念でしたが、また熱い静岡ダービーが見られるのを楽しみにしたいと思います。
(おわり)
村上伸次
むらかみ・のぶつぐ/1969年5月11日生まれ。東京都目黒区出身。帝京高校−立正大学と進み、JFLの西濃運輸でプレーしたのち、28歳からレフェリーの道へ。2004年からJリーグの主審として活動。2008年からスペシャルレフェリー(現プロフェッショナルレフェリー/PR)となった。2021年10月のヴィッセル神戸対アビスパ福岡戦で、Jリーグ通算500試合出場を達成。この年を最後に㏚を引退し、現在は後進の指導にあたっている。